第1部 少年

第1章 湖畔

009 プロローグ

 素朴なつくりの木の盆を持って、森番小屋の庭先へ出る。盆の上には陶器のポットと茶葉の袋、茶こしと茶こし受け、それに陶器の盃と木の茶托をふた組載せている。

 庭先のつくえでお茶を飲むのがレオンの朝夕の楽しみだ。

 レオンはその役目として、朝夕は森への人の出入りを見守る必要がある。森の端の小屋のまわりに居なければならないこの時間を、蒐集した茶葉を楽しむ時間にあてていた。

 小屋の裏手ではヴィーゼが飼葉かいばをせがんで地面を掻く音がしている。


 今日は少し荷物を運ばせたからな……お茶を飲んだら、少し早めに世話してやるか。


 夕暮れ前の空を見上げながらこのあとの作業のことを少し考える。でもすぐに頭を切り替えてお茶と向き合うことにした。

 盆を卓に置いて席に着き、茶葉の袋を開ける。少しのあいだ袋の中から溢れる香りを楽しむと、陶器のポットの蓋を開けて茶さじで茶葉を入れていく。

 先に卓に置いてあったヤカンに被せた保温用の布を取り払い、エリカが沸かしてくれた熱いお湯をポットに注ぐと、袋から香った香りとはまた違った柔らかい芳香が庭先を包んだ。


「……いい香りじゃの。今日のはどこの茶葉だね?」


 先に席についていたアードリアンが訊いてきた。いまは行商人として国内を巡って歩いている、白髪の老人だ。


「中央高原西端。エリカの故郷の近くだな」


 レオンはそれだけ答えると、目を閉じてしまう。茶葉が開くのを待つ時間、それを見計らうためだ。茶葉の種類だけでなく、気温や湿度によっても微妙に待つ時間を変えている。

 といっても、確信があってやっているわけではない。なんとなく勘で変えているだけだ。


 そろそろかな……いやまだかな……


 そうして待っている時間を楽しんでいるのに過ぎない。

 アードリアンはレオンの見計らう時間が最良だと思い込んでいたが、実際はただの勘に付き合わされているだけだった。とはいえ毎日繰り返しているレオンの勘はなかなかのもので、実際にレオンの淹れるお茶は美味しかった。

 しばらくしておもむろに目を開けたレオンは、ゆっくりとした動作でポットを持ち上げると、茶こしを使いながらふたつの盃にお茶を注ぐ。

 ふたりとも少しだけ香りを楽しんでから、静かにお茶をすすった。


「あぁ、うまい……いい香りじゃの」


 アードリアンがしみじみと言った。


「毎度、お主の風貌でこのような繊細な茶を淹れる様子がどうも可笑しゅうてならんな」


 そう言って呵々と笑うアードリアンをよそに、レオンは森の街道を見ながら静かにお茶を飲み続けた。

 そうしてしばらくお茶を楽しんでいると、アードリアンが手元の盃をお茶を見つめながら言った。


「ミルコを、よう見といてくれ」


 レオンは街道に向けていた視線をゆっくりと卓の上に戻すと、向かいに座った老人を見て言った。


「……オリバーの息子だな」

「いかにも」


 アードリアンは答える。レオンはミルコの様子を思い出しながら思わず確認をする。


「ダニロではなく、か?」


 オリバーは体格のいい男だ。その子どもたちも、よく育つだろうと思わせるしっかりとした体躯をしていた。とくに次男のダニロは闊達で性格も良く、素直で人気がある。

 だが三男のミルコは病弱で同じ年頃の子どもたちと比べても小さく、成人するのも危ぶまれているくらいだ。森へ出られるようになったのもここ最近のことだ。


「いかにも。ちんまい方の子じゃよ」

「……」


 レオンは少し解せなかった。ダニロについては体格や性格の良さだけでなく、もう一つ大切な情報を掴んでいたからだ。


「……アードリアン、ダニロが加護持ちなのではないのか?」

「おぉ、いかにも。ダニロは加護を持っておるな」


 アードリアンは大きくうなずく。


「青い光を見通しておった。大地の神の加護じゃ。貴重な人材といえようの」


 レオンも頷く。ダニロの瞳に青い光が写り込んでいる様子を、レオンも一緒に見ていた。ついひと月ほど前、まさにこの卓の上で見たのだ。はっきり覚えていた。


「じゃが、それも各領地に世代ごとに何人かはいる程度じゃな。目にかけておきたいが、ミルコほどではない」

「ミルコほどではない。それは……」


 問いかけるレオンの言葉をアードリアンが遮る。


「いやいや、まだはっきりわからん」


 と手を振ってレオンが言いかけたことを否定した。


「どれほどかは知らん。いくつもの色がきらめいておったからの。ただ単に不安定なだけかもしれん。あるいはいくつもの加護があるやもしれん。まだわからん。ただ……」


 嬉しそうにレオンの目を見てアードリアンは続けた。


「育てる価値は大いにある」


 レオンは少し身が引き締まる思いでその言葉を聞いた。自らの役目が一段重いものになったことを感じながら。そしてどこか胸が高鳴る思いだった。


「そうか。しっかり見ておこう」


 レオンがそれだけ言うと、ふたりはまた静かにしばらくお茶を楽しんだ。

 ときどき、小屋の裏からヴィーゼが地面を掻く音が聞こえていた。

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