008 ダニロの恐れ 後
東の森はそれほど密度が高くない。南北を川に挟まれた、その間にある森だった。南を流れる川はヴァイス川、北を流れる川は小ヴァイス川と呼ばれていた。小ヴァイス川は上流では別の名前で呼ばれていて、本当はそっちが正式な名前らしい。ただ、ダニロはその名前を知らなかった。
「よし、じゃあこの辺りから入ろう」
最後列からダニロが指し示すと、前を歩いていた子どもたちがそれに従って森に入っていく。街道は森の中央よりやや南に寄ったところを通っている。今日は北側の一番街にちかい部分で活動することにしていた。
子どもたちは、森に入ったところで早速枯れ枝を拾って騎士団の真似事を始める。
「僕が竜騎士だ」
「僕は魔法騎士だ」
口々に名乗りを上げながら、薬指に口付けて仲間に忠誠を誓う真似をしてはしゃぐ。
「騎士団は全員魔法騎士でしょ?」
「重騎士もいるよ」
物語は語り継がれるうちに幾つかの類型に分かれていた。各家庭で少しずつ内容が違うのだ。ただ、全部で14人というのはどの類型でも共通だった。
ちょっとはしゃぎすぎだけど、まあ、この辺りなら大丈夫かな。
ミルコが心配なダニロは、みんなの警戒心が緩んでるのが少しだけ気になっていた。足を止めてみんなに声をかけようとしたとき、テオドーアに声をかけられる。
「……ちょっと手前すぎない?」
あまり街に近すぎると採集できるものも少ないのだ。
「そうかな」
「心配しなくても、この辺りならもう少し奥まで行っても大丈夫だよ。」
森の一番の危険は狼だ。ただこの森は狼の侵入経路が東側だけであり、森番がしっかりしているのでもともと比較的安心できる。それに今はもう晩春だ。晩秋から春先までは狼にとくに気をつけなければならないが、この季節はそれほどでもない。
「そうだね。小ヴァイスに向かって、もう少し奥に行こうか」
そう言うと、ダニロはみんなに進路を指し示してもう少し奥まで入ることにした。
森は資源の宝庫であり、その管轄は領主直属となっている。通常、都市の近くの森には森番がいて、人の出入りを管理している。無断で入って食べ物を採ったり木を切ったりすることはできないし、それをしようとする平民たちは厳しく罰せられることもある。領地によっては平民たちに毛嫌いされることもある森番だが、エムスラントにおいては愛され、頼りにされていた。
「よし、じゃあこの辺りを中心にしよう」
小ヴァイスが間近に見えてきたあたりで、ダニロがそう声をかけた。立ち枯れた木を切り倒した切り株が2つ並んでいる、少しひらけた場所だ。ここを拠点に、女の子は木ノ実を採集し、男の子は薪を集める。
「ここで木の実が取れるの?」
春先に花を咲かせた低木のいくつかは、この時期に小さな実をつける。ただ、森に慣れていないミルコには、周囲には生い茂った葉の緑色しか見えない。
「うん、慣れるとけっこうたくさん採れるよ」
エルマはそう言いながら、繋いでいたミルコの手を離すと「じゃあ、あとでね」と言って別の女の子と一緒に採集に向かった。
「ミルコ、疲れただろう?」
「……うん、ちょっとね」
「ここに座ってていいよ」
ダニロは切り株の一つにミルコを座らせる。ダニロはこのままミルコと一緒にいようか、薪拾いに行こうか少し迷った。
子どもの集める薪は落ちた木の枝程度で、竃の火を起こすときに使うものだ。竃の火力を支えるほどではないが、それでも各家庭になくてはならないし、売ればちょっとした収入になる。ダニロの家族にとっては貴重な収入のひとつだった。
どうしよう……春のうちにできるだけ薪拾いもしておきたいし……
冬に枯れ落ちた枝は、春のうちに子どもたちがほとんど拾ってしまう。それに夏は暑くて長時間の作業をするのは辛かった。
そこへテオドーアが来てくれる。
「僕がここにいるから、行ってきていいよ」
「……うん、ありがとう。よろしくね、テオ」
テオドーアは付き添い分の駄賃がもらえるから、薪を拾う必要はない。と言っても、クァトロ向けの駄賃はとても安いので普段だったら薪を拾って少しでも収入の足しにしたいところだ。それをしないでミルコを見てくれるテオドーアの気遣いが、ダニロはとても嬉しかった。
「ミルコ、少し休憩したら一緒に薪拾いしようね」
「うん、ありがとうテオ」
そう言葉を交わす二人を置いて、ダニロは薪を拾いに向かった。
昼になるとみんなで小ヴァイスの河原まで降りて、水辺で休憩をすることにした。もう晩春だが小ヴァイスに流れる水は冷たい。ダニロは薪を集めて少し火照った手を、川の流れに浸して冷やした。
「はい、これ。あげる」
「お、ありがとう」
女の子たちが木の実を少し分けてくれる。貧しい平民の子どもたちは、家に帰っても昼食があるわけではない。小さな果物を家から持ってきたり、こうして採れた木の実を分け合って空腹をしのぐのが普通だった。
「川の水ってこんなに冷たいんだね」
ミルコが川の水に手を浸しながらダニロに話しかけてきた。
おぉ! ミルコ、目がきらっきらだよ、きらっきら! 初めての小ヴァイスだからね!
ミルコは到着後の休憩のあと、テオドーアと一緒にしっかり薪拾いをしていた。少しずつ休みながら、それでもそれなりの量を集めている。コツコツと一つずつできるようになっていくのはミルコらしい。
「春先はもっと冷たいよ! 雪解けの水だからね」
「いまは雪解けじゃないの?」
「もう山の雪もないんじゃないかな」
「じゃあ、この水はどこから?」
そう聞かれてダニロは首をかしげる。
「さあ、川の水ってどこからくるんだろう?」
「湖からじゃないの?」
別の子が話に入ってきた。
「少し先に湖があるでしょ?」
「もっと奥の山から流れてるよね?」
「でも湖の水も流れてきてるよ」
みんながそれぞれに考えを口にするが、答えはよくわからない。川や森、自然のしくみに関する基礎知識などほとんど共有されていない世界だ。そこにあるものは、ある。わからないことは神様のおかげだった。
「この先の湖ってさ、底に街が沈んでるんだって」
「それ知ってる! 父さんが言ってた」
それを聞いてダニロが答える。
「違うよ、前の森番が言ってたんだよ」
この上流の湖にまつわる伝説のいくつかを、兄のブルーノから聞いたことがあった。ブルーノがまだ小さい頃、レオンの前の森番に教えてもらったらしい。ダニロは名前も覚えていなかったが。
「前の森番って、すんごいお調子者だったんだよね」
「湖の底に街が沈んでるなんて、変な話」
前の森番と言った途端、みんながその話を信用しなくなってしまった。それを見てテオドーアが口を挟む。
「前の森番はいい人だったよ。お調子者だったけどね」
テオドーアは前の森番のときにも森で採集をしていた。
「今の森番はお茶ばかり飲んでるよね」
「そうそう、いつ通ってもお茶飲んでる」
そこから話はレオンがいかに変わってるかでひとしきり盛り上がった。
夕方になる前に帰路に着いた子どもたちは、ぞれぞれに荷物を持って森から出てきた。ミルコも持てる限りの荷物を持って一生懸命歩いている。
「おかえり、みんな」
「ただいま、レオン」
やっぱりお茶を飲んでいたレオンが、子どもたちに声をかけてくれる。
「ミルコ、楽しかったか」
「うん、楽しかった」
森に出入りする子どもたちの様子を確認するのもレオンの役割だった。
「そうか。それはよかった」
そうしてレオンと言葉を交わすミルコを、ダニロは感慨深く見つめた。
よしっ! きちんとみんなに付いてこられた。これからはいつも森に出られるね。
ダニロはミルコをずっと見てきた。ひとつしか歳が違わないのにすごく小さなミルコ。体が弱く病気で寝込みがちだったけど、ミルコはダニロよりも辛抱強く、泣かない子どもだった。元気なときはいつもキュッと眉を寄せてなにかしら家の手伝いを頑張っていた。そんな姿を見ているから、年子の男兄弟だけど張り合う気持ちよりも応援する気持ちの方が大きかった。
「じゃあね、ミルコ」
「じゃあな、また来いよ」
「うん! じゃあね」
東城下の子どもたちも、それぞれに分かれて路地に姿を消していく。ミルコにとっての初めての森の採集が無事に終わった。
東門をくぐって自宅近くの井戸端に戻ってくる。
「じゃあね、エルマ。今日はありがとう」
「ありがとう」
ダニロがエルマにお礼を言うと、ミルコも一緒にお礼を言った。エルマは結局、行き帰りの道中をずっとミルコと手を繋いで一緒に歩いてくれていた。エルマは少し照れた様子でミルコに向き合って笑った。
「楽しかったね。また行こうね」
おぉっ! エルマ、ミルコにぞっこんじゃね? 母さん、面白いことになるかもよ!
一人興奮するダニロをよそに、みんなが言葉を交わしながら三々五々家へ帰っていく。
と、そこへひとりの壮年のおじさんが近づいてきた。近所でよく見かけるおじさんだ。エルマが「あ、上のおじさん」と声を出した。きっとエルマの街区の住人だろう。
「おかえり、森の帰りだろう?」
その場に残っていたダニロとミルコ、エルマにおじさんが声をかける。あまり言葉を交わしたことがない大人に問いかけられて、ダニロは少し答えを言い淀んだ。
「うん、いま帰ってきたところだよ」
ダニロが答えないのを見て、近くで見守っていたテオドーアが代わりに答えてくれる。テオドーアはよく知っているのかもしれない。おじさんがテオドーアを振り返ってみる。
「そうかそうか。今日は天気が良くてよかったな」
「そうだね、天気が良くて気持ちよかったよ」
おじさんはテオドーアと言葉を交わしながら徐ろにミルコの前でしゃがみこむと、少しの間ミルコの顔を覗き込んだ。
「オリバーんところの三男だろう」
「はい」
ミルコが行儀よく答える。
「よう育ったな」
おじさんは優しく笑いながらそう言うと、ミルコの肩を叩きながら「よい生であらんことを」と言った。そうしてあとは何も言わず、もと来た方へ歩き去っていく。
あんまり聞かない言い方だな。
ダニロはそう思いながら、去っていくおじさんの背中を見ていた。
その晩ダニロは夕飯を食べながら、ミルコの初めての森の採集について面白おかしくマーレたちに報告した。ミルコは恥ずかしがって細々と言い訳をし、マーレはころころと笑い転げて聞き、ブルーノはからからと大きな声で笑い、それを見てオリバーは嬉しそうにしていた。
ひとしきり出来事を話し終えたダニロは、ふと井戸端で会ったおじさんの言葉を思い出してリバーに聞いてみた。
「よい生であらんことを、っていう言い方があるんだね」
なんとなく聞いてみただけだったのが、オリバーとマーレは同時にふっと顔を上げてダニロを見た。
「……誰かに言われたのか」
ダニロはちょっと面食らった気持ちになりながら答える。
「エルマの上のおじさん、なのかな? ミルコにそう言ったんだ」
ダニロがそう言うとオリバーとマーレは、今度は二人揃ってミルコを見つめた。
「ああ……ワレリーだな」
それだけ言うと、オリバーは質問に答えず匙を動かした。マーレは隣に座ったミルコの頭を撫でている。
……ん、答えてくれないの? なにか言いにくいことかな?
オリバーの反応を訝しんでいると、マーレの方が話しはじめた。
「自分の子どもが死んじゃった人はね、ほかの子どもの幸せを祈るんだよ」
「……おじさんの子ども、死んじゃったの?」
平民の子どもはよく死ぬ。死はここでは身近な話題だった。
「そうよ。ミルコが生まれた頃だったから、ミルコが大きくなるのを願ってくれてるのかもね」
マーレがミルコの頭を撫でながらそう言った。
夜、寝台で横になったダニロはなかなか寝付かれないでいた。近ごろたまに陥る、死への恐怖が思考を埋め尽くしてしまう状態になっていた。
死んだあと、どうなるんだろう……生まれ変わったら今までの思い出は無くなっちゃうのかな……
輪廻転生は世界の理として広く浸透していた。
生まれ変わるまでの間って、真っ暗なのかな……死ぬのって痛いのかな……
硬い寝台の上で寝返りを打つ。隣で静かに寝ているミルコの顔が目の前にあった。ダニロはミルコににじり寄って手を絡める。
「(よい生でありますように)」
ダニロは小声でそう言いながら、いつかミルコもこんな怖いことを考えるのかな、と思った。
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