007 ダニロの恐れ 前

 屋根裏に暮らすクァトロのテオドーアが、扉から顔を覗かせてダニロを急かす。


「早くはやく! もうみんな待ってるよ」


 クァトロらしいツンツンと立った頭頂部の髪を揺らしながら、今日が楽しみで仕方がなかったかのような満面の笑顔だ。もっとも、クァトロたちはいつも大抵そんな感じだ。


「待っててよテオ、いま準備してるんだから」


 ダニロは朝食を済ませて出かける支度をしているところだった。テオドーアが期待した声で聞いてくる。


「今日はミルコが一緒なんでしょ?」


 そう、今日は弟のミルコも一緒だ。体の弱いミルコは初めて森へ行く。


「そうだよ。ミルコの支度もあるんだから待っててよ」

「やったー! ミルコ、僕が手を繋いでいくからね!」


 テオドーアはミルコの出産のときに偶然立ち会ってから、ずっとミルコを気にかけてくれていた。今日も一緒に出かけられるのが嬉しくて仕方ないのだ。


「うん、いいよ」


 ミルコが答える。


 今日のテオは本当に楽しみにしてたのかもな。……全然いつもと変わんないけど。


 ミルコとテオドーアのやりとりを見て、ダニロは手を動かしながら肩をすくめる。その様子を母のマーレが苦笑いしながら見守っていた。




 ダニロはここ数ヶ月、子ども社会のけん引役を担っている。天気がいい日には仲のいい家庭の子どもたちを引き連れて、森へ採集に出掛けるのだ。兄のブルーノに比べて体格的には劣るが、活発で明るい性格で大人たちからも信頼されていた。

 7歳を過ぎて、家計的にはもう見習いに出て食い扶持を稼いでほしいところだった。だが父のオリバーは、体の弱い1歳下の弟ミルコの面倒をみる方を優先させた。ミルコが安定して森に出られるようになるまで、仲間の子どもたち共々、ダニロに任せることにしたのだ。


「おはよう!」


 ダニロが大きな声であいさつをする。


「おはよう、ダニロ」

「おはよう! わあ、ミルコだ!」


 近所の街区の子どもたちと集まるのは、近くの井戸端だ。ミルコは森へ行くのは初めてだが、近所ではよく知られていた。ミルコもみんなにあいさつを返す。


「おはよう、みんな」

「おはよう、ミルコ。元気そうだね」

「うん、もうほとんど病気しなくなったよ」


 平民の子どもたちは仲がいい。7〜8歳で見習いに出されるまではとくに教育もされず、子どもたち同士で行動する。といっても遊びまわるわけではなく、貧しいので何かしら家の手伝いをするのだ。

 ダニロも話に加わる。


「これからはミルコも森に行ける。僕が来るときはいつも参加するよ」

「よかったね! これでみんな一緒だ」


 年の近いもの同士はより仲間意識が強い。6歳になったミルコがようやく森に行けるようになって、みんなも喜んでくれた。


「私ミルコと手を繋ぐ!」


 ミルコと同い年の女の子、エルマがミルコに近寄って手を差し出す。


「え? でも、テオと繋いでいくよ?」

「えー? だめだめ! テオ譲ってよ!」


 エルマがミルコの服の袖を掴んでテオドーアを睨みつけた。


 うぉっ! なんだよミルコ、モテるんじゃん! 母さんに教えてあげなきゃ!


 ダニロは早速できた土産話に思わずニヤニヤと笑いながら成り行きを見守る。テオドーアがおどおどと手を震わせながら慌てた様子で言った。


「えぇぇぇぇ、でもマーレからきちんと見てるようにお願いされてるんだよねぇ」

「きちんと見てればいいじゃない、私が手を繋いでてあげるから大丈夫!」


 エルマの言葉に、テオドーアは少し拗ねたような顔をして「しょうがないなー」と承諾する。実際は拗ねてなどいないが、こうして子どもたちと戯れて遊ぶのをいつも好んでいるのだ。


「ね、私が守っていくよ」

「守る? 何から?」


 ミルコが急にすこし不安げになる。


「森は怖くないんでしょ?」


 振り返ってダニロを見ながらそう訊くミルコは、ちょっとだけ眉尻が下がり気味になっていた。


 おぉっ! 怖がりミルコ出現! なんだよ今日は盛り沢山だな!


 ダニロにとってもミルコの外出の様子を見るのは珍しかった。いつも小さくて震えていたミルコが見せる言動一つひとつが、可愛くて可笑しくて仕方がなかった。

 足まで少し内股気味になっているミルコを見て、ダニロは笑って言った。


「大丈夫だっていつも言ってるだろ? 怖くなんかないよ」

「そうだよ、悪い子もいないし、心配ないよ」


 テオドーアも請け合った。


「ほんとう?」

「ほんとうだよ。僕もテオもいるし、大丈夫さ」


 この年頃の子どもたちは、とくに躾されてるわけではない。それでも、ズルや悪事を犯す子どもはほとんどいなかった。いい加減に暮らしていては生きていけない。その厳しさを子どもながらに感じているのだ。また、下手に悪事がばれると、冗談ではなく死ぬほど折檻されることもある。子どもなどはたくさん生まれてたくさん死んでいく世の中だ。人の命は軽い。迂闊なことはできない。

 ダニロがその場の子どもたちに問いかける。


「今日はみんな森に行くの?」


 森に行く以外にも子どもたちの役割はある。掃除や洗濯などの家事の助けになるようなことの他には、両親の職業に関わることを手伝うことが多い。農業なら草むしり、大工なら手習いにちょっとした加工作業などをしたりする。

 この辺りの地区は森に接していることもあり、薪を集めて他の地区に売ったり、採集した木の実を売ったりする。もちろん、自家用にも使うので家計の助けになるのだ。

 ちなみに街の清掃は貧民の仕事だ。ゴミにはゴミの価値があり、それで成り立つ底辺の経済というものも存在する。ゴミをあさる動物もいたりするが、エムスラントではできるだけ駆除している。疫病の元になるからだ。


「うん、いま集まってるのはみんな森だね」


 答えたのはテオドーアだ。

 子どもたちが森へ行くときは常に年長の子どもと一緒に行動する。いまはダニロが主にその役を担っているが、時々大人がついていく。大抵はクァトロの誰かだった。


「よし、じゃあ行こう」


 一行は森に近い東門へ向けて歩き始めた。




 ミルコがいると少しペースが落ちるが、みんなが少しだけ気にして合わせてくれている。小さい子どもの場合は、初めて森へ行くときついていけなくてぐずることもある。でもミルコは体が弱いと言ってももう6歳だった。多少筋力は足りないが頑張ってついていくことができていた。


「思ったより早く歩けてるじゃん、ミルコ」


 列の後ろからダニロが声をかけると、ミルコが振り返って答える。


「うん、そんなに大変じゃないよ」

「ね。大丈夫だよ、私が手を繋いでるし」


 エルマがミルコと並んで歩きながらお姉さんぶって答えた。


 うへぇ! 母さん、ミルコがよ!


 よく意味もわかってないのに、そんなことを考えてニヤニヤするダニロだった。

 東門を抜けて坂を下り、東城下の街へ出る。街道を少し進んだところの路地を入って、いつもの仲間が待っている小さな広場へ着いた。ここでもミルコは歓迎を受ける。


「おはよう! ミルコ、初めてだね」

「おはよう! ブルーノにそっくりじゃん!」

「ほんとだ! ちっちゃいブルーノだ!」


 兄のブルーノは毎日、東城下を抜けて工場街まで通っている。だから歳が離れた子どもたちでもブルーノの顔をよく覚えていた。


「でも目は違うね」

「うん。目は母さんと同じ」


 ミルコが答える。ミルコの目はマーレと同じ濃い灰色だった。


 そうそう。ミルコの目はいい色なんだよね。


 ダニロはミルコの目の色が好きだったので、意味もなく少し自慢げな気分になる。今のミルコは肌の色も白く、濃い灰色の目がよく似合った。


「一緒に行くのは何人?」


 ダニロが確認する。


「8人!」

「多いな!」


 城壁の中から一緒に来た子どもたちは、テオドーアを除いて6人だった。


「子どもは全部で14人だね」


 テオドーアが合計人数を口に出してくれた。上は7歳のダニロから、下は4歳半を過ぎた男の子まで。クィンクとクァトロ、男の子と女の子が入り混じった一行だ。いつもよりやや多いが、今日はテオドーアもいるから大丈夫だろう。


「騎士団と同じだ!」

「ほんとだ! 同じだ!」


 騎士団の物語は子どもたちに人気だった。14人の魔法騎士が活躍する物語だ。新しい仲間が加わったことと、14人という人数のせいで子どもたちは少し興奮していた。


「うん。まあ、そう言えばそうだね」


 ダニロもいつもだったら少しはしゃいだかもしれない。でも今日はミルコが気になっているのか、あまりはしゃぐ気分になれなかった。


「よし、じゃあ行こう」


 ダニロがそう声をかけ、14人の子どもたちとテオドーアが歩き始めた。




 東城下はそれほど広くなく、子どもたちの足でもすぐに森の側にたどり着く。

 ダニロは街道にみんなを待たせて、ミルコを連れて森番小屋にあいさつをしに行く。丸太小屋と土壁の組み合わさった無骨な小屋だ。


「おはよう、レオン」

「おはよう、ダニロ」


 森番のレオンは、朝のこの時間は外でお茶を飲んでいることが多い。今日も、たまに見かける行商人のおじいさんとお茶を飲んでいた。


「初顔だからあいさつに来たよ。っていうか、レオンっていっつもお茶飲んでるよね」


 実際は朝と夕方だけなのだろうが、ダニロが通るのがいつもその時間帯なので、レオンはいつもお茶を飲んでいるように思えた。


「そうか、よろしくな」


 レオンは後半のお茶のくだりは無視して短く答えた。でも機嫌が悪いわけではない。レオンは必要なことしか話さないから、大抵こんな感じなのだ。


「おお、ミルコじゃの」

「うん、おはよう」


 行商人のおじいさんに声をかけられて、ミルコが答える。


「え? なんで知ってるの?」


 よく見かける顔だったが、ダニロは言葉を交わしたことはなかった。


「この子は長いこと月の市で顔を合わせとったからの。名前を覚えたよ」

「うん、アードリアンさんだよ」


 月の市というのは自宅の近くにある行商人たちがよく店を広げる広場のことだ。


「へー、そっか。ミルコはよく買いものに行ってたもんな」

「うん、アードリアンさんのお店でよく遊んだよ」

「遊ぶ?」


 月の市で遊ぶ? お店で?


 ダニロも月の市に行ったことはあるが、小さな頃のことなので記憶が曖昧だった。だから行商人の店で遊ぶという言葉にピンとこなかった。


「おお、わしの売り物は変わったものが多くての」


 アードリアンはそう言いながら外套のポケットに手を突っ込むと、ジャラジャラとひとつかみの雑貨を卓の上に出した。


「わぁ! すっげえな」


 出されたのは、細かい細工がされた動物の置物や、鍵につける小さな彫刻、腕に巻きつける飾り紐など。娯楽の少ない平民暮らしのダニロには、小さな置物や玩具でもとても珍しいものだった。


 あれ? この感じ見たことあるな。


 指の爪ほどの大きさの透き通った石を見て、ダニロはなんだかやけに身近なもののような気がした。


「これ……魔石?」


 その石の色は、オリバーがたまに持ち帰ってくる魔石の欠片に似ていた。大きさは見たことがないほど大きいが。


「おお、そうじゃ。よく知っておるのぉ」


 アードリアンが教えてくれる。


「へぇ、大きいとこんなに綺麗なんだね」


 ダニロは思わず手にとって目を近づけ、しげしげと眺めた。


「ほっほっほ。綺麗じゃろう。ただ、素手ではあまり触らん方がいいな」


 アードリアンはそう言うと、ダニロから魔石を取り上げてしまった。


 自分は素手で掴んでるじゃんか。


 ダニロがちょっと機嫌を損ねそうになったとき、アードリアンが別のポケットからさらに大きな魔石を取り出した。


「こっちなら大丈夫じゃ」


 それは透明な魔石だった。小さな真四角の木に嵌め込まれていて、直接触らなくてもよく見ることができる。大きさは先ほどの魔石よりずっと大きく、ミルコの瞳ほどもあった。


「透明だ! こんなの見たことないよ! すっげぇ!」

「ほっほっほ。すごいじゃろう」


 と少し自慢げに言ったアードリアンだったが、


「……はて、平民なのに他の色の魔石は見たことがあるのかの?」

「ダニロの父親は鉱石工場の工夫だからな」


 レオンがそう言ってアードリアンの疑問に答えた。


「ああ、なるほどの」

「青以外は見たことがあるよ。小ちゃい欠片だけどね」


 そうミルコが相槌を打つ間も、ダニロはポカンと口を開けながら透明な魔石を光に透かして眺めていた。


 うわぁ……透明なのに向こうの光は青く見えるんだ……


 しばらく魔石に見入っていたところへ、ふいに待っている一行から声が掛かった。


「おーい、ダニロ! 早くしないと帰りが遅くなっちゃうよ」

「あっ、やっべ」


 ダニロはそう言ってあわてて魔石を卓の上に置くと、レオンに向き直って慌ただしく言った。


「じゃあレオン。ミルコだから、よろしくね。あと、今日は4歳の子もいるからあまり深く入らないよ」

「そうか、わかったよ」


 レオンがそれだけ答えるのを聞くと、ダニロはミルコの手を取って「ごめんごめん」と言いながらみんなのところへ駆け戻っていった。

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