朱雀堂(未完)

 逗子の方を少しだけ散歩してから、一つにつき十銭の団子を買って鎌倉まで戻った。先程「朱雀堂すざくどう」に預けたハツヨの修繕が、もうそろそろ終わる頃だろうと踏んだからであった。しかし、朱雀堂の主人はまだハツヨの中身をすべて取り出して鄭重ていちょうに氷水の中へ沈め、殺菌をしている間に玉露を飲みながら、呑気に座敷へ肘を着いて横になっていた。元来こうした性分である主人だから、私は怒るともなくただ呆れて「また暇を潰しているのかい」と言ったら、主人は言葉を一つ一つ洗いながら喋っているかのようにゆっくりと「そう急ぐものじゃないからねえ」と言った。

「そうかね。私はできるだけ急いでほしい。ハツヨの新鮮な肉体が腐ってしまうじゃないか」

「馬鹿を言うな。私の店で肉体を腐らさたことなど一度もない。いいかい、氷水に浸すことも、残った皮を日に曝しておくのも、何れにしろ大切な作業なのだよ」

 主人は再び玉露を飲むと、徐に立ち上がって私が団子を懐に戻ってきたことを敏感に嗅ぎ当て、「いい土産じゃないか」と舌を出しながら手をこちらへ伸ばしてきたから、終わるまでは駄目だと告げて団子を高く上げた。一瞬烏のような、不服そうな表情をしてみせたが溜息をついて「仕方がない、仕方がない」としきりに呟きながら座敷へ戻り寝転んだ。ほとほと呆れて何も言えず、彼が仕事を始めるまで朱雀堂を見学することにした。

 鎌倉、鶴岡八幡宮の膝下に碁盤の如く幾条も交差しあう中の、最も端の辺りに生えるようにしてちんまり建っている店が朱雀堂である。近頃は修繕道具を尾戸屋おとやという連中らが貸し歩いているが、やはり女人の修繕は朱雀堂の主人のような技師に一任するに限る。素人が下手に手を加えるのは危うく、肌に白粉を塗って血管を通す「水入り」という作業や、複雑な位置関係にある内臓を体内に納める「納臓のうぞう」などとても手に負えたものではない。内蔵なんぞ多少乱れていても構わないであろうと言う輩もいるが、例えば腎臓の位置や処置を間違えると体内機能に異常をきたし、顔色や肌色に変化が生じて醜く思われてしまう。また水入りも一見して最低限人間の形状を成り立たせるだけの手業に思われるが、これはお椀や壺に飾られる螺鈿らでん、彫刻と同様で、目の肥えたものであれば血管のめぐり方一つに様様な美の缺点けってんを見つけ、或いは僅かな青筋の色合いにも多大な美麗の花開く様子を拾い上げるのである。

「ところで君、例の徒弟はどうしたんだい」

「ああ彼か。今日はちょっと休んでるよ。何よくあることさ。この仕事は馴れない人からすれば気持が悪くてしようがないからね」

 言葉の合間に小さな溜息を吐きつつ、古ぼけた天上を仰いで言った。それは、自分へ向けて言ってるのだろうと思った。きっと主人は、大多数のものからの侮蔑を受けそうな職だと理解しながら、それでも女人修繕の仕事に相応の矜持を抱いている。彼の骨太い信念と思想に惹かれ、数ある名匠の中からこの朱雀堂を選び、好んで通っていた。

「名前を何と言ったっけ」

「野口かづお」

「そうだそうだ。彼は女人を所持していたかな」

「彼のお父さんが、何でも大蔵省の官吏で、ずいぶん良いモノを持ってるそうだ。お抱えの職人に網干あぼしのみづ三平っていう腕ききがいて、なんでも肌の白さが一方ならぬと聞いている」

「へえそれは是非見てみたい」

「なんだ、三平のほうが良いのかい。水入りは劣るかもしれないが、納臓や玉づけでは勝るはずだよ」

「負けたって仕方がないさ。あっちは官府かんぷろくんでるようなもの、年中平静なここのおっとりな腕とは比較にならない」

 こうやってからかうと、決まって主人はそっぽを向き、まあ見ていろとぶっきらぼうに言う。こんな無愛想なことを言う私だが、この主人の玉づけは天下一品であると知っているから、別段心配することはなかった。

 玉づけというのは玉、即ち眼球の手入れのことで、人体の中でも殊に繊細な心臓、脳、眼球の洗浄、設えは並の職人が完璧に行うには十年掛かると言われている。心臓と脳は長い目で見て人体の外観に変化を齎す部分だから、別段見た目に拘ってやたら美しく仕上げなくても良いのだが、眼球はそうは行かない。例えば西洋風の、恰も珠玉の如く爛漫らんまんに輝き、暈影うんえいがつぶらな黒目を縁取って虹彩を散らし、天光を受けて深く光が刻まれて陰翳いんえいの色濃く滲み漂う様、これを全くの瑕疵かしをなしに表してみせるのは、世界広しと言えどこの男だけである。主人の眼への拘泥こうでいははなはだしく、そもそも彼が修繕職を目指したのはこの眼があったからである。

 窃視を受けて興奮するような性質であったから、生来眼と縁の深い人間だったが、ある時自ら窃視を行うよう日常に意識をしていて、次第に能動的な性的興奮を覚えるようになったのが、女人修繕のきっかけである。彼は誰かに見られることを解体と呼び、また誰かを見ることを構築と言った。解体と構築という概念は絶えず緊密を保ちつづけるから、対する眼なくては己の眼非ずに同じというのが持論であった。それが高じてしまい、大変に鋭い主人の眼力を相手側の女性に求めるようになり、しかし彼と同様の鋭感を備えるような優秀な眼球を有する女性などそうはいないから、自らお眼鏡にかなうような女性の眼球を作ろう、そう思って弟子入りしたのが、今では鈴鹿の方に隠居しておられる政次郎まさじろうという職人であった。卓越した技術と観察眼を有していた政次郎だが、水際立って凄まじい手腕であったのが納臓である。彼の元で四年ほど下積みをしてから、ここの朱雀堂にお棚を開いて、近頃漸く常連が二桁を超えて稼ぎが安定しはじめたという。修繕は一人あたりの値が高いから、常連を幾人か作っていれば恰度日々の飯には困らぬくらいの生活ができるが、朱雀堂は政次郎の教えに倣って安い値で売るものだから、ろくに商売になりそうもない。なにせ、修繕自体にも多分の金が掛かるのである。

 例えば水入れに必要不可欠な、舶来品の硝子管しょうしかん。実際に硝子がらすで作られているわけではないが、同じくらいの透きとおった管で、光を浴びるとかすかに青い微光を放つのが特徴である。この長い管は肌に通した血管の位置や美しさを確かめるための代物だが、これだけでも二百円ほど掛かる。次に、水入れした血管へ送る血液、これは大方赤く着色してある模造品だが、朱雀堂で扱っているのは本物の血液であり、従ってその値段も格段の差がある。一人頭の修繕費用は大体三百円ほどだが、朱雀堂はこれを百円で行うから、商いにならない。

「そういえば、僕は君の玉づけを見たことがない」

「見せてたまるものか。僕の専売だぞ」

「いいじゃないか。僕は大体、三度も修理を依頼している、これでも三百円近く払っているのだ」

「300円がなんだ。僕は七百円近く費やしている。だいたい君はハツヨの扱いが荒いのだ。ほら見てみろ。強く掴むものだから、腕にすっかり跡が残っている。この修繕も大変なんだぞ」

「それはすまないな。もう、持ってこないようにするから。後生だから」

「いやだ。持ってこられないと僕の生活がどうにもならない」

 つねにこういう調子だから私もほとほと呆れて沈黙に陥るほかないのである。玉づけの主な作業は、眼球を解体しそれぞれ丁寧に洗って、もう一度嵌め直す際に種々の液を塗る、入れるで廻りを良くし、出来上がったものをハンケチのようなもので拭いてから、場合によっては色を塗る。この塗抹作業が実に困難で、表面に赤だの青だのを塗りたくればよいわけではない、中を開いてから、良くめぐる液を流し込み、光沢を小指の爪ほどの刷毛で施す。


《未完》

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