夏門丈六 掌編集

夏門丈六

指人形

 作業に行き詰まると、つい出来心から窓を開けて窓外のひろい公園を眺めるのが常になって、妻や知己ちきの余計な誤解を受けるのが嫌だから、近頃は控えようと思い始めた間だが、低い足を土場に差し込んだ簡素な木机と七つの丸椅子に集まり、飯事をしたり花輪を造ったり、思いがけず立ち上がってゴム紐遊びをしたりという風景を見ながら、つい心を和らげるのに随分と馴れてしまっていた。あのいとけない顔つきや、何事もない遊びなのにく笑って、心から愉しげにする表情をつぶさに見るのが、私にとってのやんごとない遊びになったのである。秋始めの、まだ日差しが暖かくて、しかし風は涼しいので、私もだいぶ楽になって仕事をすすめるが、それはあの公園に集まる子供たちにも同じのようである。遊びが仕事とでも言うように、厳格な法則に従って遊びをして、決まった時刻に集まり決まった時刻に帰るという真似をする子供らの賢しいことや、あの丸椅子がいつも缺落けつらくのないままで、一人が来なくなればまた一人が補充されるというようなことへの驚きは一通りでなかった。あまりに厳正に運営される子供らの遊戯を見て、私自身が悪寒のようなものに駆られて、血の透けるような白く小さい手で馴れた風に、花壇に群生する白詰草しろつめくさを根から折って何本も束ね、あたまに乗せてくるくる廻っている姿などは、いかにも生命を踏みつけ美容を肥やす魔女にも思われて、そのたびに、いくら紙の上には外面次菩薩内心如夜叉げめんじぼさつないしんにょやしゃを描こうとて、そんな妄想を現実と重ねるのははばかられるという一つの理性を働かせて、なんとかこの恐怖を抑えつけるのである。

 最近は玩具も新しくなって、安価な人形が出回るようになった。その時代の流れは、巡って家の下の、件の公園にも波及した。子供らが一種の合鍵であり記章として携えるのは、大なり小なり美麗な人形であり、その値段や価値によって彼女らの地位は一変した。どんなにまずい顔の子供でも、見目麗しい磁器人形を持ってくればその集団の中で就中なかんずく尊ばれ、どんなに優しく愛らしい児でも、人形を持っていなければ蔑まれた。遊びにふける愉快な表情の裏に、目算五歳から七歳の少女らの峻険しゅんけんな社会性を見るに疲弊して、次第に公園を見下すこともなくなっていった。着せ替えの洋服を地面に無碍に捨てて、そこへ別の女児が遊び終えた花を添えて行くので、あたかもそれが仏花に見え、分けて鮮やかな藤黄の鶏頭を棄てていったときは、目覚しい時代に古びていった文化の墓標のようで哀れらしく、花が徐々に枯れて行く様を思うと忍びなかった。この哀切な、古びた頭による繊細な観念は、花が枯れゆく前から、根と切り離されたから死んでいるのではないかと思うときに、ことさら悲愴に思われた。古い物は、枯れていく前からとうに死んでいて、その威力が衰えるのは死体が腐るようなものではないかという疑心に苛まれたからである。

 いつしか私はすっかり彼女らの戲れを見ないようになったが、ある時のことである。もう六歳になる姪を一週間も預かることになった。子供嫌いの妻が嫌そうに応対し、緘黙かんもくで不精者の私に構ってもらえず可哀想な眼を見るのは明らかで、それにも拘らず清らかな笑顔で、恥ずかしげに掌を握るものだから、ずいぶん困った。誰にも等しく物静かなだけの私と、多弁を蔑み平静を愛する妻とでは子供への意識がまるで違って、そのせいか姪も居心地の悪い思いから公園までしげく通って、件の少女たちの遊びにまざるようになり、私も二階の窓から見下ろしていたかつてから、公園のベンチに腰掛けてじかにあの遊びを見ることになった。さしも怯えていたものを間近に眺めることほど、心を震わせた恐怖はなかった。

 運の良いことに、彼女らが絶対に保持し続ける七つの席のうちの一つが、偶然にも姪が来たあたりから空いていた。後は姪が人形を差し出して、一言入れてほしいわと、なよやかに告げられれば。それができるならば……。

 少女らへの私の狼狽など知らぬように、姪は三尺ほどの体に渾身の勇気を漲らせて、蕾のような掌を震わせながら、今まさに声を掛けんとしていた。柔らかい唇にほのかな黒い影が浮かんだかと思ったが、それは彼女の口が恥じらいのあまりに細かな粒さえ通らぬほど小さい開き方であったからである。そのときようやく私は、ある当然の事実に気づいてしまい、思わず呼び止めようとした。しかし、姪は懐から小さな何かを取り出して見せ出したので、私は感心した。この公園だけの儀礼と思いっていたが、実は世界のどこであっても、少女らの仲間になるための切符は決まっているのかもしれなかった。

 姪が着込んでいたのはしかし、飯事に使われるような、頭の小さく体の細長い人形が入るとは思えない洋服であった。私は目を凝らして、掌の上に並んだ小さな人形を見た。指人形であった。

 不仕合せなほどの憐憫と、仕合せなほどの安らぎが、私の心を漱いだり、汚したりした。あの少女のあどけない手の上を飾り付けるのは、なんの重量も持たぬ軽やかな指人形である。高価な洋装人形と比べて、なんと清廉であろう! 美麗に飾られた物の、絢爛な輝きよりも、指人形の軽はずみなたたずまいの方が、よほど優しく思われた。しかし、机に座って、恰度お金持ちの婦人同士が鞄を自慢しあっているという小劇をしていたところに割り込まれて、些か不愉快な顔をした彼女らの目は、一瞬指人形の品定めのために子供らしい輝きを失って、悪言を口走る時の動きを手で隠すような、したたかな婦女のように、意地悪く動いた。しばらくの返答を所在なさげに待ちわびた姪だったが、彼女らの仕打ちは残酷であった――指人形は、素早く繰り出された平手によって地面にばらばらと落ちた。

 冷水を浴びせられたようにうそ寒く、姪を扶けることもしばし忘れて、今に見た光景に私は愕然とせねばならなかった。子供と言うのはどこまで残酷なことを、残酷でないと思い込みながらし続けられるのだろうか。遊びの足を折って地面にしゃがみこんだ姪に、急ぎ駆け寄ってその肩を抱いたが、目の前でもろく崩れ落ちた少女の心を斟酌しんしゃくしようなどとは夢に思わない無邪気な少女たちは、自分たちの世界と社会にこもって、楽しそうに話していた。姪を抱きかかえ家に戻ろうとしたときに、少女の内の一人――厳しい眼差しをした少女が私をちらと見た。あの眼は少女の眼でなかった。優越を覚えた、人の目をしている。………

 恐怖が薄れるとともに怒りがふつふつとこみ上げてきたが、私のような大人が怒鳴り散らしてもなんの効もなさないし、それではこの子があんまり不憫で、妻に事情を話し(生来の子供嫌いでも、これには少しばかり怒りを呈した)、いくばくかの銭を握って、かの子供たちも見ないような高価な人形を買い求めた。思えば、姪の母、すなわち妻の妹はこのような玩具に金を費やす性分ではなくて、あの指人形も母に買ってもらったのではなく知人に譲られたものであろう。丁寧に包装された箱を大事そうに抱えながら、そんなことを思った。箱に詰めるときに、人形の蒼い瞳が鋭く光ったように見えて、怖気を振るった。まるで、自分が如何に使われるかの宿命について、よく了知しているかのような。………

 姪はたいそう歓び、次の日に彼女らと一緒に遊ぶようになってから、彼女の歓びはしばらく続いた。むろん、私の歓びというのも、しばらくは続いた。この歓びは、姪が帰る頃までに続くだろうと思った。


 姪が帰る日、夜の七時に迎えに来ると言う話だったから、最初は険悪な出会い方であったけれども、やはり幾日も親しく遊んだために、小胆な姪もわざとのような涙を流して別離を惜しんだ。現実的な、冷え切った眼差しをした他の子供らも、皆一様に涙を流した。子供らしくない姿を散々見続けてきた私は、その情景に胸を打たれ、水垢離みずごり取ったような健やかな歓喜に満ち満ちていた。

 その時、涙を流している姪の傍に、一人の、今の時分は珍しい小袖を来た少女が近づいた。少女は袖で躊躇いがちに頬を隠しながら、掌に置かれた指人形を、大切にしている宝石のような鄭重ていちょうな扱いをしながら見せた。なんという奇跡であろう、指人形から始まった姪の飯事は、新たな指人形に変わられるのか。私はますますよろこんだ。しかしその反応は、ゆくりないものであった。差し出している腕が強く叩かれて、その指人形が地面に転がった。泣きはらして眼の赤かった姪が、見たこともない冷酷な面をしていた。あまり怖くて、私は逃げ出すところであった。


 爾後じご私達夫婦は、ともに子供嫌いというところで、趣向が一致するようになった。思いがけず妻と気の合うところが出来たのは僥倖だが、姪が帰って後に全ての事を話すと、「私が子供を嫌うのは、単純にうるさいというだけではなくて、子供の頃に嫌というほどあの恐ろしさを知ってしまったから」とうら寂しげに云った。妻の老けた顔を見ながら、あの時見せた姪の冷たい目つきを思い出し、閉口した。

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