第51話 わずかな希望

 未来は無い?

 あと2、3日の命?

 頭の中が真っ白になる。

 思考能力が欠落したようにその言葉を反芻する。


「……何、冗談言ってるんだ? 言っていいことと悪いことがあるだろ」

「冗談など言ってどうする。 奴隷は従わなければ死ぬ運命にあるのだ。 それはこの世界では常識ではないか」

「常識ってなんだよ、そんなもん知らねぇよ!」

「……そうだな貴様はこの世界の人間ではないのだものな。 知らないのも当然か」


 はぁ、と一つ大きなため息を吐く。

 そして続きの言葉を口にする。


「奴隷と言うのは主人に逆らうことができないよう、ある特殊な紋章を体に刻まれる。 それがこれだ」


 少女の着ている麻の服をめくるロイス。

 お腹のあたりに真っ赤な紋章が見えた。

 まるで血で刻印されたような真紅の呪縛。


「この紋章は奴隷の証であるとともにいくつかの制約がかけられる。 ……呪いと言ってもいいだろう」


 説明を続けるロイス。


「まず1つ目が主人への絶対忠誠だ。 命令を聞かない奴隷などいても無意味だからな。 ある意味、最低条件といったところだろう。 2つ目は能力やスキルの封印だ。 絶対忠誠と似てはいるが、常時発動するスキルなども存在するし、場合によっては主人に危害を加えることも出来る。 そのため、主人自らが能力やスキルを自由に使えるよう制限をかけるんだ。 そして3つ目が今の問題となっている制限、主人の手元から離れた奴隷は死ぬというものだ」


 奴隷は過酷な条件下で生きている。

 彼らが主人に憎しみを感じることは当然のことだ。

 そんな奴隷たちが捨てられる。

 奴隷の時代に生まれた怨恨。

 暴力で痛めつけられた身体。

 罵倒によって削られた精神。

 憎悪を抱くには十分すぎる環境だ。

 もちろん、処分する際には確実に死に至るような処置を取るだろう。

 しかし、万が一にでも奴隷が復活したらどうなるか。

 そんなことは火を見るより明らかだろう。

 矛先は元の主人に向けられるのだ。


 再び、脳の動きが止まる。

 いや、実際には止まっていないのだろうな。

 今言われた言葉を正直に受け入れることができないのだ。

 きっと俺の脳内はフル回転していて、いろんな可能性を模索している。

 少女の死なない未来を求めて。


 ただの聞き間違いではないだろうか?

 もし聞き間違いではなかったとしても、いくつもの考えが浮かんでくる。

 単純に奴隷紋を消せばいいのではないだろうか?

 そうすればロイスの言っていた制約が失われる。

 奴隷紋を消せなくても元の主人にその制約を破棄してもらえばいいのではないか?

 制約を人に付与することができるのだ、消せないほうがおかしい。

 ダメージを受けるような現象が起きるのであれば回復薬を使えばどうにかなるのではないか?

 さっきロイスは体力が0になってもすぐに死んだりはしないといった。

 それならばすぐに回復薬で復活することができるはずだ。

 その前に呪いを消すような薬があるのではないか?

 人を苦しめる忌々しい紋章。

 それには対抗策も準備されていて当然だ。


 ……なんてことはない。

 少し考えるだけで、こんなにも可能性が広がっている。

 何も心配することはないんだ。

 

 いやそもそも死ぬのは本当なのだろうか? 

 何の根拠もない言いがかりだって考えられる。

 そうだ。

 ロイスが嘘を言っているんだ。

 俺を困らせようとしているのかもしれない。


 さきの戦いでロイスは精神的なダメージを負った。

 この国でも相当慕われており、厳格な聖騎士だった彼女。

 ロイスは地位を捨ててまで逃げ出したくなる現状に陥っている。

 それは間違いない事実だ。

 だから俺に嫌味を吐いてもおかしくはない。


 ……いや冷静になろう。

 そんな考えはおかしい。

 ロイスは死にそうな少女を助けてくれたじゃないか。

 何を馬鹿なことを考えているんだ俺は。

 ぐるぐると脳みそが回転し、心にもないことが浮かんで行く。

 嫌な性格だ。


「嘘……じゃないんだな?」


 張り巡らされていた思考を払拭するように、俺は今一度問いかけた。

 疑心暗鬼は人の思考を曇らせる。

 何でもないことを怖いと思ったり、罪のない人間に罪を着せる冤罪のように。


「信じる信じないかは貴様次第だ。 どちらにせよ助からない運命は変わらないのだから」


 そうだ。

 この話が真実であろうとなかろうとやることは変わらない。

 この奴隷だった少女を助けることだ。

 もし、ロイスのことが嘘だったとしても、少女を助けるためには最善を尽くさねばならない。


 ふわりと少女の体が浮かび上がる。

 その周囲の空間に幾何学模様を浮かべた障壁を作り出す。

 いくつもの魔法陣が折り重なり、彼女を包み込む。

 病室を照らす白い光は太陽のように暖かかった。


「アナライズ」


 現在の少女の状況を解析。

 バイタルは回復傾向。

 体温も正常範囲内を推移。

 脈拍、心拍数ともに安定。

 エーテル波動、異常なし。

 魔術的要素の確認。


 頭の中に流れ込んでくるデータ。

 それを精査し、少女の状態を把握していく。

 ……見つけた。

 現代世界も異世界も変わらない。

 一つの現象を起こすには、その根源となるものが必ず存在する。

 制約を生むには、制約を生むための何かが必要になる。

 単純に奴隷紋を消すだけでは身体に刻まれた呪いは解除できないのだ。


 その発生源が体中に染み付いているこのコードだ。

 だが、頭の中に浮かび上がるその文字列を見て再び絶望に落とされる。

 これを改変すれば間違いなく呪いというものは解けるはずだ。

 しかし……。


 見たこともない羅列。

 尋常ではない情報量に眩暈を起こす。

 複雑に折り重なったコードはどこから改変すればよいかまったく見当がつかなかった。

 あるいは時間があればそれも可能かもしれない。

 しかし、今は一刻の猶予も許されない。

 もって2、3日。

 とてもではないが治すことは不可能だ。


「なんだこのバリアは?」


 ロイスが疑問を投げかける。


「この子の状態を確認するための魔法だ。 だが、だめだ……」


 どうすればこの子を助けられるのか。

 神谷でも無理なのだろうか。

 勇者のスキルであればこの状態異常を防げないのだろうか。


「神谷、お前の力でも無理なのか?」

「うーん、残念だけど僕にできることは傷と一般的な病気の治療くらいだね。 まだ、こちらの魔法というものがわかっていないから、施術のしようがない」


 やはりダメなのか。

 何をすればこの子は助かるんだ。

 わからない。


「ただ、1つ可能性はあると思う」


 神谷から驚きの一言が飛び出した。

 俺も出来る限りのことを考えた。

 それでも解決に至らなかった。

 早くその続きを教えてくれ。


「例の魔族が持っていたエリクシルだよ。 あの薬はおかしい。 この世界の最上位ポーションを使ってもラフタルちゃんは恐らくは死んでいたと思う。 ロイスさんそうですよね?」

「ああ、とてもではないが回復できるようなケガじゃなかった。 私の回復魔法はいわずもがなだ」

「詳しくはわかりませんが、可能性としては大いにあり得るんじゃないでしょうか?」


 エリクシルか……。

 カノープスが持っているのであれば譲ってはくれないだろうか。

 いやしかし、それはあまりにも危険な賭けだ。

 そもそも、どこにいるかわからない。

 しかも戦争を仕掛けてくる側の魔族だ。

 信用はできない。


「可能性があったとしても、入手自体が無理ではないか?」

「いえ、実は私も気になって色々調べていたんですが、どうやらダンジョンで取れるみたいなんですよ。 ただ、ある意味では無理なのかもしれません。 最低限ダンジョンの最下層に行く必要があるみたいです」

「それは本当なのか神谷!?」

「本当なのかはわからないですね。 王城の図書室で偶然見つけた古文書みたいのに書いてあっただけなので……」


 試してみる価値はある。

 ダンジョンは広く深い。

 でも、不可能なコードの紐解きや、ありもしない可能性に縋るより、よっぽど現実的だ。

 迷うことなんて一切考える必要ない。

 ただ単純に、俺が最下層まで駆け抜ければいい話だ。


「ダンジョン行ってくる」


 ベットに寝ている少女を背中に背負い。

 病室を飛び出す。

 二人の声が聞こえた気がしたが、急がねばならない。

 タイムリミットはもうすぐそこなのだから。


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