第30話 制約
人は死ぬ瞬間、恐ろしく時間が緩やかになるという。
今まさに私が体験していることがそれだった。
周囲の音が遠くなり、体が重くなる。
その反面、脳内がクリアになり、今まで体験してきた出来事が思い浮かんでは消えていく。
自分が生きてきたその情景は夜空を流れる星のように一瞬輝いては消えていく。
楽しかった思い出、悲しかった思い出、本当に色々なことがあった。
色々な人に認められ聖騎士となったこと、戦いの中で知り合いが死んでしまったこと、友人と学生生活を過ごしたこと、誰にも知られたくなかった秘密をみられたこと。
思い返すと自分は他人の望むままに生きてきたような気がする。
魔物も倒すのは好きじゃない。
怖い人が嫌い。
血を見るのが怖い。
痛いのが嫌だ。
かわいい動物といっしょに笑って過ごしていたかった。
今思うとなんで聖騎士になったんだろう。
自分が嫌いなものだらけじゃないか。
ここに立っていることだってそうだ。
最初にあいつに出会ったとき直観でわかっていたんだ。
戦ってはダメだって。
だけど聖騎士としての行いを兄上達に諭された。
それは正しいと思うし、間違ってはいないと思う。
国を守るために私たちが先頭に立つこと。
それが自分のやることだと言い聞かせた。
しかし、本当の死が訪れる場面になると後悔しかなかった。
他人の顔色を窺って生きてきた自分を呪いたい。
日に日にできるようことが増えて、そのたびに周りからちやほやされる。
それが居心地悪いわけではなかった。
でも後悔なく生きて来たかと問われると、決してそうではない。
迫りくる炎の壁。
いや炎とは言い難い。
炎とは本来赤くてはならないのだが燃え盛るその壁は緑色に輝いている。
触れた物体は石だろうと草だろうと木だろうと瞬時にその存在を焼失させる。
目の前に広がる避けようがない圧倒的な力。
遥かな頂に存在する究極の攻撃に他ならない。
脳だけがぐるぐると思考を巡らせていく。
だが、体が、心が動かない。
もうダメだと告げている。
唯一反応できていたのは師匠だった。
なにもかもがスローモーな世界で私たちの前に颯爽と現れる。
その背中はとても頼もしい。
目の前の炎の壁を防ぐように広がっていく防御壁。
ラウム王国最強と称されてきた師匠。
今まで研鑽してきた彼の鍛錬の賜物といっても間違いないだろう。
防御壁は炎の壁にぶつかると全体にヒビが入りガラスを割ったかのように粉々に砕け散る。
そして、師匠の姿が光にかき消された。
兄上が飲み込まれ、私たちもその奔流に飲まれていく。
思考を巡らせていた脳内も併せて真っ白になる。
今私はどこにいるのか。
死んだのか?
上も下も左も右もわからない。
そんな空間が広がっている。
これが死後の世界とでも言うのだろうか。
「……」
声のようなものが聞こえる。
何を言っているのかはわからない。
恐らく私は死んだのだろう。
だからいま聞こえた声は天使か何かの言葉。
もし生まれ変わるのであれば次は自分の生きたいように生きてみたい。
そう願っておこう。
「……これはおもしろい!」
覆っていた光が一瞬で晴れ、見慣れた背中が瞳に写る。
森林地帯であった周辺は一切の物体が消失し荒野となっていた。
むき出しの岩石は赤熱し、場所によってはドロドロとした液体が。
圧倒的な力の前に麻痺していた五感が戻ってくる。
心臓の鼓動が聞こえ、血が巡っていく。
生きているのか?
「大丈夫か!?」
師匠の声が聞こえた。
思考がおいつかない。
なぜ私は生きているのか?
ここは現実なのか?
わからない。
目の前には変わらず立ち尽くす兄上がいる。
隣には勇者の飛騨が唖然とした姿を見せている。
何も変わったところはない。
そしてラフタルも。
「ラフタル!?」
思わず声が出た。
まぎれもなくここは現実だったのだ。
なぜ生きているのか、それを考えるのは後。
いつも私に突っかかってくるうっとおしいラフタル。
その彼女の全身がひどく焼け爛れていたのだ。
瀕死の重傷だがまだ生きている。
ポーチに持っていたポーションを取り出し全身に浴びせる。
多少は良くなったが目覚める気配がない。
「へぇそうなるんだぁ」
「貴様ぁ!?」
ラフタルの状態を見て激高する師匠。
今までそんな姿を見たことはなかった。
いつも冷静沈着でクール。
だが今は違う。
台地を踏みしめたその衝撃で地面にヒビが入る。
聖と魔が融合したカオスの力。
人の身では到達できないとされた最高峰の力である。
鞘から抜かれた剣は神速。
しかし奴はそれを当たり前のように受け止める。
剣と鎌が交差し、衝撃が爆風のように吹き荒れた。
その凄まじいまでの剣撃を奴は軽々と処理していく。
まるで稽古をしているようにその次の一手、次の一手が封じられた。
「キミなかなか面白いね! じゃあ鎌での攻撃はどうかな?」
攻撃が弾かれ、体勢を崩される師匠。
襲い掛かる鎌での横なぎは避けようがなかった。
すかさず剣で防御をするも、その刀身がへし折れる。
師匠があぶない!
次の瞬間、耳鳴りがするほどの高い音がギィンと響き渡った。
「鎌でもこうなるのかぁ」
目を疑いたくなるような出来事が起こった。
完全にとらえられたであろう鎌での攻撃。
その一振りは体に当たると不思議な模様が発生し師匠を守ったのだ。
まるで何者かが攻撃を防いでいるように。
鎌の攻撃により弾かれた師匠。
体へのダメージはほぼ皆無のようであったが、攻撃の余波で宙を舞い飛んで行く。
地面が隆起する。
奴が師匠を追いかけるために踏み込んだ結果がこれだ。
ここまで来てしまうと笑うしかない。
世界そのものがあいつの存在に耐えられていないのだ。
瞬時に奴は師匠に追いつくと振りかぶった拳を振り下ろす。
しかし、やはり不思議な模様が現れ防御する。
衝撃だけは無くならず、激しく地面にたたきつけられ焼け溶けた地面が舞い上がる。
ただのパンチがヴィネー様の魔法をはるかに超える破壊力を持つ。
「直接攻撃もダメ……か、なるほどなるほど」
数百メートルはくだらない巨大なクレーター。
その中央で大の字に横たわる師匠。
やはりダメージは一切ないように見えた。
奴は空中を蹴り、クレーターの淵に着地する。
強者の余裕とでもいうのだろうか。
こぼれる笑みが止まらないようだった。
「いいよ! いいよ! 実に面白い! これだけの攻撃を受けてもまだ生きているなんて!」
「……どうして私は生きているのですか?」
「ふふっ! それは秘密だよ! いまいちかなーって思ってたけどキミもなかなかいいよ!」
「……あなたの攻撃が効かないのであれば、恐れる必要はありません!」
師匠の腕には折れた剣。
独特の歩法により刹那の時間で距離を詰める。
自らが負けることは一切考慮していない余裕の表情を浮かべる悪魔。
刀身のない剣が空を切り裂く。
一呼吸おいて奴の頬が裂け、赤い血が滴った。
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