第31話 夢
陥没した荒野の淵。
緑色の炎を宿した悪魔が佇む。
一切の焦りを見せないその表情は、やんわりとしたほほ笑みを浮かべていた。
普段であれば心が落ち着くような優しい笑顔なのかもしれない。
しかし、底知れない力を前にした後では狂気を感じずにはいられない。
「ふふっ僕に傷をつけるなんて期待以上かな? いやいや、やっぱり色々経験してみるものだね! まだまだ僕の知らない現象が、僕の知らない法則が、この世界には広がっているんだ! 素晴らしい! さぁもっと僕に見せてくれ! 」
「言われなくても見せてあげますよ!」
師匠は折れた刀身を真上に掲げ集中する。
防御をすべて捨てた諸刃の一撃。
それを可能にしているのがなぞの防御壁の存在だ。
奴の攻撃がいくら強くてもこちらにはなぜかダメージが無い。
もはやそれに縋るしかあいつを止められる方法はないのだろう。
だからこそすべてを攻撃に捧げることができるのだ。
無音の刃は再び空を斬る。
奴の体を斜めに分断するように振り下ろされる剣。
私もあのような技は見たことがなかった。
膨大な力を感じるわけでも、スピードが速いわけでもない。
しかし、その効果は絶大。
振り下ろされた延長線がザンッっと深い傷跡を残す。
何をしたのかはわからない。
だが間違いなく師匠が引き起こした攻撃だ。
もう一振り、刃の無い剣を振るう。
息の根を瞬時に刈り取るような攻撃は続けて空を斬る。
そして、再度、奴に傷をつける。
圧倒的な力を持つあいつに攻撃が届いたのだ。
師匠は本当にすごい人だ。
最初から絶望し戦いすらしなかった。
そんな弱虫な私とは違う。
勇敢で優しく、この国の人たちを思いやる。
騎士としてこれほど相応しい人はいないだろう。
今も足がすくんで動けないこんな私とは違うのだ。
「……なぜだかわかんないですけど、俺たちはあいつの攻撃じゃ死なないみたいです。 なんとなくそれがわかりました。 ……俺も行きます!」
呆然と立ち尽くしていた飛騨が勇み立つ。
まだ、発展途上の勇者。
その強さは私よりもきっと弱いに違いない。
そんな彼が戦うと言ったのだ。
実力は歴然。
だが心だけは私よりも遥かに騎士としてふさわしい。
空気が揺れ、地鳴りが響く。
「残念だけど、そんな攻撃じゃ僕は死なないよ?」
乱舞が不意に止まった。
師匠は顔面をわし掴みされ、地面にたたきつけられる。
崩壊する岩石へと容赦なくめり込んでいく体。
なすがままに身をゆだねるしかない。
師匠へのダメージは一切ないようだが、本来であれば死に直結する。
その極限の状態に置かれるだけで精神的なダメージが追加されていくことだろう。
力づくで押さえつけられ身動き一つとれないようだった。
「勘違いしてもらうと困るんだけど、そんな攻撃ちょっと工夫すれば傷すらつかないんだよ? そこんとこよく考えておいてね! 傷口だってほら!」
その言葉と同時に切り裂いた傷口がふさがっていく。
頬の傷も何もなかったかのように元通り。
今までの攻撃がすべて無に返る。
そんなの反則じゃないか。
攻撃しても死なず、ダメージを与えても再生する。
なんの冗談だろうか。
「化け物め……」
「化け物かぁ~そういわれるのも久しぶりだな~。 そもそも僕と戦おうなんて輩はいなかったから……。 こうして、ただ単純に戦うことができる、この現状に感謝しなきゃならないね」
不意を突いた飛騨が背後から襲い掛かる。
師匠に夢中になっている隙を逃さない、完全なる奇襲。
ヴィネー様も一目を置いていた勇者だ。
潜在能力は計り知れない。
デモンズロードからの来訪者。
それらを排除するために呼ばれた存在なのだ。
振られた剣は光輝く軌跡を浮かべる。
こちらも詳しくはわからないがスキルに関連した攻撃だろう。
彼は光炎、剣技スキル、ラーの加護といったスキルを持っていた。
光炎とは文字の如く光による熱線を放つことができるものだ。
非常に珍しいスキルであることは言うまでもない。
通常であれば魔法スキル(火)を持つ者が多いが、それの完全なる上位互換と言ってもいい。
つまるところ光炎と剣技スキルと組み合わせ超高温による斬撃を繰り出したというところだろう。
スキル同士を組み合わせて使うことは実はとても難しい。
何度も失敗を重ねて実現する高等技術だ。
この短期間でそれを可能にする彼の技量には賞賛を送らざるを得ない。
ラーの加護については効果がわからなかった。
あらゆるスキルに精通しているヴィネー様がさじを投げるほどのレアスキル。
私たちの期待が集まる未知の力である。
勇者たちの話ではラーとは以前の世界で神を示す名の一つとのことだった。
神の名を持つスキル。
それが弱いわけがない。
振るわれる剣に一切反応を見せない緑炎の悪魔。
奴の首元に吸い込まれていく剣筋に容赦はない。
しかし、物理的法則を無視するように飛騨の剣は金属の塊に返る。
無数に砕け散る金属片。
それを見てやはりダメだと突き落とされる。
宙を舞う刀身を奴は素手で掴み握りしめる。
逆手に刃を持ち、飛騨の瞳に目掛けて突き刺した。
だが、やはり変な模様が浮かび上がり攻撃を無効化する。
「ふふっ」
「相手は私ですよ!」
師匠の渾身の一撃。
奴の眼球に突き刺さる軌道を描く無音の突き。
ふわりと笑顔を見せる奴の表情。
愉快な茶番でしかないといったところだろうか。
緑色の目が輝くと同時に不可視の一撃が突き刺さる。
だが先ほどまでとは様子が違う。
少なからず傷をつけていた攻撃が一切の通らなくなっていたのだ。
「……なぜですか!?」
「さあてどうしてでしょう? それを考えるのも戦いの醍醐味じゃないかな?」
体を一回転させての旋風脚。
こめかみに人知を超えた蹴撃が打ち込まれる。
吹き飛ばされた師匠は岩石をめくりあげ、地表を這っていった。
「よしよし! このぐらいにしとくかな! 実験に付き合ってくれてありがと!」
一通り暴れた悪魔は満足気な表情を浮かべていた。
まさか撤退してくれるというのだろうか?
先ほどからの言動を聞いていると、この国に興味はないらしい。
だから一通り戦って満足したというところなのだろうか?
そうであるならばありがたい。
あの不思議な模様の防御壁も気になるが、もうあんな戦いにはかかわりたくない。
「ま、まってくれ」
「なんだい? まだ戦いたいのかな?」
今まで蚊帳の外であった兄上が勇気を出し奴を引き留める。
「ち、ちがう。 貴様の名はなんというのだ? 魔王は本当にくるのか!?」
人差し指をあごに当て考えるそぶりをする悪魔。
奴は満面の笑みを浮かべこう答えた。
「自己紹介していなかったね、僕はカノープス! 魔界の住人さ!」
「カノープス……か……」
「そうそう! カノープス! 魔王様もそのうちくるから相手してあげてね。 まぁ君たちなら何とかなると思うよ?」
「そうとは言い難いが……」
「あ、そういえばそこの木で伸びているお兄さんの名前はわかるかな?」
「そいつか? 確かキサラギと言ったはず」
「キサラギね!」
覚えておくよと捨て台詞を吐き、無骨な鎌を地面に突き立てるカノープス。
シャリンと何かが切断される音が響き、何もない空中に円が描かれる。
「デネブ! そろそろ帰りたいんだけど!」
そして円をくり抜くように空間がねじ切れた。
歪んだ空間。
その先から現れたのは女性だった。
ウェーブのかかったブラウンベースの長い髪。
とんがり帽子に魔法使いのような魔導士の服を着ている。
グラマラスなボディは世の男を虜にしてしまいそうな勢いだ。
彼女は彼に跪く。
「お迎えに上がりました」
「はいはいごくろうさま!」
カノープスは私たちに向かってじゃあねといいつつ去っていった。
天災のような男が去っていったことで精神的な抑圧が解放されていく。
どうしようもない敵との遭遇。
それがなんともあっけない幕切れで終わったのだ。
自らの心が安心という二文字で満たされていく。
一人残されたデネブという女は周囲を確認し、こちらを伺っている。
敵対する意志は無いように見えるがどうなのだろうか。
こちらも様子を伺っていると、あちらから話しかけてきた。
「あなた方はカノープス様と戦えたのですか?」
「戦えたかと言われるとなんとも微妙なところだな……」
兄上は曖昧な返事を返す。
そうだ、一方的に嬲られただけ。
決して戦えてはいなかったのだ。
「いえ、この周囲の傷跡を見たらわかります。 カノープス様が攻撃をして生きていること自体が奇跡なのですから。 けがをしている方はいらっしゃいますか?」
このデネブという女は何をいっているのだろうか。
敵を配慮するような言動。
決して敵に話す内容ではない。
何か裏があるのか、それとも本気で行っているのか。
「一人いらっしゃいますね。 その方にこちらをお使いください」
「なんだこれは?」
「エリクシルというものです。 どんな傷でもたちまち回復してしまう霊薬です」
「……」
「使う使わないかはあなた方の自由ですが、これを使わないと彼女はもう持たなそうですね」
兄上は受け取ったエリクシルという物を私に投げつけてきた。
ラフタルへかけるよう言われたので言う通りに掛けてみる。
そうすると、ひどくただれていた皮膚が元通りに戻っていったのだ。
こんなアイテム見たことがなかった。
私が持っていたポーションなど比較にならない。
伝説上のアイテムといっても過言ではないだろう。
「ぜひまた戦ってあげてください。 あまりにも強くなりすぎたあの方は今でも闘争を求めています。 強くなりすぎたが故の孤独。 あなた方にはわからないでしょうね」
憂いの表情を浮かべるデネブ。
「きっとあの方の夢は死力を尽くして果てること。 自分の力を使い果たしたその先に迎えられる死。 それを望んでいるのでしょう。 あなた方ならきっと……」
そう彼女は言い残し、光となって消えていった。
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