第五十四話 創作者の青春が幸せなわけがない

 曲がり角を右に九つ左に六つ。坂を上って下って上って上って駆け抜けて、ようやく高校から一番近いスーパーに辿り着いた。

 酸欠によりふらつく目で腕時計を見る。五時四十分――ここから高校までは歩いて三十分程度。ペースを考えるとギリギリのラインだ。

 それにスマホの電池が切れたせいであちらの進捗が分からない。あちらもあちらでけが人を抱え大変なはずだが、こちらではどうしようもない以上、あいつらを信じるしかない。


「……あなたの心臓の音が聞こえるわ、うふふ、これからの初体験に気持ちを高ぶらせているのね」


 俺の背中に顔を当てながら笑う夜霧。正直遅れている原因はこのおんぶにあるのだが……中身がないんじゃないかってくらい軽いし、彼女は病人だ。それに青春っぽいのでそのままにしている。この物語において一番重要なのは青春感だからね。


 まぁ、夜中の市街地を女子をおんぶしながら走る男子高校生の図が、果たして青春っぽいのかという疑問はあるのだが。

 お巡りさんの少ない田舎でよかったよ。


「うし、じゃ行くか」


「そうね、イキましょう」


「お前は走ってないしなによりその表記やめろ」


 夜霧は先ほどからこんな感じで、俺の背中で下ネタっぽいことやら色っぽいことやらをぶつくさと呟いている。


「しょうがないじゃない。初恋が実りそうで興奮してるのよ」


「……っ!」


「あ、照れたわね。可愛いわね、頬にキスしてしまおうかしら」


 饒舌に甘ったるい言葉を吐く彼女。正直想定外で困っています。

 

「ま、それは後ね」


 彼女の人差し指がまるでクリームをすくうように俺の頬を撫でる。それにいちいち反応して息が止まってしまうのは俺がいけないのだろうか。


「はぁ――お前なぁ、こっちが死にかけてんのに――ほんっと世間知らず人の気持ち知らずのお嬢様だな――!」


 嫌味たっぷりに言うと、夜霧はまるでおもちゃを貰った子どものようにけたけたと笑った。


「この恋に溺れた女を地獄へと帰すと言ったのは航君よ。それなら走りなさい、あなたにはその責任と義務がある――大丈夫、あなたなら出来るわ」


 それをお前が言うな。なんてツッコミは咽頭に引っ込める。

 正直なところ、状態はかなり悪い。時間に間に合うのか、そもそも桜の塗装は終わっているのか。夜霧が背に乗ってきたのも、体がかなり弱っていたからだろう。余命いくばくかの患者に走れという方が酷な話なのだ。

 お互いに、みんな等しく限界を迎えている。


 ……それでも、その夜霧の言葉で、不思議と出来る気がしてくるんだ。

 きっと誰もが不安になりながらも、信じているのだ。この物語の成功を、不幸しあわせな結末を。

 すると身体の奥から熱いエネルギーが湧いてくる。まだ走れると、心が言う。


 ――そうだ。

 俺は幸せそうに微笑むこいつを地獄に叩き落とさなければならないんだ。

 

 


 俺らは青春の方向性を間違えていたのだ。

 どうしようもなく創作の虜になってしまった俺らの青春が幸福であっていいはずがないのだ。


 俺にとっての青春とは、苦闘であり、不安であり、焦燥であり、飢餓であり、挫折だ。

 満ち足りてしまえば、何も生めなくなるから。

 生産無き生に意味はあらず、故にこそ俺らは。空を仰ぎ、渇きに飢えた喉で叫ぶ。流れゆく世界に足跡を残さんと努力する。


 幸せになるのは後でいい。満ち足りるのは最後に瞼を下ろす時でいい。

 

 苦悩するのだ。

 幼い今だからこそ、成熟し思考を鈍らせるその前に。


 口の中に広がる鉄の味、震える足腰、焦点の合わない視界。

 彼女をここまで幸福にして《くるしませて》しまった己の未熟さ。ここまで至るためにかけてしまった膨大な時間と他人を巻き込んでしまった後悔。


 本当に、足りないことばかりで嫌になる。

 上を見たらキリが無くて、どうしようもない無力さにうなだれる。


 でも、それでいい。

 創作家の青春なんてそんなもんで、いい。


 一歩、また一歩と踏み出す。

 

 さぁ帰ろう。そして苦しもう。

 ストレスに満ち満ちたあの世界に。

 最悪最低で終わりのない旅路へ。


 ――だって俺たちは、創作が大好きなのだから。

 




 五時五十七分。

 担当教員の出勤時間のその間際。

 

 朝陽差し込む中庭に花開く桜は鮮やかなあお

 五十万もの花弁――その全てが本来の色を脱ぎ捨て、幻想色に彩られた。


 俺はその絶景を彼女とふたり、並んで仰ぐ。

 爽やかな春風に舞う青い花弁。

 二人だけの異世界。

 その光景は彼女の感覚器を破壊し、感性を殴りつけた。


 それは凄絶なほどに美しい、清々しいまで敗北だった。


 自然を模す芸術が逆転し自然が芸術を模したとき――少なくとも彼女の芸術は地に墜ちた。意味を喪失した。


 青色の降る春のなかで天津風夜霧は膝をつき、ただずっと涙を流していた。


 ……届いてない。


 やってきた教員に連行された彼女は一言呟いて、校舎へと消えていった。


 あぁ見ろよ。

 あの苦しそうに眉をひそめる顔を。

 それはそれは悔しそうに握られた拳を。


 あいつは絶対に戻ってくる。あの手に絵筆を携えて、必ずここに戻ってくる。


 それに、夜霧はあの絵のように独りではない。

 この場を創り出した皆がいるんだ。

 だからきっと、大丈夫だ。


 こうして俺のシナリオは、まさに今結実した。


「ふふふあははははははははっ‼ よかったぁあああ‼」


 群青の花びらに包まれ俺は叫ぶ。安堵感に力が抜けたところを教員に連行される。

 このあとどんな罰を喰らうのかひやひやするけど、彼女が遠くに行ってしまうかもと不安になるけど、それ以上に俺は楽しみでしょうがない。

 

 ――だって、俺らは青春を過ごし始めたのだから。




 


 

 


 


 


 

 

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