第四十七話 決戦当日
恐怖と高揚、表裏一体な感情が俺を支配していた。
緑の非常灯が不気味に光る夜の学校。毎日のように来ているそこはしかし俺の土地ではなく公の所有物で、もちろんこんな時間に侵入すれば不法侵入になる。
そんなことは承知している。その上で俺は家を出てきたのだ。
高揚感。何よりその感情が俺が後戻りする気のないことを証明している。
「ほんと、青春映画の一幕だな」
その映画の脚本と監督は、俺である。
そんな呟きをしながら、俺はひょいと正門を乗り越える。
ちなみに警報機は作動しない。田舎の高校ゆえに大層な機器はついていないし、そもそも昨日仲間に加えた美術教師(夜霧のファン)によって電源を切られているのだ。
生徒が不法侵入するならまだしも、それに教師が関わったとなれば一大事だろうに、俺の頼みを快諾したあたり、芸術に生きるものの本質を感じた気がする。
本来、この美術教師から先生方に話をしてもらって今回の計画を合法的にサポートしてもらうつもりだったのだが、時間の都合でそれは見送った。いやまあ、正直に言えばイケナイことをしてる感も青春には大事なのではないかと思った――というのが本音ではあるが。
さて、門を乗り越え向かう先は中庭。静まり返った真っ暗な敷地内を装着したヘッドライトで照らしながら歩く。数時間前には自分らの雑踏で溢れかえっていたとは思えないほど様変わりした登校口。砂埃ひとつたたないグラウンド。
非日常を一つ感じる度に、これから自分がしでかそうとしていることの重大さと無謀さに心を押しつぶされそうになる。
とはいえここで何もせず学校を去るなんていうシュールなことはするつもりはないし、もう行動し始めている奴がいるのだからそんな情けないこと出来るはずがない。
歩け、進め。
俺は冷たい空気で肺を満たし、明かりの漏れる中庭へと向かう。
「よ、こんばんわ」
そこには俺と同じくヘッドライトを装着したミーハーが、制服のままで立っていた。その後ろには桜の木。
――今回のターゲットである、桜の大樹である。
「警察にリークしたかと思ってたよ」
俺が軽口を叩くと、ミーハーはニヤリと笑う。
「こんな特ダネ、他の奴に漏らすわけないぜ」
その返答に俺は感謝をしようと頭を下げ――。
「やめろって。今は時間がないんだろ? さっさとやろうぜ」
ミーハーは塗料の入ったバケツと筆を持って言った。
その塗料の色はコバルトブルー。彼女があの絵に使っていた色だ。
さて、遅くなったがここで俺らの計画を説明するとしよう。
――ずばり、この桜の木を青く塗り、夜霧に見せつけるのだ。
その意図はまだ秘密ということで。
まぁ、簡単に言うはいいものの、一般的な桜の花弁の総数は六十万近くあるという。その全てを塗ろうというのだから生半可なことではない。
もっと時間があればより丁寧なアプローチが出来たのかもしれないが、彼女の余命が尽きようとしている今、そんな悠長なことは言っていられない。
ということで、中庭には大量の塗料に筆、照明機材や脚立など、美術教員の力添えで用意された道具が散らばっている。
うん、不足なし。早速作業に――。
「ごめん遅れたよ~」
振り返ると、体操服姿の結が胸を揺らしながらこちらに駆けてきていた。
法堂結。
ウチの学校の図書委員――ではなく、
「この真面目なシーンでよくそんなボケかませるな! あんたの倫理観はどうなってやがる!」
「え~。お姉さん、学園モノにブルマは必須だと思うんだよね~」
確かに暗くてよく見えなかったが、ズボンは一般的な体操服ではなく、ぴちぴちのブルマだった。
いくら人手が欲しかったとはいえ人選を誤ったか……。
「お姉さんいらないの……? 私が存在する意味なんて……」
「分かった! 分かったから作業に移ろう??」
*
……案外体操服というのは正解だったのかもしれない。
使うのは曲芸師くらいなのではないかと思うほどの高い脚立(桜の木のてっぺんまで塗るのだから当然なのだが)に乗って、筆を片手にただひたすらに桜の花弁一枚一枚を青色に塗っていくという単純作業ではあるが、脚立を固定してしまっているので脚立の上で体勢を変えなければいけないし、それに衣服が塗料で汚れるのだ。
その点体操服は動きやすいし別に汚れても問題あるまい。
俺は一応替えの服は持って来ているからいいものの、何も考えずにやってきたミーハーは「これお気に入りなのに」と嘆いていた。
そんなことを回想しながら、一枚また一枚と桃色を見つけては青く染まった筆を走らせる。ひたすらそれを繰り返し、気がついたら日付が変わっていた。
全体の進捗は……二割程度か。
タイムリミットは教師が部活の顧問としてやってくるという午前六時。俺が夜霧をここに
正直しんどいと言うのが感想だった。
作業に慣れてきたのはいいものの、姿勢のせいで腰や首周りがやられて痛みだすし、かといって仕事を雑にする訳にはいかないので精神力もすり減っていく。
塗り残しなんてしようものならこの計画は意味をなさなくなるだろう。何せこれを見せるのは一流の画家なのだ。そいつにガツンと一発見せてやろうというのだから、中途半端なことは出来ない。
作業が単純がゆえに効率化を図れない。
俺らには、明らかに時間が足りていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます