第四十四話 満ちるやる気と小説家の本気

 非常に非情なことを言うけれど。

 日曜日のデートで全てを解決する気はなかった。だから当初の目的であり青春獲得の絶対条件としての、彼女の悩みを知るというミッションは達成できたというわけである。

 とはいえ、理由はどうあれ彼女を泣かせたことには変わりなく、もっと言えばミーハーに『お前のせいで夜霧が絵を描けなくなった』と言われた時から、デートがあのような終わりを迎えることは程度想像出来ていたから、外道と言われても反論出来ない。

 しかし、それでも注釈をつけることを許してくれるのであれば、人道の上を律儀に歩いていてはその道の全貌を把握することは出来ないのだ、と言わせてもらおう。人間を描写するには、人間を俯瞰せねばならない。そしてそのために作者は人の道を外れなければならないのだと。


 そもそも。

 なんてこの世に存在するとは思えないけど。


 とにかく、ここからが俺の本領発揮ということである。

 散々夜霧は天才だ狂ってるなんて言っていたが、まぁ俺だってほぼ初対面だった夜霧をアホ呼ばわりするような奇人なわけだし。


 いざ、紡ぐとしよう。

 彼女の眩しい青春の日を。

 


 *



 翌週、火曜日の放課後。

 俺は立を連れ立って夜霧が入院しているという病院に行った。


「もう二度と来たくないって言ってたのにね、お兄ちゃん」


 ナースが面会の確認している間、立はこれといった表情を浮かべないままに言った。

 というのも、この病院は以前俺が入院していたところだったのだ。


 立が落ち着かないように手慰みをしているのを眺めていると、立がふいに人差し指を立てて、そしてその指先を俺の眉間に向けた。


「ねぇ、お兄ちゃん。日曜からなんにも喋ってくれないけどさぁ、夜霧ちゃんに何かしたの?」


「……」


 俺は日曜日のことを未だ誰にも口外していなかった。もちろん学校でミーハーに質問攻めにされたが、俺はをするだけして、何一つ質問に答えなかった。

 まだ今後の計画は曖昧だ。埋まったのは三キロバイトだけ。迂闊なことはまだ答えられないのだ。


 口を開かない俺をしばらく見つめた立は、呆れたようにため息をついて言う。


「まぁいいけどさ。こうして会いに来てるってことは、諦めてないってことだもんね」


「……当たり前だろ。俺はデッドエンドだけは絶対に書かないんだ」


 だったら日曜の時点で夜霧を受け入れていればよかったじゃないか、なんて思われるのだろうが、幸せになり続けることなんて人間には絶対に無理で、その綻びは必ず後々顕在化してくる。

 社会人になってから青春欠乏症を発症させる人たち。後悔を抱いたまま鬱屈とした日々を送る大人たちなんてごまんといるのがその証拠。過去に未練を残してしまうのはしょうがないことではあるが、本来はあってはならないはずのことなのだ。


 時針が左回りすることはなく、人生はたった一度きりなのだから。

 それなら最高の人生シナリオを。

 俺が脚本を用意するのなら、絶対に後悔なんて残させない――。


 数分後、清潔さの象徴である白色をした看護師がこちらへと歩いてきて、顔を曇らせて言った。


「その、天津風さんの面会ですが……今回は相当精神的にダメージを負われているようで、誰とも会いたくないということで拒否されておりますので、今日はお引き取りをお願いいたします」


「えっ……そんな……」


 立が戸惑ったようにこちらを見る。

 俺は心配ないと立の頭に手を乗せて、


「ありがとうございました」


 俺は軽く一礼して、看護師を見送った。


「お兄ちゃん!? そんな簡単に……」


 基本的に楽天家である妹も、今回ばかりは深刻そうな顔をしていた。


「大丈夫だ。むしろここで会えたらちょっと危なかったな」


「⁇ 今はそんな冗談言ってる場合じゃ――」


「今回大事なのは俺は見放していないと伝えることだ。別に会う必要は無いし、今は落ちつけてやりたいんだ」


 今はイベント前の谷底の部分。下手なイベントは泥沼への入り口に繋がってしまうので望ましくない。


「なに、お兄ちゃんついに小説と現実の区別がつかなくなったの?」


「そもそも小説は現実から生まれたもんだ。フィクションは現実に内包されてる。つまりフィクションで通じることは現実でも通用するのさ!」


 病院を出る。太陽が照り、春風が爽やかに吹き込む。


「……よくこんな状況で笑えるよね」


 非難するように指摘されて指で口元に触れると、確かに俺の口角は上がっていた。


「確かに夜霧にとって今は辛い状況だと思う。でも俺はそれに同情するだけのファンじゃない。もうエンディングは見えてるんだ。一つの物語が結実するときほど楽しいもんは無いね」


「非人間だね」


 立は軽蔑するような視線を送る。

 それに俺は笑顔で応える。


「――小説家ってのは人間の感情で執筆する遊ぶような人間だぞ?」 


 また風が吹いて、どこからか桜の花弁が降って俺の肩に落ちる。

 春、桜。

 青春、青い桜。

 いつも俺らの間にあった奇妙な桜。

 

 あぁ。

 そういうのもありか。



 火曜日。

 進捗13キロバイト。

 

 



 




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