第四十二話 デートの終わり。

 既に陽の落ちかけた薄暗い空、両隣を林に囲われた、電灯のまばらに灯る一本道をふたり歩く。

 そこに会話は無く、高台に向かうにつれて強くなる風の音だけが俺らの間を駆けていた。

 四月とはいえ最低気温は未だ十度を下回る夜の空気。息を吐いた途端に白く染まり、溶けていく。


 本屋に寄ったあとに交わした言葉はわずか両手で数えられるくらいだった。どうして解散しないのか不思議なくらいに、乾燥した関係だった。

 原因は、すれ違い、みたいなものだろうか。

 これといった衝突があったわけではない。

 それでも、気づいてしまう。親密になったからこそ、感じてしまうのだ。


 お互いに同じ場所を目指していた。


 青春を獲得するべく、コミュ障極まる俺らは奮闘していた、はずだった。


 夜霧のおかげで、俺は青春を取り戻すことが出来た。前に歩き出せた。

 元々俺らは夜霧が絵を描き続けられるようにということで始まった関係だ。だからこそ、恩に報いるためにも、当初の目的を果たすためにも、今日は夜霧に楽しんでほしかったし、彼女もそのつもりだと思っていた。


 しかし。

 彼女は――。


 坂を上り切る。

 冷たい風が吹き、俯きがちだった顔を上げると、日暮れの空が紺と茜の見事なグラデーションを見せていた。そんな空に伸びていく市街地のビル群が白色や橙色の明かりを灯し煌めく。

 

 説明していなかったが。

 ここは市内でも有数の夜景スポットである青葉城跡である。俺の背後では馬に騎乗した伊達政宗公が眼下の市内を望んでいる。


 有名なスポットでありながら混み合う場所でもないため、人混みが不得意な俺らにはもってこいだな、との考えでルートに組み込んでいたのだが、その思惑は的中し、俺らは夜景を二人占ふたりじめすることに成功していた。

 もっとも、それを喜べるような雰囲気ではなかった。


「…………」


「…………」


 俺らは会話なく、薄暗い広場の先、ポケットに手を入れながら夜景に向かって歩く。

 ボケもツッコミも無い道中は短く、一分と経つことなく、鉄の柵のもとまでたどり着いた。

 夜景は綺麗だ。

 でも新月の夜空は黒くて、ちっとも眩しくなくて。


 俺は耐え切れずに、口を開いた。


「――『あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月のかくらくしも』」


「……何よそれ。ポエム?」


柿本人麻呂かきのもとのひとまろに謝れ。いやな、綺麗な茜色だったからさ」


「会話に困って適当に詠んだってことね」


 夜霧は前を見ながらちらりと視線を寄越して言った。


「……その通りだけどさ」


 情けなく俺は肯定した。


「それで、その歌ってどういう意味なのよ。『男気なくってすみません。適当に夜景見せて復縁を迫ります』みたいな感じかしら」


「んなわけあるか!」


 迫真のツッコみが広場に響いた。恥ずかしくなって咳払いをひとつ。


「あぁ。まぁ簡単に言えば『あかね色に太陽は照らすけれど、その日輪のような皇子がぬばたまの夜空を渡る月のように隠れてしまったことが惜しくて仕方がない』って感じだな。要するに皇子様が亡くなって残念だって意味だ。まぁ、茜色ってのは当時は朝陽のイメージだったらしいから、夕方には合わないんだけど」


 この歌は万葉集からの引用だ。

 <あかね>、もっと言えば<あかねさす>はなどにかかる枕詞で、確か万葉集の中で十数首くらいあったはずだ。勿論この歌を選んだのには意味があるのだが……まぁ、こうはなってはいけないと、そんな意図である。


 我ながら、彼女は月によく似合うと思う。


「うるさいのね」


 彼女はなげやりに言った。


「おかしいなぁ。確かに説明を求められたと思ったんだけど」


「幻聴よ」


「そこまでして否定したい理由がおありで」


「あなたと話したくないだけよ」


 夜の冷たさを帯びた風が吹き付けて、俺らの熱を攫う。

 やはり。

 俺は何か彼女の気に触れることを口にしてしまったのか。


「なぁ、夜霧――」


「話したくないって言ったの、聞こえなかったのかしら。補聴器くらいなら買ってあげるわよ」


 それは鋭い棘のような口調で、とてもではないが冗談を言っているようには聞こえなかった。

 妹のせいでねた時とは違う――いや、でもあの時から続いているのかもしれない。


『幸せにしてやりたいとは思ってる』


 投げやりに俺は言った。髪型の件で誤魔化しはしたけれど、その事について真正面から答えたことは無かった。彼女が俺に幸せにしてほしい、だなんて思っているわけないだろうが、貴重な時間を一緒に過ごそうと思った相手にいい加減な態度を取られれば、そりゃ気分悪くなるよな。


 ふぅ。

 俺はゆっくり息を吐いて、夜景から夜霧へと視線を移す。夜風に揺れる短い黒髪の奥に白いうなじが見え隠れしていた。


「……気分悪くなることしてたら直すからさ、言ってくれないか。夜霧が今どんな状況で、何に悩んでいるのか」


「……」


 彼女は目を合わせようともせず、じっと市内の煌めきを眺めていた。


「あの時さ、『私のために書け』って言ってくれて嬉しかった。その言葉で俺は立ち直れた。もっと言えば、青い桜の絵を描いてくれたから、今の俺がある。だから俺だって夜霧の役に立ちたい。俺は、お前のファンだから。欲しいものがあれば買ってくるし、やりたいことがあれば手助けするし、そんな俺が邪魔だと思ったんなら……俺は離れ――」


「バカなこと言わないで‼」


「――!」


 まるでアレルギー反応を見せるかのように、夜霧は俺の言葉を遮った。拳をぎゅっと握り、睨みつけるように俺を眼差す彼女の眼には、きらりと光るものが浮かんでいた。



 

 


 


 

 


 

 


 


 


 


 


 

 

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