第四十話 状況上向き?
場所変わって、食欲をそそる、肉のかぐわしい香りで満たされた駅中のレストラン。
照明で肉汁がてかてかと煌めく厚切り牛タンを前に、俺と夜霧は真剣な顔で向かい合っていた。
――あのな。
呟いた。
その一言で、周囲の賑やかな雰囲気から隔絶された。
静かな、二人だけの空間へ。
「言葉にするつもりはなかったんだけどさ、一応言っておこうと思ってさ」
夜霧は特にリアクションをすることなく、大人しく俺の言葉を聴いていた。
ショッピングをしてきたはずの二人の机の下には、商品の詰まった紙袋はない。それがどこか、寂しい。
「今日は夜霧のためのデートなんだ。俺ももちろん楽しむけどさ、何よりお前に楽しんでほしいんだよ。
食事に手を付けることは無く、ただ俺の目をまっすぐ見る夜霧。彼女がまばたきをするたびに、その視線が俺から離れないかと心配になる。
「だから遠慮なんてしなくていいんだ。お金もまぁ無くはないしさ、そりゃあ無理は出来ないけど、出来ない無理をしたいと思っているくらいには本気だから」
あの水着を買ってあげようかと言った。その後も彼女が手に取った洋服やアクセサリーを驕ろうかと何度も提案したのだが、全て断られてしまったのだ。
――意味がない。
彼女は俺が尋ねる度にそう答えた。
「――なぁ、何かあったのか?」
「なにも無いわ。あなたの気にし過ぎよ」
彼女はあっけらかんとして答えた。
まあ、俺の長尺台詞に対してのリアクションがそれだとしたらかなり寂しいんだけど。何も無いならいいか。
……本当に?
「……信じていいのか?」
「重い女みたいなこと言うのね」
「あのなあ……!」
「大丈夫よ。あなたにだけは隠し事はしないわ」
嘘をつくと人は右上だか左上を見るというが、その理論に照らして言えば確かに彼女が嘘をついているということはなさそうだ。というか、この女性がわざわざ他人に嘘をつくような面倒なことはしないか。
「そ、そっか……」
「チョロいわね」
「今よからぬ台詞が聞こえた気がするのですが」
「いただきます」
夜霧は知らぬ存ぜぬと手を合わせ箸を握る。
俺もそれにならい、誤魔化されたのを自覚しながら手を合わせて牛タンに箸をつける。
「……温かいわね」
彼女は肉を頬張り、緩んだ頬で言った。
「冷たいの出されたら流石に凹むな」
「そう言うかと思ってあなたのお肉は生のままでと頼んでおいたわ」
「聞いただけで腹痛くなるわ!」
『そう言うかと思って』の後に悪意をぶつけたやつは多分、夜霧が初めてではなかろうか。
まあ、冗談。
ジューシーで肉厚なのにほろほろと溶ける肉の食感、甘みとうまみが口に広がってするりと胃に落ちていく。
「美味いな」
「私『
「いつもの調子が戻ってきて俺は嬉しいです!」
そこにツッコまれるとは思わなかった。
確かにそういう細かい台詞回しはキャラ立ちに多大な影響を及ぼすけれども。どうかと思うって、そんなに悪いことかなぁ……。善悪っていうか、彼女が気に入らないってだけの話だろうけど。
「あなたってマゾよね。せっかく私が……」
中途半端なところで言葉を詰まらせる夜霧に首を傾げる。
「ん、舌でも噛んだのか?」
「……あなたって小説書いているくせに終わってるのよ」
「待て俺はまだその会話が始まってすらいない」
そんな号砲が鳴る前からゴールテープ切られても困る。
「私って結構直接的に言う人間だと思うのよね。ツンデレというか別に良いことも悪いことも等しく口に出していて、あなたに対しての感想が後者の方が多いからツンツンっぽく聞こえるだけであって、私の属性は『素直クール』と言った方が正しいと思うのよ」
「ごめん俺の何が琴線に触れてしまったのか分からないが謝っておきますごめんなさい――」
皿に額がつきそうになるまで頭を下げる。肉の香りが鼻腔を激しく刺激してむせる。そして顔を上げる。
――目と鼻の先に、夜霧の顔があった……というか互いの鼻先が触れあっている。
比喩でも何でもなく、ただ眼前の事実として夜霧の丸い黒の瞳に俺の間抜け顔が映っている。
ダチョウ倶楽部に背中を押されずとも、自力でほんの少し顔を突き出すだけでキスできてしまうこの距離は、果たして何ミリメートルだろうか。
見つめ合う二人、集まる視線を雰囲気で察する。
そりゃそうだろうな。真昼間のレストランで若い男女が顔面突き合わせてるんだから。しかも片方超美人。注目度ばっちりである。
と、周りに気を回したところで状況が変わるわけでも、動悸が収まるわけでもなく。
「あの……これはどういう……」
「ヘタレ度チェック」
熱い吐息が唇にかかる。
「急なお色気シーンは安易だと思うのですが……」
「だって、今日は私のための
以前超至近距離にある彼女は言う。
小説家なのに終わり。
感情の機微に詳しいくせに、現実に活かさないのは、終わってる。
俺が鈍感ではなくヘタレなのは、つまりそういうことで。
さっき決意したばかりじゃないか。
せめて、彼女の目に映る俺は格好よく――。
「……い、今じゃないだけだからさ――」
自分でも情けなくなるくらい弱弱しい声。
それでも彼女は、学校では見せないような、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて。
「そう。待ってるわ」
ただそれだけ言って、身を引いた。
俺の心臓、持つのかな?
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