第三十五話 チキンの金曜日


 それからしばらくして、金曜日の昼休み。

 俺と夜霧はいつもの中庭――をフェンス越しに屋上から見下ろしていた。校門付近の桜が既に散ったのに対して、中庭のそれは未だ鮮やかな薄紅色を咲かせている。校舎に囲われて風に吹かれないからか……。

 まぁ理由はどうあれ、それはいつかとは違ってとても綺麗に見えた。


「屋上を開放しているなんて珍しいわよね」


 木製の古びた長椅子に腰かける彼女は、辺りを見回す。膝の上ではサンドウィッチの入った箱が開いている。ちなみに作ったのは俺。

 絵以外に金をかけないために荒んだ食生活を送っていた彼女のために俺が昼飯を作ることになったのだ。妹の分と合わせ三人分。寝起きの悪い俺にとって正直キツイものはあるが、青春云々の前に不健康で倒れられても困るし。


「へぇ、そうなのか。都会ってのはやっぱ賢いんだな。夏は暑いし冬は寒いしで開放されてる意味も分からないし、掃除場所が増えるだけだっての」


 過ごしやすいこの春の晴天の日であっても、屋上にいるのは俺たちと一匹オオカミが三人ぽっち、それぞれ別の椅子に座っている。丘の上で遮蔽物のないここは一年を通して風が強く、過ごしやすいとは言えない場所なのだ。校舎内の方が当然快適で、ここに来たがるやつはそういない。だからこそぼっち――気高き一匹オオカミたちが集まるわけだ。

 だから夜霧にわざわざ屋上で飯を食おうと言われた時は疑問に思った。


「ここが戦場跡だというし、記念に見ておこうと思ったのよ」


 彼女は直角三角形サンドウィッチに円形の歯型をつけながら言う。


「戦場跡?」


「えぇ、あなたがあの先輩と戦ったのでしょう?」


 あ、そういえばここだったな、俺が告白勇者先輩を呼び出したの。思い出して気持ちのいい過去ではない。


「やめてくれよ……ボロボロに負けたんだから」


「ふふっ、呼び出したくせに負けて病院送りとか笑えるわね」


 口元に手を添えて笑う彼女。月曜以来、夜霧はよく笑うようになった。と言って主に俺をいじって生まれた笑いではあるが。


「なぁ、そういえば誰から俺が倒れたなんて聞いたんだ?」


「あなたの妹さんよ。ラインが来たときは爆笑――もとい、号泣してしまったわ」


「もう少し優しい嘘ついて!?」


 爆笑って完全に聞こえたしな。授業開始五分前に起床したレベルの手遅れ感である。

 ま、どうせ冗談なのだろうが。そんなやつがあんな真剣な顔して見舞いに来るとは思えない。


「お前立と仲いいよな」


「お前……?」


 ぎろり、彼女の目つきが鋭くなる。前はちょくちょく言っててもスルーされていたけど、今は駄目らしい。


「――夜霧さんは俺の不肖の妹である伽藍立と仲いいよな」


 俺が皮肉混じりに言い直すと、夜霧は満足気に頷く。


「何かしらね。あの子からはのにおいがするわ。私、仕事以外でライン交換したのなんてあの子が初めてよ」


「おい、俺がいるだろ」


「あらそうね。あとでおともだち解除しとくわ」


「そこまでしなくてもよくない!?」


 ――あなたとは最初仕事関係のようなものだと思っていたのよ。

 俺のツッコミに夜霧はそう返した。

 今はどうなんだよ、と尋ねるのは気恥ずかしくてやめた。


「まぁそうだなぁ。あいつのコミュ力異常だし。身内の贔屓目ひいきめなしでもすごいと思うよ」


 それに結構可愛い。見た目は。


「とても同じ血が流れているとは思えないわね」


「俺は友人は深く狭くがモットーなんだよ」


 あいつがが出来るスーパーウーマンなだけで。


「にしてはあなたが仲良くしてる人間なんてあの……短髪で軽薄そうな顔の男子しか見た事ないわ」


 散々な言われようだな、ミーハーよ。まぁ認知されているだけ上出来か。

 

「いや、あいつとは別にそこまで仲いい――わけでもなくないかもな。あいつが妹とみたいにコミュ力が高いだけで、勝手に俺がそう思ってるだけなのかもしれないけど」

 

 今となっては腐れ縁ポジションにいる(なんだかんだいつも駄弁っているのだ)ミーハーではあるが、あいつとの付き合いの長さは夜霧の場合とそう変わらない。

 なんというか、今までの交友関係の薄さが情けなくなってくるくらい交友関係が一新されたんだな。

 

「つか話を広げるべきは俺のコミュ力の低さじゃなくてお前のウルトラぼっち生活だろ」


 高二まで友人とライン交換してないとか流石に俺でも引くぞ。スマホもってないとかならまだしも。


「話を広げるもなにも、別に普通よ?」


「ぼっちを学生生活のデフォルトみたいに言うな! なんか負けた気がするだろ!」


「人間生まれるときも死ぬときも一人よ」


「生まれてから死ぬまでって結構長いからな? そんなドヤ顔で言われても反応に困るからな?」


「学生というか、そもそも私小さいころから学校、あまり行ってなかったのよ」


 サンドウィッチを一つ平らげた彼女はハンカチで口元を拭く。不登校を気にするような素振りなく。


「誰かいじめたのか」


 少なくとも被害者になるのはありえないだろう、という読み。


「私がいじめるのは私に近づいてきたつまらない人間だけよ」


「いやそれ全く正当化されてないからな……。で、理由は訊いていいのか」


 まぁ、その前に『いじめの加害者か』なんてだいぶ失礼なこと言ったけど。

 俺の問いに彼女はあっさりと頷く。


「えぇ。というかあなたなら想像がつくでしょう」


 夜霧の短い髪の毛が下から吹き上げてくる風に揺れる。

 

「……ずっと絵を描いていたってわけか」


 想像できることなんてそれくらいしかない。


「ご名答ね。きっといいことあるわよ」


「そうでっか」


「具体的には自販機のお釣りポケットに百円を見つけるわ」


「それを拾うような人間に思われてることがショックだよ」


 俺はそんな荒んだ人間ではない。俺はあくまで一般的なキャラで通してるんだけど……一般的には小銭受けの百円って回収するの? しないよね?


「……だから」


 俺が世間の一般常識について考察していると、真剣な顔になって、夜霧。


「こんなに続けて学校にくることなんて小学校入学した時以来なのよ。本当に、ずっと絵を描いていたから……」


 学校を休んでまで、学生生活という貴重すぎる時間を費やしてまで、彼女は絵を描き続けてきたという。

 

「しんどくなかったのか」


 そんな低俗な疑問が口を突いて出てしまう。

 しかし彼女は考える様子もなく即答する。


「当然、しんどいなんて思いもしなかったわ。絵画より面白い会話なんて、私は知らなかったのよ。だから毎日毎時間毎分毎秒、描き続けた。勉強なんて家庭教師に週に数時間教えてもらえば問題なかったし。一日中筆と絵の具と睨めっこして、こもりっきりで、昼と夜の区別もつかなかったわ」


「……」


 <当然>のあとに続く言葉が普通の人間と逆なことを、彼女は自覚しているのだろうか。

 いくら絵が好きだって、嫌いになったりモチベーションが下がったりするだろう。それは人間として当然で、決して悪いことではない――と、思う。

 現に書くのが嫌になって散歩していると、ふと良い表現が浮かんできたりするし。


 しかし、彼女の目を見つめられると、それが言い訳に聞こえてしまう。情けない自分を正当化しているようにしか、聞こえなくなる。


 レベルが違う。

 活躍する舞台が違う。

 俺だってもちろん努力しているけれど、量も質も、恐らく単位が違う、桁が違う。

 成果物の媒体が違う以上比べるべきではないのだが、それでも感じてしまうクリエイターとしての差。


 視線を落とす。

 水色の空から、緑色のコンクリートへと目に映る物が変わる。

 俺は彼女に対して、何も……。



 ――なんて、落ち込むのはやめたんだろ。伽藍がらんコウ。



 顔を上げる。

 どこまでも黒い瞳を見つめる。


「あら、私の美少女パワーに見惚れなおしたのかしら……っ?」


 そんな強気な台詞とはうらはらに顔をほんのり赤らめる夜霧。表情筋が動かないタイプだけど、よく見てみれば分かりやすいんだよなこいつ。

 ということで勝算が見えた俺はなるべく自然体を装って告げる。


「日曜にデ――、で~かけようぜ」


 あ、最後ちきったー。


 

 





 

 

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