第三十四話  黒髪談義そのに

 帰ることになった。

 太陽は既に沈みかけ。桜の花弁は空や町と同じ茜色一色に染まっている。

 そんな単一色の世界で、俺と天津風はゆっくりと駅へと続く坂を下っていた。

 

 ちなみに俺は彼女の分のスクールバックも持っている。


 万一手をケガしてはいけないという配慮からなのだが、正直背負えばいいだろうとも思うんだよね。機嫌取りのために言い出したのをいいことに、天津風はそれを利用し、当の俺は荷物持ちとしての地位を確立させてしまったわけだった。


「思い出すな。あのときのこと」


 図書室。

 天津風が青春をさせろと泣きついてきた(捏造)日のことだ。


「あなたに思い出すほどの価値のある記憶なんてあるのね」


「意外そうな顔で俺を見るな。前を向け前を」


 まぁ、思い出すと言っても、あの時からは見た目も関係性も随分と変わっているが。 

 それはきっと、いい方向に。


「随分と前のことのように感じるわね」


「……そうだな」


「結局あなたの方が先に目的を達成したわけね。当時はあなたも青春欠乏症だったなんて知らなかったわけだけど」


 若干棘のある口調の彼女。


「いや、気を使わせるのが申し訳ないと思ってな。元はと言えば天津風の病気を治すために関係を結んだんだし、俺のことなんて二の次でいいって思ってたからさ」


 苦しくもない弁明。俺の言っている内容は全て偽りない真実であり本心なのだから。


「ほんとかしらね」


「俺は嘘はつかない主義なんだ」


「私とは正反対ね」


「論理的に矛盾が生じるな」


 嘘つきの言う「自分は嘘つき」問題と同じ感じ。


「ちなみに私の名前も嘘よ」


「そんな馬鹿な!?」


 ここにきて書きなおしとか洒落にならないぞ。

 ……クラス名簿とか、俺の脚本とかね。


「私の本当の名前はね――」


 ここぞとばかりにタメを作る隣の彼女。聞こえるのは車のエンジン音と、彼女の荒い吐息。坂を下ってるだけなんだけど、天津風は胸を激しく上下させていた。どうせ普段出不精で体力がないのだろう。こいつ、体育の時間も見学してばかりだし。


「名前は……?」


「……次巻以降に発表よ」


「いつだよそれ」


「数年後?」


「ハ〇ター×〇ンターかよ」


 バレバレだろうけど、一応隠しておくとしよう。

 まぁきっと作者にも色々あるんだろうが、俺の立場で長期休載なんてしてしまったら読者なんて散り散りに離れてしまうことだろう。俺に出来ることは書き続けることだけなのだ。


 ……でも。

 まっすぐ前を見て歩く彼女の横顔が目に入る。

 もし万が一、俺がまた書けなくなって、読者に散々叩かれるような状況になったとしても、天津風はファンでいてくれるのだろうか。

 考えてみて、笑えてくる。

 なんというか、とても勝手で傲慢な話だけど。


 彼女はきっと、ファンでいてくれるだろうと思った。

 そして、俺はそれに甘えてはいけない。それでは俺自身が満足できないだろうから。


「ま、それも嘘なのだけど」


 彼女は悪戯っぽく微笑む。


「んだよ。実は名字は『伽藍』で生き別れた兄妹でしたって展開まで読めてたのに」


 展開的にすげぇ重くなるが。


「嫌よ、そんな呼びづらい苗字」


 天津風は一蹴した。俺の祖先に謝れ。


「ってか天津風、だなんて俺以上に長ったらしい苗字だけどな。あだ名とかなかったのか」


「……天津飯」


「想像以上に面白くて驚いてる」


 このお嬢様のあだ名が『天津飯』とかギャップがあり過ぎる。字面的にはまさにお似合いの名前だけどな。


「なによ、あなたはどうせ何の役にもたたない自爆しか出来ないくせに」


「チャオズのこと悪くいうなよ! 可愛いじゃねぇか!」


 ドラ〇ンボール繋がりね。

 まぁ、天津飯って言ったらね、料理より三つ目のマッチョが先に出てくるよな。

 出てくるよね……?


「あのハゲのどこが可愛いのよ」


「ハゲじゃないから! 髪の毛一本だけ生えてるから!」


 ちなみに事実である。


「あの漫画ハゲが多いわよね。あれ絶対髪の毛の作画コストが面倒だからよ。天地神明に誓って断言できるわ」


「そんなくだらんことを神様に誓うな」


「髪の毛って書くの面倒なのよ。細かく描写しようと思えばいくらでも出来るし、色塗りも本当に大変なのよ。黒髪って一口に言っても青色を多く混ぜて黒を作ったり影色も調整しないといけないしだから影の色全部黒く塗ってた印象派以前の画家ってどうも好きになれないのよねそもそも――」

 

 以降数分間、画家の愚痴。

 絵のことはよく分からないが、創作側にまわってしまうと純粋に消費できなくなるってのは分からない話じゃない。映画見るときも構成に意識がいってしまって画面に集中できなくなるし、しかも大体ストーリー読めちゃうし。

 流行の人気作ほどお決まりに忠実なんだよなぁ。流れが大事なのは分かってるんだけどさぁ……。

 とまぁこんな感じで厄介な客が増えるわけですね。


 ひとしきりストレスを発散したのか、幾分かスッキリしたような表情をする天津飯――ではなく天津風はせきばらいをひとつ。


「――というわけで鳥山明は神よ」


「雑なフォローやめろ」


「作画コストって結構大事なものの見方よ? この私でさえ今後イラストになる可能性を配慮して髪を短くしたのだから」


「そんなメッタメタな考えで髪切ったのかよ……」


「長髪ってどうしても重くなりがちだからポージングにも気をつけないといけないし面倒なのよ。ほら見なさいよこの軽いタッチ。絵師大歓喜間違いなしね」


 言って、襟足の毛先をその細指に巻きつける。随分と短くなったものだ。

 彼女の真意はともかくとして、存在もしない絵師よりもまず俺が大歓喜中なことを彼女は知らない。


「まぁ、そういうのならよかったよ。誰かに告って失恋したのかと思ったぜ」


 俺が軽口を叩くと、天津風はこちらに長し目を寄越して苦言を呈す。


「小説家にしろ脚本家にしろ、そういうところ良くないと思うのよね。人間のすべての行動に意味を持たせようとするの。そんなこといちいち考えて動く人間なんていないわよ」


「そんなことないと思うぞ? むしろ反対だとさえ思うけどな。『なんとなく』つったってやっぱりどこかに原因があるはずだ」


 なんとなしに牛丼食べたくなるのは、実は吉野家の通勤電車の中づり広告が目に入っていたから、とか。

 人間に自由意志なんてないのではないか。そんなことさえ思ったりする。

 感情なんて作り物で、まがい物で。全ては――なんて。


「その意見については議論の余地がありそうだけれど、あなたが言うといささか説得力に欠けるわね」


 彼女はそう言って、まるでロボットのように急停止する。

 既に坂を下り終え、駅前のロータリーに入っていた。

 俺は電車、天津風はここから歩きということでお別れになる場所である。


「ん、なんでだよ」


 俺は彼女のスクールバッグを肩から下ろし、差し出す。

 しかし、彼女は受け取ることなく。


「それを言うなら私の行動原理の一つくらい当ててみなさいよ」


 挑発するように……でもどこか切実さを感じさせる黒いまなざしに囚われて、俺は身動きがとれなくなる。


 ――天津風夜霧の行動原理。

 例えば、彼女が絵を描く理由。

 例えば、彼女が俺を選んだ理由。

 例えば……。


 俺が何を求められているのか。そんなことは薄々勘付いている。

 について、一体どんな理由があったのかなんて分からないけれど、少なくとも何を望むのかは誰でも分かる単純な話なわけで。


 そして、俺がそれをしなかった理由も……知っている。


 恐怖と羞恥。

 そして俺の臆病。

 余命を排してもなお治らぬ


 天津風夜霧は俺の尊敬する画家であり、俺を尊敬してくれるファン。

 そんな関係性を俺はいと思った。

 だから俺は青春欠乏症を克服できた。


 でも、今彼女の求めるものを俺が与えてしまったら、きっとその関係性が崩れてしまう。

 その関係性でもって俺は病に打ち勝ったという現実。

 そして彼女は未だ闘病中だという事実。

 それの意味することはつまり――。


 彼女は歩き出そうとしている。進展させようとしてくれている。

 それは俺にとって好ましいことであるはずだ。

 だとしたら俺は何をするなのか。


 分かっているはずだ。伽藍航――


 茜色の風に揺れる髪。緊張したようにこわばる唇。


 俺は伝えるべきことを。


「そ、その髪……似合ってると思うぞ」


「……っ!」


 それを聞いた彼女の唇がにまっと緩むのが見えた。


 ……髪型を変える。

 その原因は多々あれど目的は大抵一つ。

 うざったいから? それなら坊主にすればいいはなし。それは欺瞞だ。


 変に思われたくない。そして誰かにかっこいい、可愛いと言われたいからだ。


 夕陽に染まる視界。

 その中でさえ分かりやすく顔を赤くした天津風は、随分と前から差し出していたバッグをひったくるように受け取ると背中を向けてそそくさと歩き去って行った。


 俺はその情けない背中に投げかける。


「さよなら天さん……どうか死なないで――」


 すると、返事は期待していなかったのだが、天さんは足を止め、


「死ぬわけないでしょう――わたる君」


 そう言って、表情筋の緩んだ、なんともまりのない笑顔を浮かべた。



 ***



 ――後から思えば。

 この時の俺は分かっていても、分かり切れていなかったのだ。


 人間関係は不可逆で。


 ものを壊すよりも作る方が大変だということに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 

 

 


 



 


 

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