第三十三話 黒髪談義そのいち

 彼女の青春とは何か。

 彼女にとって創作とは何なのか。それを探っていたらいつの間にかドクペの話になっていたわけだが。


 それからしばらく、中庭で絵を凝視する彼女を凝視している俺は思考する。

 

 俺の場合、創作好きなのに創作が出来なかったことにストレスを感じていたわけだ。その問題はめでたく、天津風夜霧というファンを得たことで、自分勝手に解決したわけだが……。まぁ、自分勝手に書けなくなっていただけだったのだから、当然のオチではあるのだが。


 そして彼女について。

 恐らく、というか絶対に彼女の青春の重要な一要素として創作が組み込まれているとは思うのだが、別に彼女は創作を出来ていないわけでもなければ、失敗したわけでもない。むしろ、世界的に活躍するという理想的な道を辿っているともいえるだろう。

 それでも青春を送れていないってのがどうも理解出来ないんだよなぁ。別に技能的な部分で苦しんでいるわけでもなさそうだし、消費者の声をいちいち気にするような性格でもないだろう。

 見ているだけならば障害も後悔もない順風満帆な航海をしているようなのだが――まぁ、成功だけが全てじゃないってことなのだろうか。


 うーん。分からん。

 やはり分からない部分や知らない部分は一個一個埋めていった方がいいのだろう。

 だとしたら、そうだな。


 春の生暖かい風に揺れる黒髪が彼女の細い肩の上で揺れる。

 ――よし。まずはすっかり短くなったそれについて聞いてみよう。女の子が髪型を変えるときって大抵何かあるし。物語上。


「なぁ、なんで髪の毛そんなバッサリいったんだ?」


「気分よ、気分」


 問うと、彼女はいつものように、俺の方を見向きもせずなげやりに答えた。まったく、自分はすぐ雑に答えるくせに俺がこんな答え方したら怒るんだもんなー。


「何かご不満?」


「あ、まぁな。気分でいくような長さじゃないだろ。なんかあったんなら言えよ。仮にも青春仲間なんだからさ」


「青春仲間ね……ほんと、あなたも物好きよね。こんな面倒な女と絡もうだなんて普通思わない――っ」


 彼女にしては珍しく、自虐気味の発言であったのだが、やはり慣れなかったのか持っていた絵筆をポロリと落としてしまった。珍しいこともあるんだな。

 俺は筆を拾いながら言う。


「いやいやよく言うよなほんと。あんだけ告白されといて。あとこれ、筆落としたぞ」


 かの告白勇者しかり、俺は幾度となくこいつが告られている現場を目にしている。もっとも最近は見なくなったけど。

 彼女は筆を手で取ろうとして、何かに怯えるようにすっと手を止めると彼女のお腹の前にあるパレットの方を指さした。俺はそこに筆をおく。


「結果あなたとくらいしか話してないけれどね」


「そりゃお前がシカト決め込むからだろ」


「――覚えてる?」


 突然こちらを振り向いた天津風。見つめられるだけで空気がきりりと引き締まる、ような気がする。髪が短くなって、整った顔かたちがはっきり見えるようになったから余計に。


「なにをだよ」


「私があなたに言った第一声」


 言われて、記憶を呼び起こす。

 彼女と最初に出会った日――といってもたった二週間ほど前の話なのだが。

 始業式の日、中庭で出会ったその時――。


「……『ゴミクズ』?」


 覚えていなかった。


「流石に私もそこまで言わないわよ……。というか初めの台詞って大体物語の後半に死にかけのヒロインに質問されて主人公が泣きながら『もちろんだよ』って答えてそこから回想に入るものよね」

 

「いや確かにありがちな展開だけども。だから覚えとけって話か?」


 一般文芸とラノベの間の青春小説によくあるやつね。また出たよ青春。


「いいえ? 『ほら、早く動物園にお帰りなさい』だなんて覚えていてもしょうがないもの」


「どちらにせよ人間扱いはされてなかったんだな……」


 でも言われてみればそんなことを言われたような気もする。まったくひどい女だ。

 というか、天津風自身が覚えていたとは意外だったな。普段は俺の言うことなんて聞いてすらいないのに。


「ほら、やっぱり私と絡もうとしたあなたも頭がおかしいのよ」


「まぁ、少なくとも正常ではないと仮定してもお前よりはまともな人生を送ってるからな。お前みたいな真性のぼっちってわけじゃないし」


「のわりにはめちゃくちゃ避けられてたじゃない。『半透明』なんて言われてたわよ。いつからそんな歌詞に出てきそうな思春期の少年になったのよ」


 それは多分『半透明』じゃなくて『半島名』なのだがあえて説明する気も思い出す気もないのでスルーする。


「半透明じゃ覗けないわよね」


 言って、天津風は挑発的に微笑むと。ブレザーの襟元を掴み白磁のような首元をはだけさせる。触れたら折れてしまいそうな鎖骨、そのくぼみに出来た影に吸い込まれそうになる。


「本当に単純よね、男って」


 彼女は制服の襟をただしながら、呆れたように息を吐く。


「な――な、なに言ってんだよ。俺を透明人間になったら女風呂覗きに行くとか考える低俗なやつらと一緒にしないでくれよ」


 俺は手をあたふたとさせながら誤魔化す。悲しきかな、童貞。

 というかまだ高校生だし普通じゃね――なんていう境地にいたるのはまだ先のことである。


「じゃあ透明になったら何するのよ」


 意地悪く歪められる彼女の唇。人の悪さが滲み出ている。


「……人道支援?」


「あなたってボケも出来るのね」


「まあ小説家だからな」


「褒めてないわよ」


「……」


 透明人間だって人道支援をしたくなる時もあるだろう。きっと。

 だからこれは彼女に対する無言の抗議なのだ。

 決して恥ずかしくなって二の句が継げなくなったとかそういうことではないよ?



 さて、それから彼女が絵を眺めている間、俺もそれを見つめていたわけだけど、そこでふと違和感を覚えることがあった。俺は絵画に関しては素人であり口を出すのは気が引けたけど、単純な疑問を消化するためにも俺は数分ぶりに口を開いた。


「なぁ、そういえばこの絵、なんかバランス悪くないか?」


 中央に堂々と植わった桜にそれに寄りかかる少女。しかしその少女は微かに右に寄っていて、桜の木が左右対称なせいもあってか絵全体のバランスが左方に寄っている気がしたのだ。

 これはあくまで感覚的な話だけど、左に余分というよりかは右に何かが欠けているというか、そんな印象である。


 俺の指摘を受けた天津風は眉をぴくりと動かして、ぎろりと俺を睨んだ。


「……ふーん。この私の絵にご不満とは大層な審美眼ね」


「だから別に直せとか言うんじゃないぞ? ただ疑問に思ったというか、アンバランスなのは誰でも気づくと思うし、なんでこうしたのかって思っただけだよ」


「……誰でも気づく、ね」


 ――私も落ちたものね。


 夜霧は目を伏せ小さく呟いた。


「え?」


「……なんでもないわ。まぁ、均衡を重視する古典的な絵画ならこれは受け入れられないでしょうね。でも私はそうじゃない。それだけの話よ」


 彼女は話を終わらせるように語尾を強めに言うと、身支度を始めた。


「ん、帰るのか」


「えぇ。今日はもういいわ」


 何も描いていないじゃないか。なんて言葉は胸にしまう。俺が言われたら図星のあまりイラっとしてしまうし。


「ほら、なにをぼやっとしているの。帰りましょ」


「あ、うん」


 自然に下校イベントに誘われたことに内心嬉しく思いつつ、俺も彼女に倣い帰りの準備を開始した。



 




 

 

 

 

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