第三十二話 作戦遂行

 「――相変わらず凄い絵だな」


 放課後、春の日差しが温かな中庭にて天津風と二人。キャンバスを前に俺は感嘆のため息をひとつ。


「……」


 しかし彼女からの応答がない。話も聞きたくないくらいに怒っているのか――と、思いきや数瞬の後に「ん、なによ」との反応アリ。どうやら絵の見直しに集中していたようだ。


「いや、なんでもない」


「だったら話しかけないで頂戴。この間男」


「俺がどの間に入るっつんだ!」


 やっぱりまだ怒っているようだ。悪口の雑さ加減がその証拠。

 間男って……ただの独り身男子高校生に付け入る隙間なんてこの世にはない。

 まぁいい。俺は用意してきた脚本通りに演じるまでだ。まぁ大半がアドリブだし、まだ全然練り足りないんだけど。

 とにかくなるべく早めに天津風の青春を見つけ出さねば。あと二年弱はあるし猶予はあるのだろうが、何があるか分からないしな。

 今後の展開をどう持っていこうかと絵を見ながら思案していると、気づく。


「……そういやあんま絵進んでないよな。油絵ってそういうものなのか?」


「……そうね」


 彼女は何故か苦々しく唇を噛む。

 どうしたのかと聞こうとしたのだが、その前に彼女が解説を始める。


「サイズや個人に寄りけりだけれど、三か月からそれ以上かかるわね。どうしても絵の具が乾くのを待たないといけないから。あなたを殺すよりも時間がかかることは間違いないわね」


「時間の単位に使うために人を殺すなよ……。へぇ、結構かかるんだな。俺なら書いてる間に飽きるなぁ」


「飽きる?」


 陽の光を全て吸い込む闇のような髪を揺らしてこちらに向き直る天津風。長髪の時よりも動きのダイナミックさに欠けていたが、チラリと見えた白いうなじがエロティックで差し引きゼロというか、むしろ黒字というか。


「なに……?」


 黒い瞳が訝しげに俺を見る。いかんいかん。沈まれ欲望……っ!

 

「……え、あぁ。俺って感情の波が激しくてさ、これ! っていうシナリオが浮かんだらぱぱっと書いて次にいっちゃうんだ。文字だからそんな強制的に待たされることなんてないし。それで思ったより筆が進まなくてマイブームが過ぎると書く気力なくすんだよ。飽きちゃってさ」


 見惚れているのを隠すために早口になってしまった。バレてないといいが。


 そういえば、この癖があまりよくないことかと思い、あの鬼編集者の切に相談したことがあった。今後の創作に差し支えるのであれば早めに直そうかと考えたのだ。

 食事で咀嚼音がうるさいような人間にはなりたくなかったし。そういう癖は早めにね。


 まぁあの鬼のことだから滅茶苦茶にキレられるかと思ったが、意外や意外。あの鬼は大したことないことのようにこう言った。


「――そりゃあたりめぇだろ。好きで書いてんだから逆に嫌いになったり飽きたりすることもあるだろうさ。それでも、マイブームが過ぎてもなお自分の中で面白いと思えるようなものを書けたら一流だ。だからあんま気にすんな。お前まだド三流もいいとこなんだからよ」


 ひゃはは!

 あの鬼は言いたいことを言って愉快そうに高笑いしていた。


 というわけで俺はこの癖を直さずに放置しているわけだけど、絵画でこんなことしていたらいつまで経っても完成することはないだろう。

 そのあたりの問題にどうやって折り合いをつけているのかと疑問に思ったのだが、天津風はまるで何も知らない赤子のように目をぱちくりとさせて答えた。


「は? 絵に飽きたことなんてないわよ」


 ――ロボット。

 そんな無機質で灰色のイメージがふっと彼女と重なって、桜と共に散っていった。

 出所不明の印象。

 いったい、なんだったんだ……?


「そりゃ凄いな……世界的に活躍するにはそんくらいの気持ちが必要なのかね」


「気持ち?」


 俺が納得しかけたところで彼女は首を傾げた。


「そんなものいらないわよ。技術と発想さえあれば絵は描ける。というかその他は雑念よ。オレンジジュースを飲みたがっている客に、わざわざ自分が好きだからってドクペを出すなんて愚かでしょう?」


「分かるようで分からない例えだな……」


 まぁ天津風の中でドクペが好き嫌いの別れる飲料として扱われているのは分かった。ちなみに俺は好き。


「舌腐ってるわね」


「コカコーラ社に謝れ!!」


 どうすんだよ賠償とか求められたら。

 いつの間にかパッケージにこいつのイラストが採用されてたりしてな。

 ……なんか社会の闇を感じるぜ。


「で、ドクペは悪という議論について――」


「そんな話はしてねぇ」


 そんな軽い善悪の話が存在してたまるか。


「なによ、そんなにドクペが好きなら水道管を全てドクペ工場に繋げてしまえばいいのよっ!」


「急にツンデレっぽくなったけどさ!」


 というかいくらドクペが好きとはいえ流石にそれは……。

 水道管を繋げてしまったらもはや飲用だけでなく皿洗いや洗濯、風呂水も全部ドクペになってしまうのだ。

 少し想像してみる。(ドクペ)風呂上がり、立ち込める煙――全身からドクペ独特の刺激的なフレーバーの香りが漂ってくる様子を……。しかも絶対ベトベトしてるし。

 ふむ、そんなドクペまみれなやつと正常な交友関係を結べそうにはないな。


「なんかドクペ好きでもなくなってきたような……」


「作戦成功ね」


「タイトルの『作戦』ってそれのこと!?」


「それ以外になにがあるのよ」


「ドクペに一体何の恨みがあるっていうんだ……」


「中学校の頃嫌いな男子が飲んでたのよ」


「心狭すぎか!!」


 こいつの心の広さ、五畳間もないのではなかろうか。


「ちなみに飲んだことは一度も無いわ」


「お前ほんとな……」


 各方面に申し訳ない……。

 帰りにドクペ買って帰りますから……。






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