第二十七話 見舞いと非才

「だから言ったじゃない。あなたには書くしか能がないのよ」


 病室に来て早々、天津風夜霧はベッドに横たわった俺を見下ろして、嗤いながら言った。

 

 ……あぁ、確かに聞いたとも。

 あの夜、ベッドの上で心臓を鷲掴みにされながら。

 

 でも、俺は誤魔化して、知らないふりをした。

 その言葉に対する返答や感想を一切思わず、書かずに、あの出来事をただのお色気イベントだと認知して――逃げた。

 それこそ、見下されても何も言えない。


「話は聞いたわ。貴方が書けなくなった理由。あくまで外面そとづらの話はね」


「……会ったのか、と」


 その話を知っているのはこの世で俺と、あいつしかいないのだ。

 理不尽と傲慢と勝手を煮詰めて固めたような、あの女。


 ――法堂切はっとうせつ

 

 高校の司書である法堂結の姉であり、業界でも名の知れた敏腕編集者。鬼のような、という例えでも物足りなく感じてしまうほどの、それはそれは厳しい人である。あの人と話せば、必ず深い傷を負って帰ることになるとさえ言われているような人だ。

 俺だって何度殺されそうになったことか。心的外傷(物理)って感じ。よく分からないかもしれないけれど、本当にそんな感じなのだ。


「病院の前で呼び止められたのよ。『あなたが天津風夜霧か。話したいことがある』ってね。私が言うのもなんだけれど……あれは駄目ね。私の行きつく先があれなら、今からでも性格を矯正したいと思うほどだったわ」


「お前がそこまで言うとはな……」


 まぁ、属性は似ているとは思っていたけれど。同じような黒髪だし――あちらは肩でばっさり切っているが――、まさか天津風でさえ怖気づくとは思わなんだ。


「ねぇ、あなた、あの人のこと……」


 と、何かを言いかけて、口をつぐむ天津風。

 らしくもない行動に疑問を覚えて。


「ん、なんだよ」


 と、問うも天津風は気を取り直すように自分で頬を張って。


「……何でも無いわ。ここで話を逸らすわけにはいかないもの。

 今日、貴方は記念すべき一文字目を書き出すのだから」


 きっぱり。

 彼女は決定事項を通達するかのように宣言した。


「……それは無理だ」


「あなたね……私、あなたが青春欠乏症だってこと初めて知ったのよ? そんな青春弱者が私と青春なんて無理に決まっているじゃない。だとしたら、まずあなたが青春を取り戻すべきよ」


 青春を取り戻す。

 取り戻せ、そう表現するのか。お前は。


「分かっているのでしょう? あなたは呪われたの。創作に、何かを生み出すことでしかあなたは満足できない体になってしまったの。

 ……私と一緒ね」


 開いた窓から、生暖かい風が白い病室へと吹き込んで、彼女の漆黒の髪が揺れる。


「一緒なわけがない。お前が一番分かってんだろ。お前の凄さをさ。世界レベルって、もうそれ張り合うとかそういう立場じゃないっていうかさ、元から違う世界にいるっていうか――」


 瞬間。

 彼女の目つきが変わった。

 見るモノを突き刺すような、鋭い目つきに。


「そうやって違うところ探して、逃げて、何か楽しいのかしら」


 冷たく、言い放つ。


「私は私の凄い所を聞くためにあなたと一緒にいるわけじゃないの。あなたの言葉なら聞いてあげる――聞いてあげたいとは思うけれど、それはあなたの創った言葉だからよ。捨てられた言葉なんて聞きたくも無いわ」


「……」


「本当に今の伽藍航は暗いのね。独り暮らしの部屋に帰ってきたときくらいに、暗いわ」


「そりゃ陰キャだからな。陰は暗いから陰なんだ」


「――あなた、本当に自分のことが分かってないのね」


「……え?」


 俺は聞き返す。

 呆れたようにため息をつく天津風に。


「ただ暗い人間と私が交流を持つと思ってるのかしら」


「いや、でもそれは俺が昔作家だったから――」


「眩しかったのよ……」


 そこで、俺の言葉を遮るように、彼女は呟いた。


「……私の絵を見たときのあなたの目。スケッチして見せてあげたかったわ。子供が初めて遊園地に来た時みたいな顔してたわよ」


 記憶を呼び起こすように目を細める天津風。


「……なんか恥ずかしいな」

 

 具体的にイメージは出来ないけれど、天津風が言うなら、きっと俺はそういう顔をしていたのだろう。顔が熱くなってしまうくらい恥ずかしいけどな。


「私の絵を、そして私をあんな目で見てくれる人はいなかった。星形のハイライトでも入ってるような、あんな目でね」


 ――嬉しかったわ。


 彼女は口元を緩ませてそう言った。最初はこいつのことをツンデレとか思っていたけれど、意外と素直なところもあるんだな。と、思ったり。


「あなたが小説家って知った時、実はあまり驚きはなかったわ。そんな気がしたもの。あんな目をして、それでも生意気なこと言って、『才能棒に振るな』なんて何かを創っている人間じゃないと言えないと思うし。それにあながち間違ってなかったから、あなたをビンタしたわけだものね」


「まだ覚えてたのか。お前のことだからすっかり忘れてるものだと」


「私をなんだと思ってるのよ……。物理的な暴力を許すような人間だと思ってるのかしら」


「暴力をあえて物理的なモノとそれ以外で分けているあたりでもうお察しだと思うんだが」


「あなた以外にはどちらもしないわよ。当たり前じゃない」


「俺の人権をどこへやった!?」


「今頃太陽圏外ね」


「ボイジャーに俺の人権を載せやがったな! なんてことするんだ!」


 ボイジャーとは1977年の打ち上げ以来、40年以上も宇宙空間を旅している探査機である。それには地球の情報が入力されたレコードが載せられているという。

 解説するくらいならもっと別の例えすればよかったか……?

 ツッコみを後悔するなんて俺らしくない。まだ本調子じゃないのかな。


「何言ってるのよ、あなたが自ら人権を捨てたのでしょう」


「……は? 俺はそんなことしてないぞ」


 俺はそんなマゾではない。と、思う。


「やっぱり自覚無しってわけね。あの女のことだからきつく指摘してるんだろうと思っていたのだけど」


 はて、と俺が首を傾げる。すると彼女は一息ついて口を開くのだった。


 



 

 

 


 



 

 

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