第二十四話 病状進行
言葉遊び、のようなものなのだと思う。
俺は絶対に天津風夜霧を見下したことはないのだ。
でも、確かに、結局は見下したと、そういうことになるのだろう。
間接的に、遠回しに。
俺は、彼女を見下していたのだろう。
そして認めよう。というか認めざるを得ない。
俺は、俺自身を見下していた。
見下すという表現に
俺はあの告白勇者が――あの後俺を抱きかかえて、保健室まで駆けてくれたあの二面相のピッチャーがどんな人生を送り、どんな思想を持っているのか、なんて知らない。
けれど、ヒトが、どこかで必ず他人を見下しているということについて、俺はどうにも否定できなかった。
無策であのエースで四番の元へ向かった――向かおうとしたわけではない。ミーハーを駆使し、酷使し、ありとあらゆる角度からあの先輩のことを調べつくした。
不祥事を。不義を。悪行を。
しかし、驚くべきことに、そんなことは一切出てこなかったのだ。
叩けばホコリが出る、というが、彼の場合は全くの逆。
出てくるのはお婆さんの荷物を持っただとか、迷子の子供を案内してやった、とか、散々に打ち負かされた相手ピッチャーを慰めにいった、だとか。
叩けば宝石が転がる、とってもいいほどに。
彼は完璧だった。
玉のような、人間だった。
本当に、この世界で彼の悪行を知っているのは俺だけではないかと疑った。
というか、あれだって原因は天津風にあるようなもので。正しくはないけれど、完全に悪とも言えない。
いくら俺があの絵描きに陶酔しているからといって、善悪の基準まで見失ったわけじゃない。
あの告白勇者は、まさにその名の通り、勇者だったというわけだ。
勇者と名付けたあたり、当時俺は蛮勇を文字ってあだ名をつけたわけだけど、その時から俺はそのことを察知していたのかもしれない。
在り来たりに言えば、彼は良い奴だと。
そんな彼でさえ、他人を見下すと言った。
声にも地の文にも出さなかったけれど。
あの時、俺はものすごい衝撃を受けていた。
彼が言うのならそうなのだろうと、ごく自然に受け入れてしまう俺がいた。だからこそ、俺は見下すことの是非について問わなかったし、真っ先に見下す対象のことを考えてしまったのだ。
見下す。
その単語は非常に良くないものに聞こえる。
けれど、それを態度に出さず、ひそかに胸の内に抱えるだけだったら?
自分はこうはなりたくないと、反面教師にするだけだったら?
そうはなりたくない。
あぁはならないぞ。
悪では無いものが集まって彼のような
見下すことが悪だと、誰が言えるんだろうか。
そう思ってしまった時点で俺は彼を否定できなくなったし、そしてそれと同時に認めざるを得なくなってしまったのだ。
俺は俺を見下していて。
俺は俺でありたくないと思ってしまった時、否定した時。
俺は、俺を構成する人たちのことも含めて――見下したのだ。
なんという自己中。
天津風夜霧なんて目じゃないくらいの自己中心的存在。
それが俺だ。
伽藍航。
――がらんどうな、俺だ。
天津風夜霧は、あの夜、ベッドの上で警告してくれていたのだと思う。
空っぽなままでも俺は俺なのだと。そんな俺を見下すことに意味は無いと。自分を、自分を構成するものごと見下すことは、善悪の物差しに測るまでもなく、無意味だと。
俺がこうなった原因が分からないなりに、決定論的に彼女は慰めてくれていたのだろう。
もっとも、彼女にはそんな気がなかったのかもしれない。これは俺の俺による俺のための都合のいい自己解釈だ。
でも、俺の推論通りだったのなら。
そこまでしてくれた彼女の評価さえも裏切って、破り捨てた男が。
隣にいる資格なんて、ない。
これっぽちも、欠片ほども無い。
――告白してしまえば。
俺にだって、青春をしようと気はあった。そんな気が起きつつあった。
創作のために生きるあいつを見て、触発されたのは確かだ。
あの時、俺が生きる理由なんて失ってしまったけれど。
独善的なまでに一生懸命な彼女を見ていれば、誰だって、きっと消費者でさえ何かを創りたくなってしまうだろう。
創作系アニメを見たオタクみたいに。
創りたくなってしまうに決まってる。
けれど、やっぱり無理なのだ。
俺には無理だ。
――苦しい。
息が出来なくなるくらいに、苦しかった。
書いては消してを繰り返した。
あんな言葉に負けたくないと、俺は反抗するようにキーボードを叩いては、同じようにデリートキーを連打した。
ある日を境に、文字を書けなくなった。消すことさえ、出来なくなった。
ある日、というのは別に親の葬式(そもそも両親は健在だ)だったというわけでも、カノジョ(そんなものそもそもいない)が交通事故にあったわけでも、好きだった人を緊急脱出用カプセルごとビームライフルで撃ち抜いたわけでもない。
とある日としか形容できないその日。
俺は書けなくなったのだ。
ひたすらに苦しかった。
今まで以上に本を読んでみても、外を歩いてみても、前作でもらったお金で海外旅行に行ってみても。
息苦しさは、変わらなかった。
吸っても吸っても取り込めなくて。
吐いても吐いても吐き出せなかった。
高校の入学式。その前日に、ついに俺は病院に行くことになる。
今は懐かしい母とともに。
俺が傷つけてしまった、母と共に。
『青春欠乏症』だと診断された。
余命は三年だそうだ。
――青春とは何か。
俺はそれについて考えていたように思えて、よそ見をしていたんだと思う。
生きたいと思えない。
そんな心理状態で俺に何が出来よう。
血迷って桜の花弁を青く塗るなんて、ただの狂行だ。とてもまともな人間のやることじゃない。
もう一度問おう。
くだらない質問を。
どう考えたってそれしかない、答えの決まりきった質問を。
――俺にとって『青春』とは何か。
決まり切っていて、言い切れない。
俺がいままでずっと見て見ぬフリをしてきた問いに答えたのは――。
「だから言ったじゃない。あなたには書くしか能がないのよ」
真っ白い病室。
俺の横たわるベッドのかたわらでちょこんと椅子に座る、黒髪の少女。
桜色の唇を三日月形に歪めた、彼女。
天津風夜霧。
こいつしか、いなかった。
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