第二十三話 勇者か、犯罪者か、あるいは
「……ここに先生はいないぞ?」
告白勇者は周りを見渡して言った。
野球部の四番でエース。言うまでもなく、校内の有名人。俺のような悪目立ちではなく、名誉ある人気者だ。このハンサム野郎に勝てる要素なんて一つもない。
もっとも、あの天津風夜霧に告白をしてガン無視され、果ては天津風に手を振ろうとした、俺の中では最底辺の人間なのだが。彼女の対応も褒められたものではなかったけれど、暴力はいけない。絶対に。
それは一度だって、許されるものではない。
「よくそうやって茶化せますよね。やっぱり投手って精神図太くないとやっていけないんですか?」
「まぁ、そうだな。あの件に関して申し訳ないとは思っているが、お前に謝る必要は無いだろ」
まぁ、確かにその通りなんだけど。それにしたって、もっと言い方があるだろう。
「……まぁその話はいいです。次したらその前に僕が殴り返しますから、それだけは覚えておいてください」
「随分と物騒だな」
告白勇者は薄笑う。そこに、学校で人気の爽やかな先輩像はどこにもなかった。まるで二重人格みたいだ。
「当たり前でしょう。僕が刑務所に入って彼女が絵を描けるなら、僕はそれでいい。彼女の手は、相手に暴力を振るうような人間の命よりも重いですよ」
「それだとお前も命の軽い人間になるな」
「何を言ってるんですか。当然ですよ」
「ふっ……狂ってるな、お前も」
「狂ってる……?」
「あぁ、そんな人間といて、みじめにならねぇのかよ。人ってのは、普通誰かを見下して生きてんだ。
自分はあぁはなってない。自分より下は山ほどいる。その山の上に、自分はいる。そうやって自分の位置確かめて、安心して。上なんて見て何になるってんだ。自分のいた世界が狭かったって気づいて、みじめになるだけじゃねぇか」
告白勇者は吐き捨てるように言った。
見下す。
マウンドの上から、見下す。
こいつはずっと、そうしてきたのだろうか。
エースで四番、きらきらしている爽やかリア充先輩――そんな印象はこの時点でどこかに吹き飛んでしまっていた。
明らかに他人に言うことではないことを、どうしてこの俺に明かしているのか。その理由は分からないけれど、先輩の台詞からは、どこか哀愁を感じるのは何故だろう。
「そんなこと言っていいんですか? 僕が録音してるかもしれないんですよ?」
「お前は俺の地位を下げたくてここに来たのか?」
先輩はからかうように口角を上げる。
「……見透かしたことを言うんですね」
「見下すにはそいつを知らなきゃならねぇ。ふわふわしてんのを踏みつけても分からないだろ。カタチがあるものを踏んづけてこそ、実感が湧く。
ニュースだってそうだ。犯人の生い立ちを知り、生活を知り、動機を知って、そこで初めて見下せる。自分は違う。具体的な相違点を上げられた方が叩きやすいからな」
つまりは、俺のことを知っている、と言いたいのだろう。それも、この俺を見下すために、だ。
なんというか、いやに饒舌な人だ。つくづくイメージとは違う。
「それで、先輩は俺たちを見下すために、あんな噂を広めたわけですか。あなたの自尊心のために、そんなくだらないことのために、他人を
「貶める? あの天津風夜霧と付き合っているというウワサになることが、お前を貶めることになると、そう思ってんのか?」
天津風夜霧。
新学期早々クラスで孤立した変わり者。とはいえ、ここまでウワサが広がったのは告白勇者の影響力もあるが、やはり下地となった彼女の評判――変人とはいえその美貌で数多の男を惚れさせるに至ったその実力――があってこそのもの。
つまるところ、天津風夜霧は高嶺の花であるということで。
天津風夜霧とウワサされるということは、まさに光栄とも呼ぶべき事態で……。
「何を不快に思うのかは人それぞれだ。お前が不快に思ったのなら、申し訳なかったと思う。俺の嫉妬に巻き込んでしまって、すまなかった」
意外にも、あっさりと告白勇者――そしてこの地獄のような日々の発端である人間は、頭を下げた。
直角に、丸刈りの頭を下げた。
……そして、俺は怖くなった。
「だがな、俺はお前を貶めたつもりはねぇ。見下したつもりもねぇ。俺の過ちを止めてくれたお前を見下したりはしない」
「…………そんな」
国語の授業で教わることがある。
文章に書いていないことは、決して答案にしてはいけない。いかにそう読めたとしても、それはそう読めた自分の感想であり、意見であり、それは想像でしかない。
「正直、俺はお前が気に食わない。こんなひょろっちぃ奴のどこが良いんだか俺にはさっぱりだ。でもよ、今回のことに関しては、本当に反省してんだ。今更謝ってどうのこうのなる話じゃないと分かってる。短慮だった、浅慮だった。お前らの邪魔をする気はなかったんだ――でもよ」
唐突に、頭を上げて、そして俺を見る。その眼差しは、軽蔑するような冷たい目で。
「気が変わった。お前、自分自身を見下してんだ。諦めて、小さな世界に閉じこもってよ。お前、最低だな」
「――ッ! 見下すのは先輩だって――」
同じな、はずだ。
いや。
同じであっては、いけないはずなのに。
「そうさ、俺とお前は一緒さ。同じようにクズ。
まぁ、バカさ加減でいったら負けを認めるしかないけどな。自分で自分見下す馬鹿がいるかよ。俺は俺だから周りが勝手についてくる。お前はお前だからあの天津風夜霧がついてきたんだろ。それなのにお前はお前を見下して、一緒に天津風夜霧も見下してんだ」
「そんなわけ――」
天津風と俺が付き合っているという事象を、貶めている、とそう評した俺を、彼は……憐れむように見る。
同情。
「そいつに時間を
似たようなことを、言われたような気がする。
あの夜、同じベッドで。
いつになく遠回しだったあいつは――。
息が苦しくなる。
彼女に「書け」と言われながらも一文字も浮かばなかった俺は……見下している。
俺を。俺自身を。
そして俺を信じてくれた奴を……貶めた。
そんなはずは。
そんな、ことは……。
息が、苦しい――。
「――おい、大丈夫――」
何故か、血相を抱えてこちらに駆け寄ってくる先輩。
俺はいつのまにか、仰向けになって空を仰いでいた。
目の前がピカソの絵画みたいになっている。色彩がごちゃごちゃで、気持ち悪くて――。
意識を手放さないと、ここで俺は死んでしまうと、そう思った。
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