第十八話 蔓延するウワサ


 眠い……。

 昨夜、結局彼女の隣で寝ることははばかられて、かといってフローリングの上で安眠出来るはずもなく、俺は一睡も出来ずに夜を明かしたのだった。

 彼女の甘い香りが未だに鼻の奥に残っていて、顔が熱くなる。そのせいで恒例の朝風呂に入るのをやめたんだけど、我ながら気持ち悪い。

 翌日――月曜日。例年通りの、肌寒い春の日だ。天津風は朝早くに帰宅。画材は俺が学校まで持ってこいとのことで、俺は大荷物で学校前の坂を上ることになった。

 結構理不尽な境遇だったけど、あいつの寝顔を思い出せば許そうと思えた。あいつのあんな安らかな顔、もう二度と見られないかもしれない。今でも耳に残る彼女の寝息。黙ってりゃ無害な美人なのにな。ほんと。


 俺は時折気味悪くにやけながら、息を切らし坂を上り終え正門を潜る。上履きに履き替えて、階段上って、先生に挨拶して――という日常をこなしてようやく教室に到着。


 重労働を終え、達成感に浸りながら扉を開ける。

 すると大勢の生徒が誰かの机を取り囲むようにして賑わっていた。まるで何かの儀式だ。

 そして気づく。


 あそこ――俺の席だ。


 あ、俺はついにいじめられるのか、俺の遺影でも飾られているのか、と悲壮な覚悟を決めていると、横から名も知らぬ級友に声を掛けられる。というか、叫ばれる。


「おっ、ウワサのご本人登場だ!」


 その声に呼応して、どっと人波が俺に押し寄せる。皆一様に目を見開き、ピエロのように口角を上げている。不気味だった。


「な、なんなんだ急に……」


「なんだよとぼけちゃってさ! あの孤高のマドンナ、天津風夜霧と付き合ってるんだろ? 羨ましいぜ!」「ほんとほんと。確かによく見れば顔良いじゃん」「確かに昼休み一緒にいたよね~」


 などなど、言葉の洪水、雨あられ。寝不足に脳にうるさく響く。

 どうやら俺と天津風が付き合っている、とのウワサが広まっているらしい。色々意味が分からない。噂の出所はどこだ。


「あっ、そのイーゼルとか、もしかしてカノジョのためにとか?」


 目ざとい奴がいるものだ。その一言で更に教室は混沌と化していく。もちろん全員が全員俺への囲み取材を敢行しているわけではないが、それでもすごい熱量だ。

 あの美貌でしかも休み時間に絵を描いているという濃いキャラ。加えて転校生とくれば、まぁ有名になるのも頷ける――というか先週の時点であの騒ぎだったのだ。そんな孤高キャラが誰かと付き合いだしたなんていったら、騒いでしまうのも仕方のないことではあるか。


 まぁ、やられる方は果てしなくウザいけどな……。実際付き合ってるなら上からマウント取りに行くけど、そうではないので、ただ俺がみじめになるだけなのだ。


「あぁごめん! 便意が!」


「えぇーここでしろよー」


「なんてこと言うんだ!」


 と、このままいると大惨事になりかねないので、俺は荷物を置いて退散&ダッシュ。廊下には他学年の生徒までいた。


「あいつかー、六十点ってとこだろ」


 ――おい、リアルな点数つけてんじゃねぇ……。


 トイレの個室に駆けこむ。静寂が心地いい。においきついけど。

 俺に対する社会的評価が六十点だということに若干のダメージを受けつつ、俺は天津風に事情を説明すべくラインをする。


 ――既読がつかない。


 あいつがあの歓待かんたいを受けることになれば、いったいどんな惨劇が起こるだろうか。もっとも、あいつはあいつで無視を徹底する気もするし、あの刃物のような視線を受けても騒ぎ立てられる肝が据わった生徒はいないだろうから、案外何も起きないかもだけど。

 しかし、万一、あの告白勇者のときのような沙汰になる可能性だってある。あれはまずい。

 どうにかして対策を練らねば……。


 朝のホームルームの予鈴が鳴る。既読はつかないまま。俺は仕方なくトイレを出て、恐る恐る教室へと向かう。

 教室を覗く。まぁいつもの五倍は騒がしいことに変わりはないけれど――どうやら天津風はまだ来てないらしい。不幸中の幸いというべきか。この時間に来ないとは……二度寝でもしてるのか。

 とにかくここで俺が騒ぐのは悪手だ。否定も肯定もしてはいけない。

 

 ごくり、唾を飲む。それでは行こう――。

 扉を開ける。視線が俺の顔に集中して、先のようにどっと人が押し寄せてくる。


「ねぇねぇ! 結局付き合ってんの、どうなの!?」

 

 早速問われる。ここで「付き合ってない」と言っても「嘘だろ」と返されるだけ。この浮ついた空気をビビらせるくらいの冴えた返しを……。


「あ、えと――それはスカンジナビアだな!」


「――え、どゆこと?」


「まじカムチャツカだわ~」


「??」


 モブ女子Aが怪訝そうな顔で首を傾げる。

 ふっ――狙い通りのリアクションだ。


「あのイーゼルって天津風さんのためのだよな!」


「あれはバルカンのな」


「ば、バルカン……?」


 俺の発言の意味を理解しあぐねているのか、周囲の生徒達の頭上に疑問符が浮かぶ。

 いやまぁ、そうだろうな。俺は適当に世界の半島の名前言ってるだけだもん。スカンジナビアは北ヨーロッパのノルウェーとかあるところ。カムチャツカはロシア、バルカンは世界史でお馴染み東南ヨーロッパにある半島である。


 解説要らない? いや、いつか役に立つから。うん。具体的には東〇王とか。


「昨日は何してたの?」


「イストリア(欧州アドリア海)してた」


「告白はどっちから? もしかして天津風さん?」


「まさかの三浦(神奈川)からだ」


「昨日はどこ行ってたの?」


「ちょっとアラスカ(北米)まで」


「……ねぇ、どうしたの、伽藍君」


「ちょっとカタール(中東)には色々あり過ぎたんだ」


「…………」


 いよいよ俺の支離滅裂な言動に引き気味の生徒達。俺は俺で楽しくなって途中から半島名での会話を試みていたけど――なんか三流芸人のネタみたいになってしまった……。次はもう少しクオリティ上げていこうと決意した俺であった。

 いや、もう二度とやりたくないけど。


 さて、そんな俺の身を挺した奇行の甲斐があってか、本鈴ほんれいの鳴る頃には人だかりは綺麗さっぱり消え去っていた。というか逆に距離を置かれていた。

 

 俺、もう普通の高校生活送れないかもしれないな……。

 嫌だ……。


 まぁ、やってしまったことはしょうがない。

 噂の出所にカチコミかけてストレスを発散するしかあるまいよ。


 興味の視線から軽蔑の視線を向けられるようになった教室。俺はとある人物にラインをする。


「ちょっと昼休み、屋上来いや――」と。


 

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