第十六話 嫌いな人

  

 彼と一緒にいると、頭痛は増すばかり。

 ヘタレで、気を使い過ぎで、聡いようで疎い。

 やっぱり嫌いだ。私は改めて思う。


 彼の部屋は本で埋め尽くされていた。

 壁を覆うようにそびえる本棚、机に積まれたハードカバー。ベッドの脇にまで侵食している本の群れ。そんな中横たわった彼は、本に溺れているように見えた。


 ――時折、彼は苦しそうな顔をする。息苦しそうに、顔をしかめる。心筋梗塞だろうが脳梗塞だろうが知ったことではないけれど、あんな顔をされれば目についてしまうのも当然だ。


 青春欠乏症なんてふざけた病気にかかってしまった私だけれど、幸いなことに私が絵について、人生について苦しんだことは無かった。

 果たして、それが何を意味するのかは今の私は知らない。そこに致命的な見落としがあるように思えてならないのだが、それはきっと今語るべき事柄ではない。


 今は、彼の話をしよう。

 私が嫌いで仕方ない、がらんどうな彼の話を。

 何故、私が彼を嫌うのかを。


 才能には義務が生じる。

 才能に見合った作品を作り出すことだ。


 理由なんて語る必要も無いだろう。人より優れたものを持ち、他より優れたものを作れるのなら、そうするべきだ。個人の意思なんて関係ない。絵が上手いのなら、絵を描くべきなのだ。歌が好きだとしても、踊りが好きなのだとしても、絵を描く才能に恵まれたのなら、絵を描くべきなのだ。他の分野で『秀』を出せる人間が、好きとか嫌いだとかいう感情で『可』しか出ない分野に属するというのは、あまりに愚かなことだ。

 つまり、自分の理解の範囲にある中でもっとも自分が得意とすることをやれ、ということになる。


 まあ、その点で彼をこの理論に従って責めることは出来ない。彼がどの才能を持っているかは知らないが、彼の文才は人並外れている。間違いなく最良の選択をしているだろう。


 しかし、問題はもっと簡単で、かつ面倒な位置にある。


 彼が、自らの才能を認めていないことだ。俗に言う過小評価というもの。


 彼は義務から逃げているのだ。


 私にはそれが許せない。

 彼がどんな経緯で文章を書けなくなったのかについては、彼の妹に聞いても分からなかった。書けなくなる、描けなくなる。私にはとても理解できない――理解したくもないものだけれど、創作者たるもの、そういうタイミングがあることについてはしょうがないとは思っている。


 けれど、その理由に自分の才能を挙げるのは別だ。

 書かない理由に才能を挙げるのは良い、しかし、書けない理由にそれを言ってはいけない。一度始めたからには、最後まで走り続けるべきなのだ。


『……俺は、お前になら踏み台にされてもいいぜ』


 彼は言った。

 あの時は了承したけれど、別に私は彼を踏み台にするつもりはない。誰かを踏み台にして出来上がった作品なんてたかが知れている。というか、この私が言っても説得力がないかもしれないけれど、誰かを踏みつけにするなんて良くないことだし、そもそも誰かの踏み台になろうとするなんておかしいことだ。


 どうも、彼は自分を過小評価するきらいがあるらしい。そこが、私が彼を嫌いな理由。私はそんな彼を求めた――いや、彼を求めたことなんて一度たりともないのだけれど、でも、私からアクションをかけたということはそういうことなのだろう。私には分からない。分からないけれど、とにかく、私は踏み台を欲したわけでもなければ、うじうじとその場にうずくまるだけの少年に声を掛けたつもりでもないのは確かだ。


 私は。

 私は――。


 なんだろう、彼のうじうじさが私にも移ってしまったのだろうか。

 とにかく今は、そんな気に入らない彼をどうにかせねばならないというのに。まったく、私が――私と青春を送るためにあなたは私と一緒にいるのでしょう。そんなあなたが迷っていてどうするのよ。


 あの本の中にいた、きらきらした貴方は、いったいどこにいってしまったのよ。


 

 


 


 

 

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