第十五話 同衾騒動

 さて、昼食を食べ終えた後の俺らの行動といえば、テレビゲームをしたり、人生ゲームをしたり、無言でだらけたり、晩御飯でポトフを作ったり――と、それなりにエンジョイしたわけだが、今やその思い出たちが遠い過去のもののように思える。

 その原因はまさに、夕食後の。俺の人生の中でも一二を争うミラクルイベントのせいなのだが、今それを思い出すと寝られそうにないので、俺は電気を落とした自室のベッドの上で、うつ伏せになって休むことにした。


 現在、立は深夜の一階の居間でテレビ番組を視聴中。天津風は俺と同じく、二階の元空き部屋で休んでいる。もっとも、天津風に関してはまさに疲労困憊ひろうこんぱいといった様子で階段を登っていったので、既に眠りについているだろうけど。


 人生ゲームの金の100万ドル札にテンション上がってたくらいだしな。色々と(はしゃぎ)疲れが溜まっているに違いない。

 

 もちろん俺だってかなり瞼が重い。料理や遊び疲れは勿論、あいつが楽しめるように、楽をできるようにずっと気を張っていたし。その気疲れこそコミュニケーション下手の証のような気がするが、性分なので仕方あるまい。

 でもまぁ、今日はあいつの青春のための一日だったし、パソコンの前で何もできずに精神だけ疲労していくあの虚無な時間の三千倍はマシだったとは思うので、そこは良しとしよう。

 あとは寝るだけ。一日を閉じるだけなのだが……。


 しかしどうにも寝られない。

 まだ体がふわふわと浮いている気がするのだ。瞼が完全に落ち切らない。

 壁を隔てた向こうの部屋に、血も繋がっていない女子が寝ているという状況が不思議過ぎて慣れないのだ。

 ここで大声で


『夢ならばどれほどよかったでしょう♪』


 と歌い出したときに、飛び込んでくるのがあの天津風夜霧だという事実が信じられないのだ。宿泊体験のテンションに近いのか。陽が沈んだ後も友達を遊べる嬉しさ、みたいな。

 ……いや、別にあいつに夜も会えて嬉しいだとか、そう言っているわけでは無い。そういうわけではないよな……?

 なんか心がぐちゃぐちゃしてる。このテンションのままじゃツイッターに意味分からんポエムを投稿してしまいそうだ。ここは早く寝るべし。


 と、そんな時。

 ガチャリと部屋の扉が開く音がした。廊下の明かりがさし込む。


「立か? ダル絡み選手権なら明日にしてくれよ……」


 目を瞑ったまま返事をする。


「……」


 しかし立の返事はなく、扉は閉じられ、足音が近づいてくる。立の奴、加減というものを知らないからな――と、うつぶせのまま両手で首を覆うようにガードする。

 先日、思い切りチョップを喰らって死にそうになった、というトラウマからの行動であった。


 結果から言えば、俺の警戒は杞憂に終わった。

 ベッドが軋み、俺の腰のあたりが沈む。ベッドのふちに腰かけたのだろう。そこから立はゆっくりと身を伏せ、そして俺の隣に横になった。

 漏れ聞こえる息遣い。

 立とは思えない上品な仕草(妹なら確実に飛び込んでくる)に、違和感を覚える――いや、違和感というかもうそれは確信に近かったのだが、急激に高鳴り始めた心臓に、俺は息苦しくなってどうすることも出来なかったのだ。


 かくして、立だと思っていたものは囁くように言った。


「夜這いに来てあげたわ」


「頼んでないんだけどな」


「こちらシーフードピザ二枚よ」


「本当に頼んでねぇ!!」


 本当に需要の無い迷惑行為である。

 いや、そうなると俺は天津風に夜這いに来て欲しかった、ということにならないか……? 断じてそんな気持ちはないと信じたいところだが……そうだ、需要と欲求は違うものだ。

 いわばおまけだ。

 別に欲しいわけじゃないけど、あれば貰うよ、的な。

 ……俺は何を相手に弁明をしているのだろうか。


「嬉しくないの? 学校イチの美少女と同衾どうきんしてるのよ? あまりある光栄に身を滅ぼしてもいいんじゃないかしら」


「自分を学校イチの美少女と言えるような精神の持ち主と寝床を共にしているのが恐ろしくてたまらないよ」


 本当に身を滅ぼしかねない。現に心臓は先ほどからバクバクしっぱなしだ。


「照れ屋なのね」


「お前はもっと恥じらいを覚えろ」


「そんなものカンブリア紀に置いてきてしまったわ」


「お前何万歳だよ!」


「あら、ロリババアがナウな流行りだと聞いたのだけれど」


「どこの文明の話だよ……ってかお前別にロリじゃねぇし」


 こんな奴がロリとか嫌だろ……。

 お前はどちらかというと年上系のキャラ設定なんだから、急にロリだと言われても困る。


「ロリって十五歳ほどの子までのことでしょう? なら私もほぼロリじゃないの。半ロリといってもいいかしらね……いえ、半ロリだとロリの半分……つまり七歳児とか、そういう扱いに聞こえるかしらね」


 ひと会話にロリという単語を五回使うほどのこだわり。明らかに不必要である。

 ところで、ロリって一括変換すると『ロ』になってしまって非常に面倒なのだ。変換キーを二度押す手間があれば、もう少し豊かな生活が送れるだろうに。


「……そもそも天津風はロリではないだろう」


「そう、あなたは私をロリの風上にもおけないというね。なるほど、あなた、ロリにだいぶこだわりがあるようね」


「ロリに風上も風下もねぇよ。っていうかその言われようだと俺がこじらせたロリコンみたいになるだろ!」


 俺は普通の男子高校生であるわけで、そんな意味不明な設定はいらない。


「ロリに一家言ある者。略してロリゴン」


「テレビで見たら気絶してしまいそうな名前だ!」


 というか、彼女はロリコンの語呂と掛けたつもりなのだろうが、一家言の正しい読みは『いっかげん』であり、そもそもゴンとは略せないのだが、そんな細かいところに拘るのは無粋と言うものだろう。


「それで、どうなのよ。私は私のことをなんて呼べばいいの」


「仮に、万一お前がロリ認定を受けたところで自分で自分のことを『ロリ』と呼ぶロリはいないわけだし、別に呼び方までは変わらないだろ」


 自分のことをロリと呼ぶロリっ子……なんというか、致命的な欠陥があるように思えてならない。少なくともロクな親ではないだろう。


「というか、私のお風呂上りの裸体を見ておいてよく言えるわよね。恥じらいを持てだなんて」


 ロリへの執着はどこへやら、唐突に話を戻した天津風は痛いところを突いてきた。


「ぅ……」


 こいつが言っているのはのことだ。

 俺が見たときはバスタオルを巻いていたから、正確には裸ではなかったのだが、そういう問題ではないことは分かっている。


 湿った黒髪に上気した顔――、身にまとうにはあまりに薄すぎる白い布切れ一枚に透けて見えた胸のカタチ、丸みを帯びたヒップライン。あれがロリの体だとはとてもではないが思えない。

 うーん。身体のラインでロリであることの反証をするだなんて、ロクな人間じゃないな、俺は。


「あ、あれはお前が急に出てくるから……」


「自宅にいる感じで振舞ってしまった私の落ち度ではあるかもしれないけれど、普通女子のいるお風呂場の前の扉で突っ立ているものかしらね」


「……たまたまです」


 ……嘘であった。

 もしかしたら透視能力に目覚めるのではないかと扉を睨みつけていた、なんて言えるわけがないです。もしラッキースケベがあってもそれは青春っぽいからいいよね、なんて思ってたなんて、口が裂けても言えません。


 ほんとロクでもないな……。ますます自分が嫌になる。


「そ。そういうことにしておいてあげる。それで、どうだった? 私のカラダは」


「お前正気か?」


 ラッキースケベの感想を求める奴がどこにいんだよ。


「芸術家が正気を保っていると思っているのかしら」


「正気だからたまにんじゃないのか……? ぼっちが無理しすぎなんだよ。急にベッドに入ってくるなんて、ぼっちというかビッチの領分だぞ」


「――っ! う、うるさいわね……無理なんてしてないわよ……!」


 そう言った声も震え、上ずっていた。

 まぁ初対面の奴じゃ気づかない程度だけど。


「どうしてこんなことしようと思ったんだ? 俺のこと嫌いだろ、お前」


「嫌いな人間に嫌がらせをするのは普通じゃなくて?」


 嫌いなことは認めるんだな……。


「むしろ俺にとってはご褒美だろ。『嬉しくないの? 学校イチの美少女と同衾してるのよ?』って言ってたろ、お前自身も」


「そんなご褒美を前にして、目を閉じっぱなしでそっぽを向いてるあなたが言うのね。説得力に欠けるわ」


 まさにその通りであった。だってこの距離で顔見合わせたら本当に心臓が止まってしまいそうだし。その点からいえば、確かにある種の嫌がらせではあるのか。

 とはいえ退くわけにはいかない。


「自分が何してるのか分かってないのか? 俺はただのクラスメートだぞ。お前と付き合っているわけでもねぇし、好き合っているわけでもない。そんな奴と一緒に寝るなんてどうかしてるぞ」


 俺は世間一般の常識を突きつける。ヘタレ主人公の鑑みたいな男だな、俺は。

 しかし天津風はひるむことなく真正面にぶつかってくる。


「じゃあ逆に聞くけれど、この私がただのクラスメートと会話をし、会う必要のない休日にわざわざ買い物に付き合わせると思っているの?」


「…………」


 俺は、答えることが出来なかった。

 彼女が何を言いたいのか、その文脈を理解してしまったから。

 新学期早々にあんなことを言うような奴が、その言葉を口にする理由。


「……もう二度と言わないからよく聞きなさい」


 彼女は静かに息を吸う。


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