第十三話 荷物持ちとデートの行方

 その後、聞きたくもないじいさんのヌードモデルとの思い出やなんやを聞いて、数十分。

 画材屋から出てきた天津風の両腕には結構な量の荷物がぶら下がっていた。


「ったく、よくこんなに買ったな」


 特筆すべきは大きな木製の箱のようなものである。彼女の手から攫って持ってみると、これが結構重い。四~五キロはあるのではなかろうか。


「……なによ、急に男ぶって――」


「ん? なんか言ったか?」


「……何でも無いわ」


 天津風はぷいとそっぽを向いてしまう。あれ、なんかまずいコトでもしたかな。


「なぁ、これなんなんだ?」


 機嫌確認を兼ねて、訊いてみる。


「イーゼルボックスよ。屋外用のイーゼルと、パレットとか諸々の用具がセットになっているのよ。重い分風の影響受けなくていいのよ」


 つらつらと唱えるように説明する天津風。なるほど。確かにこれに加えて他のものを買うのは、女子一人では無理か。


「ウェブで買えばいいのに」


「嫌ね、すっかり技術に染まっちゃって。こういうのって実際に見て触らないと分からないじゃないの。値段なんかは関係ない。自分に合うかどうかで決まるの。あなただってそういうものあるんじゃないの?」


「まぁ、そうだな。迂闊だった」


 確かに、俺も自宅の椅子とデスク、周りのインテリアにはこだわったものだ。見えるものが違うだけで世界は変わる。散らかした部屋だと全然速度でなかったしな。

 環境や道具というのは知らず知らずのうちに人間に影響を与える。人間とその他動物を比較する点において、道具のために道具を使うのは人間だけ、というものがあるが、逆に、その使のも人間だけだ。

 人間は環境の生き物だと言う。試験前に掃除のしがいのある部屋にはしてはいけないのだ。


 ……高齢化をひしひしと感じる商店街を二人歩く。シャッターを下ろしている店が散見されるほどのさびれ具合なのだが、今はなんだか明るく見える。

 なんというか、家族以外と休日に出かけるなんて久しぶりで、なんか地に足がついていない感じだった。


「歩くのが遅いわよ」


「すまんな、俺は非力なんだ」


「私が前から刺したらどうするつもりなのよ」


「お前、俺が後ろ歩いても前歩いても刺すつもりなんだな……」


 前を歩いていた時にも同じことを言われた記憶がある。


「刺したくなるようなことしてるからいけないのよ」


責任転嫁せきにんてんかが過ぎるわ!」


「好きな子にはイタズラしたくなるものだとよく言うじゃない」


刺突しとつがイタズラの範囲に入るのかははなはだ疑問だけどな」


 それにこの場合好きな子に該当するのはこの伽藍航になるわけだけど。表現の妙だよな、こういうのって。

 こうやって勘違いする奴から順にセクハラで訴えられていくんだ。おれしってる。


「それでこれからどうするんだよ。荷物いっぱいだし、もう昼どきだろう。どこか飯食ってくか?」


 問うと、天津風はこちらを向いて不思議そうに首を傾げた。


「何を言ってるの。帰るのよ」


「……は?」


「あら、そんなに私といたいのかしら」


「今回はその挑発に乗るぞ。

 もちろんだ。俺はまだ一緒にいたい」


「――っ!」


「……おい、痛いぞ」


 天津風が急にこっちに向かってきたかと思えば、俺の足を思い切り踏みつけたのだった。たとえ体重がりんご三つ分だったとしても、りんごを投げられたら当然痛いのだ。


「……ばか」


 頬を林檎りんご色に染めた天津風が、視線を逸らして呟いた。


「なら変に挑発すんなよ、アホ」


「録音したわ。次は法廷で会いましょう」


「現在進行形で暴力を受けているのは無視なんですね……」


 当の天津風は照れ隠し――と言ったら殴られそうなのでやめておく――ではなく、気を取り直すように咳払いひとつ。


「でも、私お金無いわよ」


 数秒の間。


「……いや、本気で言ってる?」


「えぇ。芸術ってお金がかかるのね」


 初めて知ったようにうそぶく彼女。なるほど、こいつの夕食がカップラなのって、もしかしてこいつ、お金を絵に全振りしてるからなのか。

 完全にステータス振りを間違えている。こういうやつがポケモンで攻撃技ばっか入れるのだ。


「全然青春送れてないじゃん」


「私は死にたくないけれど、それで絵を描けなかったら本末転倒じゃないの」


「……お前なぁ。いったい何のためにバイトしたと思ってるんだ」


「バイトで得られるものはお金だけじゃないでしょう」


 彼女は俺の目を真っ直ぐ射抜いて言った。


「……まぁ、その通りだけどさ」


 売れば数百万のものを売らずに取っておくような奴が、お金のためだけにバイトをするはずがない、か。

 考えれば分かることだった。

 きっと今回だって、天津風は天津風なりに考えがあり、試行錯誤をしているのだろう。どうせこいつは引っ越す前から独りだったのだろうし、それがいきなりアルバイトやら、よく分からん男と休日に出かけたりするのだ。


 そりゃ、そうか。

 慣れないよな。


 芸術は人間に宿る。ならば天才だって人間だ。

 社交性というのは一朝一夕で身に着くものではない。高校の最寄り駅で待ち合わせをして、画材を買いに行くだけだったとしても、それは天津風にとっての精いっぱいのデートで、青春なのかもしれないのだ。


 全ては俺の憶測に過ぎないけれど。

 ……俺も前は、物語にんげんを創っていたんだぜ。


「お前って、もしかして可愛かったりする?」


 感情が抑えきれずに、そんなことを言ってしまった。女の子の精いっぱいな姿とか好みなんです、ボク。一人称変わっちゃうくらいに。

 

「また踏まれたいのかしら……?」


 きっと俺を睨みつける天津風。頬の赤みがまだ残っていた。


「それを言うなら踏む前に言うべきではないでしょうか」


 そして俺は既につま先を踏みつけられていた。だから痛いって。そして近いって。めちゃくちゃいい匂いするんだって。


「とにかく帰るわよ」


 と、先に行こうとする天津風。俺は「ちょっと待って」と止める。


「何よ。すれ違い通信でも始めるの?」


「それいつの時代だよ……。で、そんなことじゃなくてだな。どうせ今日も味気ないご飯食べるんだろ? そしたらさ、ウチで食べていかないかって。妹いるからさ、多少は安心だとは思う――というか毛頭そんなつもりは全然まったくないんだけどさ!」


 やたらと否定形の修飾語の多い文を聞かされた天津風は、俺をじっと見定めるように見つめる。じわりと額に汗が滲む。

 そして彼女はひとこと。


「変なコト、本当にしないわよね……?」


 ――もちろんだとも。

 お前がこうやって上目遣いで訊いてくるようなことをしてこなきゃな。

 

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