第十二話 資本主義社会を謳歌せよ

 お金が入った。

 苦労して天津風に言葉遣いを覚えさせた甲斐があったというものだ。

 さて、収入の獲得という問題をクリアしたところで、そもそも何故俺たちがアルバイトをすることになったのか、というスタートに立ち返りたいと思う。

 

 ……そう。

 デートをするためである。

 俺はそこら辺を上手く誤魔化して、天津風が夕食に一汁三菜を食べられるようになれば、と思っていたのだが、生憎あいにく彼女は記憶力が良かった。


「明日、デート、付き合いなさいよ」


 バイト終わりの帰路。電車から降りる間際に彼女はそう言い残して降車した。返事をしようとした時には既に彼女は扉の向こう。有無を言わせないあたり、彼女らしいと思った。

 返事をもらうのが怖かった、とかだったら結構萌える展開だと思うんだけど、そりゃないよな。

 ――数分後、ラインが来た。天津風からだ。


[十時、駅の改札]


 駅というと、高校の最寄り駅か。確かに、わざわざ越してきたんだから、高校の近くに家があるのは不思議なことじゃない。


[分かった]


 ラインを返す。余計な文言は入れない方が良いらしいとサイトに書いてあったのを活用した。


 まぁ結局、家を出る九時前、出発のラインを送ろうとする瞬間まで既読はつかなかったんだけど。



 *



「――遅い」


「お嬢様、ただ今の時刻九時三十五分なのですが」


「い、一時間前行動が社会の規則でしょう」


「どこのブラック企業だそれ」


 高校最寄りの駅の改札。そこには円柱に背中をもたれた天津風がいた。

 黒のプリーツロングスカート――縦に山折り谷折りのひだがついているスカートである――に、ショルダーバックを下げている。白いレースのブラウスの上から羽織っているのはベージュのトレンチコート。カジュアルに袖をまくっている。

 全体的に落ち着いた、レディのファッションだった。やっぱりデザイン系の能力があるんだろうな。田舎にはいないタイプのお洒落さだった。

 

 無難に、青系のシャツにチノパンというオタクが少し頑張ったような服で来てしまった俺が恥ずかしい。せめて整髪料でもつけてくるべきだったか。


 ……というか、こいつ九時からここにいたのかよ。ポケGOでもやってたのかね。


「で、何をするんだ?」


 こうして来たからには是が非でも青春要素を補給したいところではあるが……。


「えぇ、少し買い物があってね」


 柱を蹴って、こちらに飛び出してくる。普段では見せないような活発さに、少しどきりとする。やはり楽しみにしてくれていたのだろうか。1時間前乗りしてるわけだし……。


「何よ、私の胸になにかついてるのかしら」


「別に胸ばっか見てるわけじゃねえ!!」


「私を見てたことは否定しないのね」

 

「うっ……」


 言葉で弄ばれた……。仮にも言葉でお金を貰っていた俺が……。


「まぁ、今はが倒せて機嫌がいいから見逃してあげるわ」


 ポケGOじゃなくてドラクエ派だったらしい彼女。


「RPGはドラクエ以外認めないわ」


「しかもドラクエ原理主義かよっ!」


 どっちかと言うとFF派かと思っていたんだけど、人って見た目じゃ分からないものだ。いや、FF派の見た目ってのもよく分からないけど。金髪で大剣持ってたりするのかね。


「それで、どこ行くんだ?」


「ついてくれば分かるわ」


 天津風はそう言ってすたすたとホームへの階段を昇っていく。目の前でロングスカートがひらひらと揺れる。うわぁ、なんかすごいいい匂いがする……都会っ子怖いわぁ……。


「本当に大丈夫なんだろうなぁ……」


「何かあったら守るのが今日のあなたの役割でしょう?」


 階段を上り切った彼女がこちらを振り向いて、挑戦的に俺を見る。本当、俺の隣にいる理由が分からないくらい、彼女は綺麗だった。


「あぁ、努力する」


 返事をすると、彼女は満足そうに頷いた。

 ――電車が来る。

 彼女の黒髪がはらりと波打つ。


 *


「ここよ」


 電車で四駅ほど。天津風は古めかしい昭和ながらの商店街の一角を指さす。錆びついた看板には『をとめ画材』との文字。

 なるほど、画材の仕入れというわけか。


「すみません。古田さんの紹介で伺いました天津風と申します」


 天津風がやたらと丁寧に挨拶をすると、雑多な店内の奥の方から腰の曲がったおじいさんが出てくる。目尻に刻まれた皺からは温和な印象を受けるが、瞳の奥に宿るぎらついた光は……、なるほど、この人も創作者の一人なのだろう。


「おや、君があの――いやはや、こんなにべっぴんさんだとは思わんかったのぉ。おや、奥にいるのは君のかね」


「奴隷――いえ、奴隷です」


 ラブコメで見られるような戸惑いは一切なく、冷静に冷酷に彼女は言った。


「結局奴隷じゃねぇか」


「奴隷じゃなきゃ何だと言うのよ」


「普通に――」


 そこで、はたと気づく。


「あれ、俺らってどんな関係なんだろうな」


 そんなやり取りを、じいさんはしゃがれた声で笑った。


古田あいつに聞いていた話とはだいぶ印象が違うのぉ。だが――い。実に良い。芸術とは人に宿る。なればこそ、人に触れてこそ己の芸術を知り、高めることが出来る」


 ――いい目をしているではないか。

 じいさんは俺を見て一言。


「頼んでおいたもの、ありますか」


 天津風が問う。


「おうさ。ナムラの豚毛と……コリンスキーの八号だっけなぁ」


「はい。豚毛の方は十六号で」


「絵は売っていないのだろう。学生でよく買えるねぇ」


 じいさんは感心するように顎を触りながら、レジと思われる台の下からゆっくりとした動作で筆を数本取り出す。


 これは後から調べたのだが、『ナムラ』というのは絵筆のブランドで、<〇〇号>というのは筆の大きさ。豚毛とコリンスキー――要するにイタチ――というのは筆の材質らしい。特にコリンスキーは大変高価だそうで、八号サイズはなんと六千円。なんというか、現実感のある高価さである。


「どうだい、他に何か見ていくかい? 質のいい顔料が手に入ってなぁ――」


「はい、拝見させていただきます」


 そう言って、二人は狭苦しい店内をうろつき始めた。こうなってしまうと門外漢である俺は何もできない。俺はただぼうっと天津風の様子を眺めていた。


 基本的に反応が小さく、面倒くさそうにしている天津風。しかし今は足音軽く、活き活きとしているように見える。絵を描いているときは多少表情が豊かにはなるものの、大抵は不満げに眉をひそめていることが多いので、純粋に楽しそうな彼女を見るのは初めてと言ってもいい。

 俺も本屋に行ったら毎回テンション上がるしな。分かる分かる。


 と、そんな感じで微笑ましく彼女を観察していると、


「君は気苦労が多いだろう」


 いつの間にか隣にいたじいさんが、一人で店内を物色している天津風を見て言う。


「えぇ、まあ。自分勝手な奴なので」


「ほほほ。彼女ほど絵描きらしい絵描きはいないだろうなぁ」


「絵描きらしい、ですか」


「そうだとも。絵画とはこの世の一瞬の移ろいを切り取り、彩るもの。彼女の絵の場合は印象的――絵の中でも、さらに刹那的な作品だからねえ……。その最高の一瞬のためには、どんなことも出来てしまうような危うさが、彼女にはある。そこは古田の言う通りなようだね」


 最高の一瞬のため、か。

 あいつの突拍子のなさを上手く表現するような言葉だ。

 ずっと、追い求めているからこそ、彼女はああも眩しいのだろう。


「あの、古田さんというのは」


「あぁ。私の同級生でね、一応は彼女の絵の師匠にあたる男だよ。もっとも、社会的評価で言えば弟子に抜かれてしまったようだがね」


「師匠ですか……」


 あの尊大な態度の天津風に師匠とは、想像出来ないな。


「弟子入りしたのは彼女が4歳の頃だったと聞いているよ。その頃から古田は天才だ天才だと騒いでいたなぁ」


「やはり、天津風の絵は凄いのですか」


 俺がそう質問すると、じいさんは目を丸くして逆に問いかけてきた。


「――彼女の隣にいるということは、そういうことではないのかね」

 

 そういうこと。

 俺があいつといるようになったきっかけ。確かに、質問するまでもなかったか。


「創作物というのは、専門家に褒められて二流、何も知らない人間の感情を揺さぶって、はじめて一流になれる。その点で見ても、彼女の実力が分かるだろう」


 ――もっとも、と、じいさんは言葉を続ける。


「自分の感情を込めて、初めて作品は命を宿す。そして問題なのは、作品が生きていなくても一流になれるということだが……そこは君が助けになってあげなさい」


 慈しみに溢れる優しい声色でじいさんは言った。


「はい.......善処します」


 俺はその言葉の意味をよく理解しないまま、頷いた。




「ところで少年」


「はい」


「彼女とはもう交合まぐわったのかね」


 おい、変態じじい。良い雰囲気だったろ。


 




 











 

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