第十一話 とても眩しいアルバイト
もとより音楽ライブというものには興味を持っていた。
だからまぁ、それに参加できると言うのは嬉しかったんだけどさ。
「もっと列詰めてくださーい!」
俺の細身に似合っていないであろう紺の警備服を身にまとい、物販会場へと続く行列の周りを
アニメのキャラがプリントされたシャツを着た男たちが群れを成すさまは、なんというか、大迫力だった。
――資本主義社会を生きていくために、そして青春を送るのにはお金がいる。
という結論に至った俺と天津風はアルバイトを探した。というのは前回の話。
結局司書である結の――正確にはその姉の――つてを利用して、短期のイベントスタッフのアルバイトにありつけたのだった。
俺は見ての通り警備スタッフ。天津風は物販の販売スタッフである。
他人のことを背景にしか思っていないような人間に接客なんて出来るのだろうか。あいつは大丈夫だとは言っていたが、やっぱり不安になる。学芸会を参観する親ってのはこういう心持ちなんだろうか。
俺は持ち場の巡回をしつつ、売り場の様子を観察する。
黒い頭の並ぶ列の向こう、いくつも用意されたレジのひとつに彼女はいた。
ライブ用のシャツを着た天津風。なんというか、装い以外はいつものままだった。笑みのひとつもない愛嬌に欠ける顔つきではあったが、滞りなく仕事を進められているみたいだ。「ありがとう」だって一応言えるようになったわけだしな。
なんというか、俺の心配が馬鹿らしくなってくる。あいつだって高校生だ。そこら辺はきちんと分かってやっているはずだよな。
だから、時折客の背中を睨んでいるのは気のせいだ。口がイ段とオ段の形を作っているのも気のせい。まさか「きも」なんて言っているわけがない。
……本当に大丈夫なんだろうか。
*
薄暗い会場に、音が生まれ、光が生まれ、そして声が生まれる。
だだっ広いだけだった空間が一瞬にして熱気に包まれていく。
身体が震えるほどの大歓声の中、俺は会場内を見回っていた。
赤、黄、緑。様々なペンライトの明かりが満ちて、曲に合わせてリズムよく振られる。まさに寄せては返す光の波。
アーティストやアイドルがライブをする理由が、少しわかったような気がした。
曲が激しい曲調のものに変わり、ペンライトが赤に染まる。まるで示し合わせたように完璧なタイミングでコールが入る。
眩しく輝くステージ上の存在に焦がれるように、一心不乱に声を上げ、身体を動かすさまはまるでどこかのカルト集団のようだ。
まぁ、でも、その気持ちが分からなくもない俺は、きっと彼らと似ている。
眩しいものに惹かれてしまう。
溢れる才能の光に魅入られて、必死に近づこうと足掻く。いやまぁ、そんなこと考えずに楽しんでいる人の方が大半だろうけど。
創る側と、消費する側。
ペンライトを振る方、振られる方。相互依存の関係で結ばれる両者。
きっと関係は対等だ。
でも、社会を変えるのはいつも創る側で、与える側で。見ている景色は同じようで、きっと違う。
……いや、もういいんだ。
今は、あいつの青春のために尽くそう。
汗を拭い、最上段から観客たちを俯瞰する。やはりすごい盛り上がりだ。
それにしても最近の声優さんって歌上手いなぁ。それに可愛いし。
「――何しけた顔してるのよ、親のカップル時代の写真でも見たのかしら」
この大音響のなかでもはっきりと聞こえたその声は、壇上の声優たちに向けられたものではなく。
「あ? なんでいんだよ、天津風」
隣に、俺と同じ警備服に身を包んだ天津風が立っていた。サイズが大きいのか、帽子をかなり深めに被っている。似合ってないわけではないが、コスプレを見ているようだった。
もう一度言うが、似合ってないわけでは無い。言ってしまえば、普通に可愛い。
「上の人にお願いしたら許可されたのよ」
「は? そんなのありかよ」
「見た目が良いとなんでも出来るのね。社会勉強になったわ」
帽子をくいっと上げる天津風。何気ない仕草。そこから覗く瞳がステージに差す光を吸って、星のように煌めく。
「――――」
薄暗い会場はまるで宇宙。俺は彼女の瞳の引力に捕らえられ、呑み込まれる。
目が――離せない。
俺をまっすぐに見つめるその瞳を、ただぼんやりと見返す。
「――ねぇ、聞いてるのかしら」
ふと、無音のはずの宇宙に声が響く。我に返る。
「あ、あぁ。ごめん。なんだっけ」
「あなたのお母さんは出べそなのかという話よ」
「その話に至った経緯を詳しく知りたいわ!」
「あなたが言ったのよ、『出べその基準ってなんだろうな』って」
「……マジ?」
俺、異性の前でそんなギリギリの話題を攻める男だったっけ。不安になる。
すると、天津風は呆れたようにため息一つ。
「まったく……、何をしてるのよ。私に見惚れていたのかしら」
……否定できなかった。
だから俺は黙って後ろで手を組み、警備員の仕事に徹することにした。
「な、なによっ。無口になって」
何故か若干慌てたようになる天津風。まさか自分で言って照れているわけでもあるまいに。
「仕事中だぞ。私語厳禁」
心臓の高鳴りを悟られぬよう誤魔化す。
「急に何よ。まぁ、私だって他の人間の芸術に水を差すつもりはないわ。ほ、ほら、さっさと見回ってきなさいよ」
自分はここで見てるから。そういう意味だろう。とことん自分本位なやつ。
「分かってる」
俺は与えられた仕事を
「ねぇ」
再び声がかかる。
「なんだよ」
振り向かず応える。
すると、少しの間をもって、天津風はぽつりとつぶやいた。
「……眩しいわね」
その言葉に、俺は返事をすることなく。
ただぐっと拳を握りしめて、階段を下った。
*
「……眩しいわね」
そう言った私を振り返ることなく、彼は階段を下って行った。
ふと見えた横顔、彼は、悔しそうに唇を噛んで、何かに耐えているようだった。
――伽藍航。
本当に気に食わないひと。
自分の才能を、一体何だと思っているのだろうか。
何かに耐える必要は無い。彼には、何もかもを置き去って走っていける才能――いえ、動機がある。
文学のことはよく知らない。けれど、同じく芸術に、創作に携わるものとして、あんなに光輝くものを、放っておけるはずがなかった。
彼は、周りに合わせて面白くも無いものを笑うような、そんな私の一番嫌いな人種だった。読めもしない空気を読んだフリをして、ありもしない空気なんかに振り回されるような、空虚な、がらんどうな人間だった。
それでもって、私の絵に向かって「間違っている」と言い放ったのだ。世が世なら死刑ね。世が世でなくとも、あんなにキラキラした目をしていなきゃ私が自ら首を絞めていたところ。
見る目があるただの生徒。
死ぬ気はないとはいえ、余命宣告を受けている身、彼と過ごす時間はない。そう思っていた。
――結果、彼はただの生徒では無かった。
彼の正体に気付いたのはささいな出来事からだった。
気になっていたイラストレーターのインタビューを読んだ。結論から言えば、その人の担当したものの中に、
あんなつまらない奴が、どんなつまらない小説を書いているのかと気になった。読んでもいないのに批判するのは許されないから。
……打ちのめされた。
文章というものを――決まりきった文字の羅列でしかないものを面白いと、好きだと感じたのは、生まれて初めてだった。
そして焦った。
青春なんてくだらないものに足を引っ張られてたまるものかと闘志に燃えた。素直に認めれば、感化されてしまったのね。彼の作品に。
そして巻き込んでやろうとも思った。私を燃やした責任を果たす義務が、彼にはあったのだ。私はそうやって、自分を正当化した。
あぁ、考えているだけで腹が立つ。
創作物に対する純粋な目。子供みたいに、無邪気に楽しもうとするあの目。私がとうに失くしたあの眩しさが憎らしい。
……本当に、眩しくて。頭が痛い。
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