第八話 失われた青春を求めて

 なんと、天津風夜霧は俺と同じ余命持ちだったらしい。

 あっ俺も俺も! みたいな会話が余命の話題で出来るとは思わなんだ。


 ……余命の話題ってなんだよ。ここは老人ホームか。


 対応を考えているところに、天津風は堰を切ったように言葉を吐きだす。


「私は天才よ。だからこそその才能に見合った作品を生み出さねばならない。それが天才の義務。天才たる所以ゆえん。だけど私はまだそんな作品を描けてない! そのまま死ぬなんて絶対に許されないことなの。だからこそ私は、私は――!」


「落ち着け落ち着け。ひとまずお前が余命持ちのぼっちなのは分かったから、ひとまず落ち着け」


「人が勇気を振り込んで告白したって言うのにっ! 何様のつもりよっ!」


 大分取り乱しているのか、天津風は涙目になって叫ぶ。

 ……ちなみに、勇気は振りんじゃなくて振りものだ。残念ながら今日こんにちの社会で勇気を通貨にしている国はない。

 三千万勇気で家が買える世の中ってなんだかほんわかするな。まぁ、悟空の勇気玉がただの悪徳詐欺になってしまうことを考えると一概に喜べないが。


 って、そんなことはどうでもいいんだよ。


「分かった、分かったから。どうしたんだ、お前らしくもない」


 普段のキャラ付けが剥がれてしまうくらいに絵に打ち込んでいるってことなのだろうが、これは異常だ。

 滑稽を通り越して悲愴にみえる。

 天才の義務。お前、そんなもの背負っちまったのか。




 ……それからしばらく。

 閉館時間が迫っていたので場所を変えて、最寄り駅までの下り坂。

 一日の終わりを告げる茜色の冷風が肌をなぜる。

 深呼吸をして落ち着きを取り戻した天津風はいつもの淡泊な声色で言葉を続ける。


「というわけで、私、死ぬのよ」


 首に巻いた紺色のマフラーをたなびかせて、彼女は空を仰いだ。


「なんか青春小説みたいだな」


 死ぬ原因が青春の不足なのだが。

 なんだかなぁ。


「なんで青春欠乏して死ぬのかしら。まったくもって意味が分からないわ」


「まぁ俺もそう思うけど、俺らがどうこういったところでしょうがないだろ」


「それにここ寒いし、中途半端に田舎だし、画になる田園もないし、画材屋は少ないし! あぁ、みんな壊れてしまえばいいのよ」


「すげぇな、ここまで本末転倒なストレス発散は初めて見た。ってかそういえばお前引っ越してきたんだっけか」


「えぇ、プエルトリコから」


「どこだ、それ」


「That is between Kanagawa Prefecture and Saitama Prefecture

(神奈川県と埼玉県の間よ)」


 ――東京プエルトリコ

 日本の首都のくせにネーミングセンスのクセが強かった。


 あとプエルトリコで主流なのはスペイン語である。英語ではない。調べた結果である。


「なるほどな、都会のお嬢様ってことか」


 道理でこの時期にマフラーしてるわけだ。確かにこの時期でも最低気温五度くらいだしな、慣れないこともあるだろう。

 

「髪、染めてないんだな」


「は? 今のままの私が一番綺麗に決まってるじゃないの。染めたりなんかしないわ」


「東京の女子高生って全員髪染めてて、クラスでいかに美しいグラデーションを作れるか競ってるんじゃないのか」


「そんな素っ頓狂な催しなんてないわよ……」


 呆れたように返事をする天津風。

 グラデーション云々の話は別としても、全員がやんちゃで基本髪染めてるのかと思ってたぜ。

 都内の出版社に行った時は皆髪が黒くて、大人になったら都知事に強制されて黒染めされるのかと戦々恐々としてたんだが。


「この時期にわざわざ越してきたってのか」


「えぇ、転校生ってポイント高いじゃない」


「その割にはお前紹介とかされてなかったよな」


「『転校生です』ってちやほやされるのは癪だったから」


 それで、わざわざその挨拶を拒んだらしい。


「……お前、頭良いように見えて実は馬鹿だったりするか?」


「ダブルスタンダードなだけよ」


「そんな胸張って言うことじゃないからな」


 坂を下る。眼下に小さな町が広がっている。俺はずっとこの街で生きてきたから見慣れているけれど、こいつにとったらどこが何かも分からないんだろうな。

 それなのにあんな態度とれるとか、こいつどんな精神してんだ。


「歩くのが早いわよ」


「あ、すまん」


「私が後ろから刺したらどうするつもりよ」


「頑張って受け身とるしかないな」


 というか刺さないでくれると助かるんだがな。


「――私はまだ死にたくないわ」


 唐突に、天津風は確かめるように言った。

 余命を抱えた人間の、当たり前の感情だった。


「死ねない。死んではいけない。でも、私には青春がどんなものか分からない」


 青春。

 映画、CM、漫画、小説。

 その頭にくっつけばあら不思議、なんとも爽やかな響きに早変わり。お手軽な割には効果は抜群。

 そんなスーパー便利ワード。


 しかし、はたして、その内実を知る者はどれだけいるのだろうか。


「青春って何よ、私は何に殺されるのよ――」


 そんな曖昧な単語に踊らされて、世の中高生ちゅうこうせいは部活に入り、友達とゲーセンやプリクラに行って、あるいは異性に話しかけて、ラインして。

 でも別に俺だって同じことは出来る。白い目で見られようが俺は一人で、もしくは適当な知人を連れ立ってプリクラでモリモリの写真を撮ってこれるのだ。

 

 でも、きっと俺はそれを青春と呼べない。

 

 なんなんだ。

 使っているくせに、言葉に出来ない。

 送っているくせに、カタチに出来ない。


 そんなもの、本当に在るって言えるのか……?


「私はそんな透明なものに殺されるの。何も残せず、死ぬの? そんなの嫌よ。ありえないわ」

 

 駅前のロータリー。

 天津風は小さな拳を握って立ち止まる。バスのヘッドライトが彼女の影をアスファルトにこぼす。

 

 あぁ、やっぱり。

 こいつは俺を同じ側の人間と言っていたが、それは違う。

 俺はそこまで自分の死に理不尽さを覚えていない。

 ……言い換えれば。

 俺は、自分の生にそこまでの価値を見いだせていない。死にたいわけじゃない。でも、余命に抗ってまで、俺は生きる人生を持っていない。

 やっぱりこいつは本物だ。

 そして俺は偽物だ、成りそこないだ。


 ……。

 だったら、最期まで偽物らしく。

 

「……俺は、お前になら踏み台にされてもいいぜ」


「……は?」


「青春をしよう。そうすりゃお前は死ななくて済むんだもんな」


 怪訝な目で俺を見る天津風。完全に犯罪者を見るような顔だ。


「どうしたの、急に頭に海苔でも生えた?」


「苔も海苔も生えてねぇよ。お前は死にたくない、なら死ななくても済むように青春を送ればいい。欠けた青春を手に入れればいい。それだけの話だって今更気づいただけだ」


 最初から、そういう話だったのだ。


「……なに、私からの告白をフッたのを後悔したのかしら」


「あぁそうだ。それでいい。別に俺は何でもいいんだ。

 お前が絵を描ければ、それでいい」


 そのために、俺は踏み台になってやる。


 どこにでもあるようなバスロータリー。

 都会にも田舎にもなりきれない中途半端な地方の町の中。

 まったく、風情もなにもあったもんじゃない。どうせなら高校の屋上とかで言えばよかったな、なんて思うも、もう遅い。


 俺は、もうさいを投げてしまったのだから。


「……本気?」


 彼女のマフラーが風に震える。巻き込まれていた黒髪がふわりと広がる。


「当たり前だろ。こんな恥ずかしいこと冗談で言えるかよ」


 彼女はまぶたを閉じる。

 その暗闇に浮かべているのは、なんなのだろう。


 そして、ゆっくりと息を吐きだす。


 瞼を開ける。


「いいわ、分かった。最初は私から言ったことだし……、分かりました。青春をしましょう」


 そこで初めて、彼女は柔和な笑みを浮かべた。似合ってるかどうかはともかく、美しいのは確かだった。


「ったく最初からそう言えばよかったんだっつの。変に付き合いたいとか言ってさ」


「そっちの方が青春っぽいじゃない。結果フラれたけれど」


「別にそういうつもりで言ったわけじゃ……」


「まったく、あなたに踊らされるなんてほんとムカつくわ」


「申し訳なかったな」


 もっとも、仕掛けてきたのは天津風の方なのだが。


「まぁいいわ。勝つまで勝負すればいいだけの話だもの」


「ん、どういうことだ?」


 ――知ってる?

 彼女は言って。


「――じゃんけんって、あいこじゃ勝負がつかないのよ」


 天津風はそう言い残して、身をひるがえし、空から降ってくる暗闇に溶け消えた。


 

 

 

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