第六話 俺ら青春弱者です

「あなたもこっち側の人間だったのね」


 俺の書いた小説をテーブルの上に置いた天津風は言った。


「お前みたいな変人と一緒にするなよ。っつか何だその本」


 とぼけてみる。

 が、あまり効果は無かったようで。


「どこかで見たような名前だと思ったのよ。伽藍なんて大層な苗字早々いないし、名前だって音読みすれば<コウ>だもの。安易なネーミングセンスね」


 天津風は俺が著者であることを確信しているようだった。また面倒なことになったなぁ。

 

「……で、何の用だ。冷やかしなら帰ってくれよ」


「読んだのよ、それ」


「……! で、それでわざわざ酷評しに来たと」


「――ムカつくのよ」


 言って、ここで初めて天津風は俺から目を逸らした。

 その横顔は、やっぱり綺麗だった。


「本当にムカつく。せっかく安心して見下せる人間を見つけたと思ったのに」


「そんなもの探すな!」


「空って陸があってこその概念でしょう? 天才だってそう。全員が全員天才だったら天才なんてものは存在しない。凡百な人間がいてこそ天才は存在できるの。立場的には弱いのよ、天才って」


 ――じゃんけんで言えば天才はパーね。凡人はチョキ。

 そう天津風は続けた。


「グーがねぇじゃねぇか」


「どうでもいいことに目を付けるのね」


「お前が変な例え出すからだろ……」


「まぁそうね。グーは秀才、といったところかしら。凡人が天才を目指せば秀才。秀才はいくら努力したところで天才に勝てず、天才はただの凡人に依存し、凡人は秀才に憧れる。結局はそういう三すくみなのよ」


「じゃあ俺は天津風に勝てるんだな」


「その代わり私はあなたを見下せる」


むなしい勝利だった……」


「――ただ、今じゃどうなるか分からないけれど」


「?」


 なんだ、お前はかの必殺グーチョキパー全部出しを出来るとでも言うのか。

 あれって一勝一敗一分けで結局永遠にあいこなんだけどな。


「……なんでもないわ。とにかく、私はムカついてるのよ」


「何にだよ」


 柳眉倒豎りゅうびとうじゅ

 不機嫌そうに吊り上がった眉を見れば、こいつが本当にムカついているのだということは分かる。


「『お前、青春したことねぇだろ』って言ったわよね、この私に向かって」


 あ、そのことか。

 俺がぽんと手を打つと、ギロリと睨まれた。


「この言葉、そのまま返してあげる。

 ――あなた、青春したことないでしょう」


「馬鹿言え。俺は楽しい楽しい青春ハイスクールライフを送ってるぞ」


 俺の人生をカテゴライズするなら『青春ハイテンションギャグコメディ』になること間違いない。

 しかし、そんな俺を一笑に付す天津風。


「ふふっ――あんなもの書いておいて、まともな青春を送れるわけがないでしょう」


「は?」


「何よ『藍色の春に歌え』って、藍色は青じゃないわ。でも、あなたの小説の青春ってそんな感じだった。あんなくすんだ青色で青春なんて送れるわけないのに。

 あんなの、間違ってるわ」


 似たようなことを書評で言われた覚えがある。間違っているとまでは言われなかったけど。

 当時は何言ってんだこのおばさん、と思っていたのだが、そんな印象を持たれるのか、俺の本は。


「小説はフィクションだ。一緒にしてもらっちゃ困る」


「そのフィクションを考えたのは現実のあなたよ。あんなものを書く――書けてしまう人間が普通の青春なんて送れるわけないじゃない」


 それは天津風の絵を見たときの俺の感想とほぼ同じものだった。意味ある偶然の一致シンクロニシティ? それとも――。


「で、なんだ。お前は言い返すためにわざわざ放課後に俺の居場所を突き止めてここまで来たってのか」


「それもあるわ。あそこの司書さんに教えてもらってね。色々聞かせてもらったわ、といっても大抵ははぐらかされたけれど」


 天津風の視線の先、司書室の扉から茶色い頭が見えていた。俺と目が合うと、結はペロッと舌を出して引っ込んだ。俺が早く帰るのを阻止するためにダル絡みしてきてたのか。

 あの女……余計なことを……。


「あなた、もう書かないの? 一時期とはいえメディアで散々取り上げられた天才中学生作家でしょう。次を求められるに決まってるわ」


「俺はもうただの高校生だからな。お前の言うじゃんけんに勝てればそれでいい」


 俺は作業を再開する。本を開いて、フィルムを切って貼り付ける。

 それを見た天津風は溜息ひとつ。


「そんな顔して言われても説得力ないわよ」


「俺は元々こんな顔――」


 なんだ。そう答える前に口を挟まれる。


「諦めるときは上を向きなさい。やりきったと空を仰ぎなさい。そうでないと未練タラタラなのがバレるわよ」


「……」


 何も言えなかった。言えるわけがなかった。

 情けない話だが、それは俺にとって図星だったのだ。


 ……書きたいに決まっているだろう。


 俺は本が好きだ。読むのも、書くのも。

 だからこそ、忘れられるわけがない。自分の文章と真剣に向き合ってくれる編集がいて、その成果が紙に印刷され、製本され、表紙イラストがついて、書店員さんが一冊一冊棚に並べてくれる。

 そして、たくさんの人の目に触れる。

 あんな体験を一度味わってしまったら、忘れることなんて、出来ない。


 だからこそ苦しい。

 どうしても書けない、今が。

 

 俺がしばらく言葉を紡げずに天津風の足元を見ていると、彼女はまたため息をついて言った。


「あら、困らせる気は無かったのだけれど。ただ私にはけなくなる理由というのが分からなかっただけ、気にすることないわ」


 気にすることないだ? 嘘つけ。

 こいつはきっと、俺が気にしなくてもいいようなことをわざわざ俺に向かって言うような馬鹿じゃない。

 きっとこれは天津風の煽りだ。お前はその程度なのかと試されているのだ。

 その証拠に天津風は意地の悪い笑みを浮かべている。真性のサドだなこいつ。


「……で、結局何の用なんだ。いいか、物語ってのは早く本筋に入らないと読者に嫌われるんだ。本当に嫌味だけ言いに来たってなら俺は帰るぞ」


 この場合の読者は俺である。

 作者は目の前のお嬢様。勘弁してほしい。


「せっかちなのね。もうすぐ死ぬのかしら」


 そんなに楽しそうに言われてもなぁ。


「安心しろ。二年後には死んでるよ」


「二年後? 面白い冗談ね」


 天津風は肩をすくめる。

 それが冗談じゃないってのが、なんだか悲しいね。


「お前は俺の面白い冗談を聞きに来たわけでもないだろ」


「せっかちと早漏は嫌われるわよ」


「女子高生がなんてことを言うんだ!」


 すると、天津風は目尻を緩ませ、妖艶に微笑んで。


「あら、何を想像してるのかしらこの男子高校生は。私は蹌踉そうろうって言ったのよ。いやね、盛っちゃって」


 ちなみに、蹌踉とは<よろけ、ふらつく>ことである。芥川なんかも使っていたっけ。


「いや、お前早漏って言ってたじゃ――」


 ……待て。俺が<そうろう>という読みに自分で<早漏>と当てていただけなのか。確かに足元がふらついているような人間は嫌だし、不安になる。かなり無理やりな気がするけど文脈的には間違ってはいない。

 この論理でいけば、俺が盛っているという事実を否定できない。

 まさかそんなことは……一応クール系キャラでここまで通してきたんだ。いまさら等身大の男子高校生キャラなんてやってられるか!


「まだなのね、情けない」


「なっ……んだと……!」


 くそ、追撃してきやがった。

 この場合童貞でも<道程>でも意味が通る。もし彼女が後者の意味合いで言っていた場合、自動的に童貞と当ててしまった俺が性に興味津々ということになってしまう!


 …………。


「なぁ、このやり取りに生産性を見いだせないのだが」


「あら偶然ね、私もよ」


「じゃあ言うなよ……」


 なんとも阿呆な二人であった。


 結局本題に入るのは、図書室が茜色に染まるころであった。

 早くしろって? 俺もそう思う。


 



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