第五話 ミーハー現る / メンヘラ現る

「今のところ雨の予報は無いので、今年の桜は長く楽しめることでしょう」


 翌日、そんなお天気お姉さんの解説を聞いて、俺は家を出る。肺を満たす冷気。

 うっ、まだ涼しいな。

 俺は袖を伸ばして手袋をはめた。


 最寄りの駅から数駅のところに、我が母校はある。歩いて一時間ちょいの距離。電車で行けば四十分ほど。電車登校するには十分な理由であった。


「よっ、ワタル」


 朝のホームルーム前、例のミーハー君が俺の隣の席に座る。本来は違う生徒の席である。そういう所を気にしないところがコイツの性格だった。


「なんかとくダネでも見つけたのか、ミーハー」


「いい加減名前覚えてくれよ……まぁいいや。

 それでな、お前、あの天津風夜霧を助けたんだってな! 確かに見た目は超一流だもんなぁ、惚れるのも分かるぜ。というかまともに話せれるのってお前くらいなものだしな~」


 調子のいい軽い声でミーハーは畳みかけるように言った。


「なんで知ってんだ……あと別にあいつを助けたわけじゃないし、惚れてもいない」


「絵を助けたって言うんだろ? 素直じゃないなあ」


 こいつ何でそんなこと知ってんだよ。あの時他に人なんていなかったぞ。


「とにかく、別にあいつに惚れたわけでもなんでもないからな。変な噂流すなよ」


 言うと、ミーハーは手をひらひらと振って「そんなことはしないよ」と笑った。


「――まぁ、ワタルが惚れてるのかは別としても、逆から見ればもっと面白いものが見えるかもしれないぜ?」


 ミーハーは意味ありげに笑う。

 申し訳ないが俺は鈍感主人公ではない。大体の意味は分かる。


「あいつが俺に惚れたって言うのか? それこそ有り得ないだろ」


「まあ、ワタル理論でいけば惚れてはないってことになるのかな。まあ見ただけだから本当のところは分からないけどさ」


「んだよ、煮え切れないな」


「情報は資産さ。そう簡単に渡すわけにはいかないな~」


「んじゃいいよ別に」


「なんだよなぁ」


 その<釣れない>って平仮名の<つれない>と意味違うからな。主に悪意の差で。


「何を勘違いしてるのか知らないが、お前のミーハーな精神を満足させるような情報なんて持ってないからな、俺は」


「何を言いますか。下手すればテレビで特集組めるくらいの人間でしょう、伽藍サン」


「……お前ってうざいよな」


「自分にとって不利になりうる人間はうざく思える。そして僕はそういう人間になりたいんだよ。だから四六時中他人のことを考えているのさ」


 こいつ、ソ連の秘密警察とかになってれば活躍出来そうだったのにな。

 ひねくれてやがる。


「普通にきもい」


「他人なんてどうせ皆気持ち悪いよ」


「おい、それっぽいこと言って逃げるなよ」


 するとミーハーはにやり、と口角を持ち上げて立ち上がり、自席へと駆け足で戻っていく。


「ほら、席につけー」


 担任のご到着であった。まったく、運のいいヤツ。

 というかそもそも天津風はどうしたんだ。既に登校時間を過ぎている。比喩でもなく後ろの席は空っぽ。今までこんなことは無かったし、どちらかと言えば優等生だと思っていたのだが……。


 ……。

 俺は何を気にしているんだろう。これではまるで少女漫画の主人公だ。俺の瞳には星形のハイライトなんてものは入っていないんだ。あいつのことなんて気になってたまるか。


 俺は首を横に振って気持ちをリセット。次の倫理の教科書を取り出して、俺は机に突っ伏した。

 机からは雑巾のニオイがした。きちんと掃除している証拠なんだろうけどさ。


 *


 今日この日が、俺の平穏な日常の最後の日になるなんてこと、一体誰が想像できただろうか。

 というか俺が想像出来ない時点で、それは避けようのないことだったのかもな。


 *


 放課後、期待通りの退屈な授業を終えた俺は、図書委員の副委員長としての仕事を果たすべく図書室に向かっていた。

 二年の教室から階段を下り、渡り廊下を渡ったところの角部屋。そこが図書室になる。自称進学校なだけあって利用者はまぁまぁ多いのだが、部活のある放課後ともなれば、やってくるのは掃除担当の一年坊くらいなもので、基本的にはホコリっぽい静かな空間である。


 俺はそこの正面ドア――ではなく、その脇にある司書室のドアを開ける。

 部屋の中には、古めかしいデスクトップパソコンをいじる、白衣を羽織った若い女性がいた。

 名前を法堂結はっとうゆいという。この高校の司書である。

 明るい茶色の髪を後ろでまとめたシニョン――俗にいうお団子である――の髪型をした彼女。パーツの整った西洋風の顔立ちは一部生徒達から「エロい」「えっちそう」などと、密かなファンを生むほどの美形である。

 もっとも、俺はこの人とその姉に縁がある。入学前からお世話になっているので改めて意識することは無かった。


 まぁ、実のところ真に人気の理由は顔ではなく、着衣してても分かる豊満な胸にある。これに関してはいつまで経っても慣れることは無い。

 ついつい視線が言ってしまうのを理性でこらえる。


「……どうも」


 俺は何に焦点を合わせるでもなく、カタチだけの挨拶をする。

 すると司書はこっちに幼子のような無邪気な笑顔を返した。


「おっすー航くん! お姉さんは今朝玉川上水に行ってんで来たよー!」


「そんなバカなテンションで言うことじゃないでしょう……」


 病み報告ならツイッターでしてくれ。面と向かって言われると対応に困る。


「なに、東尋坊にでも行けってコト? やだなぁ、そしたらお姉さん本当に返ってこなくなるゾ☆」


 実はこの女、見てくれはいいけどこの上なく面倒くさい人種メンヘラなのであった。

 なんだ、俺の周りには変人しかいねぇのかよ。


「だって類は友を呼ぶって言うじゃん」


「……俺はあっちでカバー掛けしてるんで、なんかあったら呼んでくださいね」


 俺は図書室の方を指さして逃げるように司書室を後にする。

 カウンター裏にある委員専用の大きめのテーブルに文庫本やハードカバー数冊とカバー用のフィルムを並べて作業を開始――しようとするが。


「航くーん!!」


 司書室からのやかましい声。うるせえぞ図書しただぞここは。


「なんですか」


 投げやりに答える。


「いつでも私のおっぱい揉んでいいから夫にならない? 私を守ってくれる男性って大切だと思うの!」


「知るか!? いいから黙って仕事しろ!」


「しゅーん……」


 気色の悪いオノマトペを口に出して言うメンヘラ司書の介入を受けつつも――、というか一瞬の迷いがあった俺の煩悩を恥じながら、俺は本を広げてフィルムを貼り付けていく。


 うーん、落ち着くなぁ。この滑るような紙の肌触り、鼻腔に滞留する新品の香り。データでは再現不可能な安らぎに包まれる。

 本に接する時間はかけがいのない至福の時間だ。今日は幸い誰も来ないようだし、じっくりと本に溺れよう。


 どうせ死ぬなら、本の海に溺死できししたいな。


 ……なんていかにもメルヘン脳が呟きそうなセリフを咳払いで誤魔化していると、ガタン、俺の安寧をぶち壊す砲撃音が入り口から響いた。そんなに強くドアを開けなくても……なんて思ってるうちに、リノリウムを叩く足音がこちらに近づいてくる。


 来るな来るな来るな! 何かとてつもなく嫌な感じがする。 

 ――それは青く、熱いようで冷たい、甘酸っぱいモノ。

 予感、というか悪寒が俺の五感を襲う。


 俺はなすすべもなくただその場で固まっていた。

 足音はなおも近づいてくる。まるで死刑囚の気分だ。

 実際には十秒も経っていないのだろうが、俺は引き延ばされた時間の中で固い足音に怯える。

 が、この世に永遠なぞなく、足音はすぐそばで立ち止まった。視界に入る陶磁器のように白い足首と上履き。


 かくして、俺は闖入者ちんにゅうしゃを見上げる。

 絹のような黒髪に、制服越しにでもくびれが分かるスタイルの良い体。改めて語るまでもないであろう。


 天津風夜霧。

 

 その人が俺を睨みつけるようにして見下ろしていた。

 しかし、彼女の瞳には以前には見られなかった輝きが宿っている、ような気がする。気がするだけだけど。

 彼女は口を開いて、何も言わず、代わりにその手に持った何か――文庫本だった――を叩きつけるようにしてテーブルに置こうとして、寸前で手を止め、そっと本を手放した。


 そして天津風は気だるげに、されど微かに口角を上げて、


「あなたもこっち側の人間だったのね」


 彼女はそう言った。


 天津風が手にしていた文庫本。

 空に向かって手を伸ばす二人の男女のイラストの入った表紙には『藍色の春に歌え』とある。

 そしてその下、美麗なイラストに水を差すようにして記された作者の名前は、『伽藍がらんコウ』


 まさしくそれは、俺の書いた小説だった。

 

 



 

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