第四話 スポーティーシスターとの会話
「――兄ちゃん、パンチラにでも遭遇した?」
帰宅後、俺が夕食のハンバーグをこねていると、妹にそんなことを言われた。
「は? っつか体操着のままソファに寝るなって言ってんだろ。汗臭くなる」
陸上部の活動を終え、妹は帰ってきたままの
「いいじゃん。女子中学生の汗付きソファなんて言ったら、きっと高値で売れるよ」
妹はめくれた体操着からカタチのいい縦長のおへそを見せて言う。
家の中だからってのもあるのだろうが、もう中三だぞ。そろそろ恥じらいというものを覚えてほしい。
「売れねぇし売らねぇよ。で、なんだよパンチラって」
「だって兄ちゃん、嬉しそうな顔してたから」
「は? 俺が?」
「うん。だからパンチラでも見たのかなって」
「パンチラに遭遇して家に帰ってもまだニヤついてるとかどんな変態だよ」
「兄ちゃんだよ」
「自信満々に答えるな。お前の兄だぞ」
妹は寝ころんだまま引き締まった細い脚を振り上げて、前転の要領でスタッと立ち上がり、天井や壁に向かって手を振り出した。演技を終えた体操選手のつもりなのだろうか。身内のバカがバレるからやめて欲しい。
「で、何があったんだよ。あんな顔、私と風呂場で鉢合わせたとき以来に見た」
「そんなに俺を変態キャラに仕立て上げたいのか!」
「でも私の裸を見たでしょ」
「いや、それはそうだけど。あれは
我が家の慣習で、風呂場に入っているときは唯一の入り口である扉のノブに『〇〇使用中』の札をかけるのだが、その時は妹の不注意でその札がかかっていなかったのだ。
また思い出しちまった。
たまたま見たのは立の後ろ姿だったけど、陸上部所属ということもあってか、ほどよく筋肉のついた背中に、ぜい肉のない引き締まったお尻。普段はがさつで男っぽい妹だが、やはり女子なのだと思い知った機会であった。
もちろん相手は妹、欲情するはずもなかったのだが……あれは衝撃的だったな。
家族に異性を感じるって、結構ショックなんだぜ。
「まぁ私は気にしてないけどさ。で、何があったのさ」
テレビの前でブリッジをしながら妹は言った。だから体操着、体操着がめくれるって。
「別になんもねぇよ」
「嘘つけ。この
本人は格好つけているつもりなのだろうが、体勢が体勢なのでまったく締まっていなかった。
「……なんでもいいだろ、別に」
「あ! 女だろ! 良い感じの女子高生に会ったんだろ!」
「……んなわけねぇだろ」
「いいや、絶対にそうだね。アタックしちゃいなよ。私に似て兄ちゃんもなかなかイケてるんだし」
「お前が俺に似てるんだ」
俺がイケてるかどうかは置いておいて、妹は美形だというのは事実だった。いかにも活発そうなショートヘアに、親が違うのではないかと疑うほどの大きな瞳と長いまつ毛。潤いたっぷりの健康的な肌色。絵にかいたような運動部美少女だ。
似ているところといえば髪の色くらいだ。まぁ、幼いころから水泳もやっていた立は、少し茶色っぽいんだけど。
塩素で色は抜けてるくせにさらさらヘアーとか、一体どんな魔法使ってんだこいつ。
まぁ、結果的に言えば、俺らはそんなに似ていない。
「で、どんな女の子なの」
いつの間にか俺の腕にひっついていた立が、目を煌めかせて問う。
どうやら俺が女子に会ったと確信しているらしい。まったく勘の鋭い奴。
「……傍若無人なお嬢様だな、あれは」
「病弱武人? 弱いんだか強いんだか分かんないね」
「……もういいだろ、このアホ。さっさとどけ」
「なんだよ~。せっかくの青春チャンスじゃん。こんなチャンス逃したら後はもう死ぬだけだよ」
一理あった。というか多分そうだった。
「いや、あいつと仲良くしている光景が浮かばん」
俺は天津風に叩かれる未来を想像しながら、フライパンに薄く油をひいて、ハンバーグのたねをそっと並べ入れる。油の弾ける音がキッチンに響く。
……まぁ、殴られたのは俺が悪いんだけどさ。
「でも徐々に仲良くなっていくってのが青春なんじゃないの? 兄ちゃんだってそういう本出してたじゃん」
「……あれは俺じゃない。小説と現実をごっちゃにするな」
「でも小説を書いてるのは現実の人でしょ? ほら、兄ちゃんはここにいる」
そう言って立は俺の頬をつねる。
「いへぇよ……」
俺の間抜け(であろう)顔を見て、にぱぁっと笑う妹。ほんと、人生楽しそうでなによりだ。
「とにかく、兄ちゃんに死なれると困るんだ。葬式とか面倒だし。ねぇ、そのお嬢様と仲良くなってよ」
葬式が面倒って……薄情な妹だこと。村八分でも火事と葬儀は面倒見てくれるってのに。
「無理だ無理。っつかあいつが絶対にそれを許さない」
「兄ちゃんは深く考えすぎなんだよ。やりたいことやればいいんだよ」
簡単に言いやがるな。
というか俺のやりたいことは、別にあいつと親交を深めることではなく……。
「それに最近、ずっとパソコンの前で固まってるでしょ。書きたいならさっさと書けばいいのにさっ」
「……そんな簡単な話なら俺は余命宣告なんざ受けてない」
「いやいや、だから話を難しくしてるのは兄ちゃんなんだよ。
やるか、やらないか。大体の話ってこれで決まるじゃん」
「だからお前は中学生なんだ」
物事はそんな簡単じゃないんだ。そんなシルバニアファミリーの住んでいそうな世界に政治家なんていらない。
そして残念ながらこの世界のシルバニアファミリーは生きていないし、政治家は今日も存在する。そういうことだ。
それでも立は口を尖らせて反抗する。
「つまらない大人と楽しい中学生なら、楽しい中学生の方が価値高いじゃん」
「あのな――」
ハンバーグをひっくり返しながら言葉を返そうとすると、それを遮るように立が口を開く。
「人はいつ死ぬと思う?」
「二年後だ」
「違うよ。人に忘れられた時だよ」
「んだよ、漫画の受け売りじゃねぇか」
そういえば某海賊漫画の全巻、こいつの部屋にあったな。
「いいんだよ。私が言えば私の言葉なんだから」
「お前の世界に著作権はないらしいな」
「でもさ、この言葉って結構真理だと思うんだよね」
「余命持ちにとっては希望になる言葉ではあるな」
「いやいや、兄ちゃんはもう死んでるから」
「なんだ、お前俺が人に忘れ去られてるってのか」
出来上がったハンバーグをお皿に乗せ、あらかじめ切っておいたトマトをブロッコリーを盛り付ける。
うん、いい感じ。
「毎日飯作ってるっつうのに酷いな、お前は」
「いや、私は兄ちゃんのこと永遠に忘れないけど、家族はノーカンでしょ、ノーカン」
なんだその謎理論。ホームドラマを全否定するつもりか、妹よ。
まぁ、俺たち家族の中で一番家族を大切に思っているのは間違いがなく立だ。母は俺の余命宣告にショックを受け別居中、父親も一週間に一度帰ってくるかの仕事人間。
その反動かなんなのか、妹は家族愛に厚い女だった。ノーカンというのも、家族は家族を愛して当たり前、とでも言いたかったのだろう。
カウンターに置いた茶碗や汁物、ハンバーグのプレートをせっせと机に並べる妹。俺は手を洗ってエプロンを外す。
まったく、余命二年の奴が家事全般こなしてるとかどんな地獄だよ。別に好きだし、妹にやらせれば酷いことになるのは目に見えてるからいいんだけどさ。
先に座った妹。俺は向かいのロングチェアに腰かける。
「結局何が言いたいんだよ」
向かいで「ハンバーグだぁ!」とはしゃぐ立に問う。食事中、飯が不味くなるような話はしたくない。さっさとオチをつけたかったのだ。
すると立は俺の目を真っ直ぐ見つめて、手を合わせて言った。
「――兄ちゃん、本当に死んじゃうよ?」
いただきます。
俺の返答を待たずして、立は箸を取り米をかきこむ。
俺も手を合わせて、サラダに手を付ける。味が薄くってドレッシングをかけなおす。
……それでも、味は薄いままだった。
その日の晩、無性にムカついた俺は妹の着替えている洗面所に突入した。相変わらずいいカラダをしていたが、気分は晴れなかった。
それからしばらく、妹からは変態と呼ばれるようになった。
なんかごめんな、立。変態の妹にしちまって。
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