第78話「猪熊様(いのくまさま)」

 夏休みのある朝、目覚めた時に気づいた。


「あっ! いけねえ! 今日、31日じゃねーか!!」


 夏休みに入ってから、カレンさんと出会ったり、ヤマダ学園が甲子園に出場しかけたり、いろいろなことがあった。


 そのせいで忘れていたが、あの「自称・天神さま」との約束「月に1回は防府天満宮ほうふてんまんぐうを参拝せよ」の今月のタイムリミットは今日だった。


 なので、俺は暑い中、防府天満宮に参拝に行った。


 そうしないと、「モテモテ学園生活から一転、カースト最下位に転落。学校中の女子に嫌われ、それがつらすぎて中退し、底辺の人生を歩むことになる」と脅されているので、行かざるを得ない……


 先月の自称・天神さまは調子に乗って、「賽銭に1000円札を入れろ」とかぬかしていたが、俺は1円玉しか入れなかった。


 ここで素直に1000円札を入れようものなら、来月は5000円札、再来月は10000円札を入れろとかぬかされそうである。


 不当要求には、断固たる態度で臨むべきだ……賽銭に紙幣を入れろという要求は断固拒否……


 そんなことを思いながら、本殿で手を合わせて拝んでいると、俺の隣に誰かがやって来て、目を閉じて何やら願い事をしていた。


 その人は、俺の見知らぬ人だったが、横顔を見ただけでもわかった、「美人」だと……その「美人」が目を閉じているのをいいことに、俺はついガン見して、観察してしまっていた。


 髪の毛はショートカットで、背は高く、体は細身のモデル体型……だから、おっぱいははっきり言って、ぺったんこで、体型的には俺の興味を引かなかったけれども、しかし、その横顔は本当に美しくて、俺は完全に見とれてしまっていた。


 スカートじゃなくて、パンツを履いていたので、はっきりとはわからなかったが、脚は相当に長く、美脚なのだと思われた。


 俺は断じてそう思わないが、どこぞのヘンタイだったら「この脚に踏まれたいぜ、ゲヘゲヘゲヘ」とか思ってしまうような脚なのではなかろうか?


「ん? 何?」


 俺が、美しい横顔に見とれていたら、願い事をし終えたその「美人」が、俺の視線に気づいたらしく、話しかけてきた。


「ああー、ひょっとして、君も僕の美しさに見とれてしまっていたクチかい?」


 ん? 「僕」? 女子なのに?


 ボクっ子はパーラーだけで充分なのに、新キャラがまたボクっ子ってどういうことだよ、作者め……


「あ、ご、ごめんなさい」


 俺は一人称に引っかかりつつも、俺を見つめる「美人」の透明感に圧倒されて、「こんな美人に嫌われるのはイヤだな」と思ったので、ガン見してしまったことを素直に謝罪した。


「いやー、こちらこそ、ごめんなさいだよ。ああ、たまたま隣に立っただけの男子が思わず見とれてしまうほどの美しい顔を持っているだなんて、ホント、僕は罪深いね……」


「あ?」


「ああ、ただ、この世に存在しているというだけで、男子をも魅了してしまう自分の美しさが憎いよ」


 こ、こいつ……


「でも、ごめんね」


 いわゆる「ナルシスト」ってやつなのか?


「残念ながら、僕は女の子のことが大好きだから、君の気持ちに応えることはできないんだよね、フッ……」


 その「美人」はおおげさな身振りで、短い髪をかき上げた。


 ん? 今「女の子のことが大好き」って言った? 女子なのに?


 新キャラとして、またレズを投入してくるとか、この作者は本当にワンパターンでつまらない奴だな……


「女の子が大好きって……君はレズなの?」


 俺は、自分の周囲にレズがたくさんいるからか……いや、たくさんって言ってもナナと福原ふくばらさんだけだけど……つい、ぶしつけな質問をしてしまって、いつものように、言ってから後悔していた。

 

「え? レズ? 僕が? ああー……」


 その「美人」は相変わらず、おおげさな身振りで、「ジョジョ立ち」のようなポーズをしたあと、俺のことをまっすぐに見つめて、話を続けた。


「よく勘違いされるんだよねー……」


 その大きくて黒い瞳は、吸い込まれてしまいそうなほどの美しさ、まるでブラックホールのようだった。


 ん? 勘違い? 何が?


「君は僕のことを女だと思ってるみたいだけど、残念ながら僕は男だよ。ほら、触ってみなよ、ちゃんとついてるだろ」


 その「美人」は突然、俺の手を取り、自分の股間に持っていった。


 その時、右手に感じたのは……たしかに「アレ」の感触だった。


「な……ななななななな……何を……」


 生まれて初めて経験する、他人の「アレ」の感触に驚いた俺は、一瞬で手を振りほどいた。


「え? 何をそんなに動揺してるんだい? 男同士だから別にいいじゃないか……って、ひょっとして、君ってゲイ? だとしたら、ごめんね。僕、見た目は女の子っぽいんだけど、性的には完全にノーマルなんだ。だから男のことは好きにはなれないんだよ、せっかく好きになってくれたのにごめんね……」


「いや、俺もゲイじゃねーし!! 女の子大好きだわっ!! 男は無理っ!! 別にお前に一目ぼれなんかしてないっ!!」


 神様の前で、何を叫んでるんだと思ったけれども、「ゲイ」じゃないのに、「ゲイ」だと勘違いされるのは、どうしても我慢がならなかった。


 どうにも俺の周りには、俺のことを「ゲイ」にしたがる人が多くて困る……


「そうなのかい? じゃあ安心だね……ところで君って、高校生? それとも中学生?」


 どこぞの女子高生たちと違って、目の前の「美人」は俺の言うことをちゃんと聞いてくれて、誤解はあっさりとけたので何よりだった。


「俺は高校生だよ。ヤマダ学園の一年生さ」


 でも、目の前の「美人 (ナルシスト)」に対して、内心イライラし始めていた俺は、マウントを取るために、あえて「ヤマダ学園」という名前を出した。


 カレンさんのリアクションを見ればわかるように、防府市ほうふしにおいては、「ヤマダ学園の生徒」と言うだけで、マウントが取れてしまうほど、名の知れた進学校なのだ。


「奇遇だね。僕もヤマダ学園の生徒だよ。それも君と同じ一年生」


 なんだと……まさか、この「女子みたいに美しい男」が同じヤマダ学園の一年生だっただと……


 マウントを取ろうとしたが、肩透かしに終わってしまったので、残念な気持ちになったが、目の前の「美しい男」はお構いなしに話を続けた。


「僕はB組だけど、まさかクラスメートじゃないよね? 今日初めて会ったもんね……君は一年何組なの?」


「A組だよ」


「A組。隣同士じゃないか。ここで会ったのも何かの縁。これから仲良くしようよ。あ、まだ名乗ってなかったね。僕は猪熊利教いのくまとしのり。君はなんて名前なの?」


 ん? 猪熊? どっかで聞いたことあるような名前な気がするけど、どこで聞いたんだろう? 


 思い出せない……思い出せないけれども、とりあえず、向こうが名乗ったのだから、俺も名乗らなければ失礼だろう……


「俺は池川智いけがわさとしだけど……」


「池川くんか。うん、これから仲良くしてね、よろしく」


 猪熊は、女子にしか見えない顔で、ニコリと笑いながら握手を求めてきて、俺はドキリとしながら、握手をした。


「よ、よろしく……」


 間近で改めて、猪熊の顔をじっくり見ても、やはり女子にしか見えなかった。


 でもさっき……たしかにあったんだよ……股間に「アレ」が……


「じゃあ僕はもう行くけど、また夏休みの間にどこかで会えるといいね、それじゃあ」


 俺が混乱しているうちに、「猪熊」という、勇猛な名字にふさわさくない美男子は、本殿を去っていった。


「ああ……」


 本殿に取り残された俺は呆気に取られていた。


 まさか「男の娘」を新キャラとして投入してくるとは……この作者の意図がまったくわからない……いったいどの辺の層を狙っているのかね?


 などとメタなことを思いながら、俺は猪熊の手のぬくもりと、「アレ」の感触を思い出してしまっていた……






 しばらく本殿でボーッとしてから、帰途についた俺は、自転車を漕いでいる時に思い出した。


 今から遠い昔の、入学式翌日、ナナと一緒に下校した時、B組に「イノクマ」という名前のイケメンプレイボーイがいると教えてもらったことを……メタ発言を許してもらえるならば、第十五話「イギリスの世襲貴族」の最後の方を読め……


「猪熊」なんて珍しい名字の人間がクラスに二人もいるとは思えず、今日出会った「男の娘」が、ナナの言う「イケメンプレイボーイ」の「イノクマ」なのだろう。


 でも一応、確認しときたくて、だからと言って、わざわざ会って話すようなことでもないので、帰宅後すぐ、ナナにラインしてみた。


「ナナ、今、暇?」


「暇じゃないけど何?」


 暇じゃないのに相手をしてくれるところがナナの優しさだなと思いながら、ラインを続けた。


「ナナのクラスに、猪熊って男いる? 女の子みたいな容姿の」


「ああ、猪熊様いのくまさまね。いるわよ」


「猪熊様? 何それ?」


「めちゃくちゃイケメンの美男子だから、ファンの女子たちにそう呼ばれてるのよ」


「そうなんだ」


「それで、猪熊様がどうかしたの?」


「いや、今日たまたま出会っちゃってさ、てっきり女子だと思い込んで話をしてたんだけど、実は男だってんだからビックリしちゃってさ……」


 さすがに「アレ」をむりやり触らされた話はナナにはしない。


「ああー、たしかにビックリするよね。でもね」


「でも?」


「猪熊様って、見た目は本当に女の子みたいだけど、中身は完全に男。いや、ケダモノ」


「ケダモノ?」


「そう、中学の時からめちゃくちゃ女好きで、いろんな女の子に手を出しまくってるヤバい奴らしいわよ」


「そうなんだ」


「だから私は好きじゃないし、近寄らないようにしてるわ。犯されたくないからね」


「いや、犯されるて……」


「それぐらい、手当たり次第にいろんな女の子とやりまくってるらしいのよ。高校生のくせにサイテーよね」


「そ、そんなにヤバい奴だったのか……」


「サトシも気をつけなよ」


「え? 気をつけるって何を?」


「決まってるでしょう、猪熊様にケツの穴を掘られないようによ」


「誰が掘られるかい!!」


 ナナがアホなことをぬかしてきたものだから、俺はそこでラインの会話を打ち切った。


 それにしても、「猪熊様」とは……そんなモテモテの美男子が隣のクラスにいて、なんで今まで気づかなかったんだろう?


 あ、休み時間はいつも、クレナお嬢、ロバータ卿、パーラー、マッチのいずれかに絡まれて、トイレと食事の時以外、廊下に出ることがほとんどないからか……出たとしても、トイレも食堂もB組の教室とは反対方向にあるから、通りかかることもないし……


 にしても、猪熊様、美しかったし、かわいかったよな……男なのに美しいなんて、まるで蒼○翔太みたいじゃん……そりゃ女子にモテるわけだよ……


 そして、俺が自分以外の「アレ」を触るというのは、人生で初めての出来事で、なかなかに……えっ? なかなか、なんだよ?


 いや、違うから! 違うんだからね!


 私、ゼッタイ、ゲイじゃない!!


 ちょまま、あわわわ……

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