第57話「我はラブコメ特有の鈍感主人公にあらず」

 まさかのサアヤさんにファーストキスを奪われてしまった日の夜、俺はベッドの中で思っていた、「サアヤさん、やりやがったな」と……


 別にキスされたことを「やりやがったな」と思ったわけではない、今日サアヤさんが俺の家に来た理由、「本屋で買い物してたら急に雨に降られて云々」こそが「やりやがったな」なのだ。


 そもそもサアヤさんが学校帰りに自分の家から遠い本屋に寄り道すること自体がおかしいのだが、まあ、それはいい、自分の欲しい本や漫画が、近所の本屋に置いてなくて、遠くの本屋に行くというのは、俺もたまにやることだからだ。


 そんなことよりも、今日は、俺が下校するために学校を出た時にはすでに雨が降っていた。


 上級生で部活もやっているサアヤさんが、下級生で帰宅部の俺よりも先に下校するとは考えにくい。


「本屋で買い物してたら、急に雨に降られて云々」というのは、おそらく嘘、すべては仕組まれたことで、雨に濡れたのもわざと、おそらくはサアヤさんなりの策略なのだろう……俺はそういう風に思っている。


 わざと濡れる気でいたから、鞄を学校に置いてきたんだろう。


 そして防水のスマホだけを持って、俺の家の近くに待機して、「助けて……」と連絡してきたに違いない。


 残念ながら、俺はラブコメ主人公特有の鈍感さを備えておらず、そういうことに気づいてしまう男なのだ。


 サアヤさんがそこまでして、俺の気を引きたい理由まではわからないんだけどね……


 でも俺は鈍感主人公ではないから、サアヤさんとクレナお嬢が俺のことを好きであるらしいことにはちゃんと気づいている……気づいているけれども、どちらにも正式に「好きです! 私と付き合ってください!!」と言われていないから、断ることも、ふることもできない……どちらも、俺みたいにとどめを刺されることを恐れて、あえて告白してこないのだろうか?


 でも、だからって、「おっぱいフレンド」はないだろうよ、「おっぱいフレンド」はよ……ああ、もう少し早く決断しておれば、サアヤさんのFカップおっぱいに触れることができたのか……チクショー……


 ていうか、俺、こんなにもおっぱい大好きなのに、チカさんにゲイだと思われてるんだよな……それも早めになんとかしないとえらいことになりそうだけど、なんとかって言われても、具体的にどうすればいいのかがわからない……


 ていうか、チカさんは自分も高校生の頃、今のサアヤさんみたいにベリーショートにしてて、ほとんど男子みたいな容姿をしていたというのに、どうしてサアヤさんのことを男子だと勘違いしてしまったのだろうか? 声や話し方、制服で気づきそうなものなのに、チカさんも思い込んだら一途みたいなところがあるからなぁ……


 ああ、いろいろ考えるべきこと、やらなきゃいけないことがありすぎて、めんどくさい……これでもし、俺が誰かと付き合うことになったら、余計にややこしくて、めんどくさいことになるんじゃないのか?


 もう、高校三年間は誰とも付き合わない方が安全安心なような気がしてきたぞ……






 サアヤさんにキスされた翌日、普通に登校した俺は、教室に入るなり、パーラーとマッチにからかわれたり、あおられたりするんじゃないかと怯えながら、自分の椅子に着席したが、いつものように、俺より先に登校していたパーラーは特に何も話しかけてこなかった。


 あまりに何も話しかけてこないことが逆に気になって、パーラーの方をチラチラと見ていたら、「池川くん、さっきからボクのことチラチラ見て、どうしたんですか? ボクの顔に何かついてますか?」と言われてしまったので、「いや、別に何もついてないよ」と返した。


 パーラーの隣の席にいるマッチは今日も文庫本を読むのに夢中で、俺に何か言ってくることはなかったし、どうやら、さしものサアヤさんも、俺とキスしたことを友達に言い触らすほどの非常識女ではなかったようで安心した。


 それにしても、マッチはいったいなんの本を読んでいるのだろうか? タイトルが見えないように読んでいるからわからない……


「サトシ様、おはようございます」


「Hey(ヘイ) Satoshi(サトシ) Summer(サマー) オハヨウゴザリマスル!」


「ああ……おはよう」


 俺がパーラーとマッチのことを気にしていると、クレナお嬢とロバータ卿が登校してきた。


 二人はいつも同じ車に乗って登校しているので、教室にも二人一緒に入ってくる。


 ロバータ卿、今度は時代劇にでもハマっているのか、またおかしな挨拶をしてきたが、そんなものにいちいちツッコんでいては、ロバータ卿の友達は務まらない。


「サトシ様、いきなりなのですが、今週末のご予定は空いていらっしゃいますか?」


 クレナお嬢はいつものように椅子に後ろ向きに腰かけて、俺に話しかけてきた。


「え? 今週末? 別に予定はないけど……」


「まあ、それはようございました。今週末の日曜日、また一緒に野球を見に行きませんか?」


「え? また広島に行くの?」


「はい、今度はセ・パ交流戦を見に行きましょう、サトシ様! もちろん今回もお金は全部わたくしどもが出しますから、ご安心くださいませ」


 クレナお嬢は目をキラキラ輝かせながら、俺に迫ってきた。


 サアヤさんみたく色気で迫ってくるわけではないけれど、圧力はサアヤさんと同じか、それ以上にあった。


「う……うん、まあ、別に行ってもいいけど……」


 スキル「きっぱり断る」が搭載されていない俺には、クレナお嬢のキラキラ輝く瞳の圧力をはねのけることは不可能であった。


「本当ですか! じゃあ決まりですわね!!」


「いや、あの……一応、親父の許可を取ってからでないと……」


「あの優しいお父様が『行っちゃダメ』だなんて、言うわけないじゃありませんか! ああー、楽しみですわー!!」


 クレナお嬢の中では、今週末の広島行きはすでに確定してしまったみたいだった。


 まあ、一応「弟子」のクレナお嬢が言う通り、親父は絶対に「行っちゃダメ」とは言わないと思うけれども……


 それにしても、なんでクレナお嬢も、こんな俺にグイグイ迫ってくるんだろうか?


 あ……あの、自称・天神さまに無断で顔をいじられて、強制的にイケメン化させられてしまったからなんだっけ……なんだよ、結局、世の中、顔なのか……うーん……







「池川くん、またクレナさんと野球見に行くんですね」


 同じ日の休み時間、クレナお嬢とロバータ卿がトイレかどっかに行ったスキをついて、パーラーが話しかけてきた。


「うん、なんか、そうなっちゃったみたいだね」


「みたいだね……って、まるで他人事みたいな言い方ですね」


「うん、なんか、高校生になってから、他人に振り回されてばっかりで、自分の意思で決めたことなんて、何一つないような気がしてるんだよ……まさにブライアン・ウィルソンが言うところの『海に浮かぶコルク』になった気分だよ」


「なんか難しいこと言ってますね……そんなことより、今回は池川くん、テレビに映りますかねー?」


「あ? テレビ?」


「ああ、池川くんは知ってるわけないですよねー。ゴールデンウィークに野球見に行ってた時、池川くん、思いっきりテレビに映ってましたよ」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 思わぬ事実の発覚に、俺は思わず大声をあげてしまい、教室にいたクラスメートたちの注目を浴びてしまった。


「あれはたしか……吉永がホームランを打った時でしたかねー、スタンドで喜ぶファンの模様が映されてましてねー、両手を挙げて喜ぶ池川くんのことがバッチリ映ってましたよ、もちろん、一緒にいたクレナさんとロバータ卿もね」


 な……なんというこっちゃい……たしかにテレビで野球中継見ると、たまに客席が映るけども、まさか自分が映っているだなんて、夢にも思っていなかった……


「ていうか、カーズとホイールズの試合なんて、テレビで放送してたの? 広島県ならともかく、山口県だぜ」


「ああ、そりゃあもちろん山口県では地上波でもBSでも放送してませんでしたけど、うちはおじいちゃんが防府ほうふ市出身の吉永の大ファンですからね、吉永の全試合が見られるように、CSに加入してるんですよ」


 皆様、お忘れかもしれないが、パーラーのおじいさんは現役の防府市長である。


 地元愛の強い市長だから、郷土の英雄である吉永を、CSに加入してまで応援するというのは当然のことなのであろう。


「その日はたまたま、パーラーの家でこどもの日のライブの反省会をしてたのよ。その時、パーラーのおじいさんがテレビで野球を見てて、私たちも一緒に見てたら、いきなり助兵衛すけべえとお嬢が映ったものだから、ビックリしたのよ、私たち」


 突然、会話に参加してきたのは、もちろんマッチである。


「特に一番驚いてたのはサアヤさんですよねぇ」


「ええ、助兵衛がお嬢と一緒に球場にいるのを見て、この世の終わりみたいな顔してたわよね……」


 なんですと?


「そんなわけで、池川くん。今度はなるべく映らないように気をつけてくださいよ、落ち込むサアヤさんを慰めるの大変だったんですからね……」


「いや、別に映りたくて映ったわけじゃないし……」


 なんということだ……パーラーがいつものようにベラベラベラベラなんでもしゃべってくれたおかげで、謎がだいたい解けたぞ。


 サアヤさんは、俺がクレナお嬢と野球を見に行っているのをテレビで見て、俺とお嬢が球場デートするような関係になっていると思い込み、このままではお嬢と俺が正式に付き合ってしまうという焦りから、お嬢と喧嘩したり、お色気で迫ってきたりしたというのか?


 たしかに、クレナお嬢とサアヤさんだったら、サアヤさんの方が圧倒的におっぱいが大きいし、マッチに散々「おっぱい星人」と言われているから、おっぱいで責めればなんとかなると、あのサアヤさんなら思いそうである、天然だからね……


 いきなりセックスを迫ってきたり、強引にキスしてきたのも、少しでもクレナお嬢を出し抜きたい、既成事実を作ってしまえばこっちのもん、みたいな思惑からしたことなのだろうか?


 それならば納得だ……納得だけれども、正直、勘弁してほしい。


 今日サアヤさんに会ったら、ちゃんと言わないといけないよな……お色気で迫られるのは迷惑だと……いや、本当はちょっと嬉しいと思ってはいるし、やっぱり「おっぱいフレンド」になっとけばよかったって後悔していなくもないんだけれども……


「そう言えば、サアヤさん。今日は風邪で休んでるんでしたっけ?」


「ええ。昨日、雨なのに傘持ってなくて、全身ズブ濡れになっちゃったからひいたらしいわよ。あんなに強い雨が降ってたのに、傘持ってなかったなんて、バカじゃないの……」


 パーラーとマッチがおしゃべりなおかげで、俺は何もしゃべらなくても、勝手に情報を得ることができた。


 どうやら今日はサアヤさんに会うことはできないらしい、俺はサアヤさんの家がどこにあるのか知らないし、パーラーやマッチに教えてもらえばわかるだろうけれども、昨日あんなことがあってはお見舞いに行っても気まずいだけだから、行きたくない……


 それにしても、俺の気を引きたいがために、そこまで体を張るだなんて、サアヤさんはマッチの言う通り、本当にバカだよ……俺のどこに、そこまでしなければいけないほどの魅力があるというのか?


 今のところ、特になんの才能も持たず、勉強でもパーラーやマッチにすら勝てず、自分の「天命」がなんなのかもわからず、エロいことだけ考えながら、ボーッと生きてるだけのダメ男だ。


 サアヤさんも、クレナお嬢も、なんでそんなダメ男にそこまで入れ込むのやら?


 俺以上にいい男なんて、この世にごまんといるだろうに、二人とも、男を見る目がなさすぎだろ……

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