第41話「吉永クラスになると打つのが当たり前で、打たない方が異常」
吉永は学生時代から活躍していて、唯一出場した高校3年生夏の甲子園では、プロ注目、大会屈指のエース投手の山中から、大会史上初の逆転満塁サヨナラホームランを放って世間の話題をかっさらい、大学時代には東京六大学野球の最多本塁打記録を当たり前のように更新した。
ゆえに即戦力スラッガーとして、当時の大学生・社会人ドラフトでは当然、1位指名が競合して抽選になったが、当時のカーズの外国人監督が当たりくじを引き当てて、前の球場最後の年にカーズに入団した。
吉永はお父さんが広島市の職員で、広島市育ちだったため、公言こそしていなかったものの意中の球団であるカーズに無事入団できたことを喜んでいた。
カーズ期待のルーキーである吉永には当然、1ケタの背番号が用意されていたが、吉永は「俺の背番号は必ず永久欠番になるので、1ケタだと他の選手が可哀想」と言い放ち、自らの名字「吉永」と語呂合わせになるということで、背番号「44」番を選択し、今でもつけ続けている。
そんなルーキーの年、期待通り……いや、期待以上に大活躍した吉永は、36本塁打も放ち、新人最多本塁打記録を更新、当たり前のように新人王を獲得した。シーズン途中のケガによる離脱がなければ40本塁打は確実に打っていただろうと言われた。
本拠地が狭い旧球場から、広い新球場になって、本塁打が減ると予想されていた2年目だが、減るどころか61本塁打も放ち、不滅と言われていたシーズン最多本塁打記録をあっさりと更新し、打撃三冠王を獲得。優勝してないのにMVPにまで選ばれてしまった。
3年目はあのジョー・ディマジオの不滅の記録、56試合連続安打を更新する66試合連続安打を達成して、アメリカでも名前を知られた存在となり、また70本塁打を放ち、自らのシーズン最多本塁打記録をさらに更新して、2年連続で打撃三冠王とMVPを獲得した。
4年目以降もカーズ不動の4番として本塁打を放ち続け、打撃三冠王は通算で5回獲得し、本塁打王に至っては60本塁打を放った2年目から去年までずっと獲得し続けている吉永だが、チームの成績はふるわず、そのことで「自分の成績のことしか考えていない」などと不当なバッシングをされて、苦悩の日々が続いた。
しかし、去年カーズは25年ぶりにリーグ優勝を果たし、また吉永自身は「ホームランを打つのに飽きた」「昔、とある選手が『俺はホームラン狙いの打撃をやめれば打率4割打てる』と言っていたというのを本で読んで、『ホントなのかな? 試してみようと思った』」というとんでもない理由で、それまでのホームラン狙いの打撃から、ヒット狙いの打撃に転向した結果、日本プロ野球史上初の「規定打席に到達しての打率4割」という大偉業を成し遂げ、シーズン最多安打記録も更新して、文句なしにMVPに選ばれた。
優勝した試合で吉永が見せた涙……というか号泣は「今年のスポーツ名シーン」として、年末のいろんな番組で流されていた。
今シーズンもまだ5月上旬とは言え、打率は前年を上回る5割、対戦相手からしてみれば吉永はまさに、脅威のバケモノ以外の何ものでもなかった。
これだけの歴史的な成績を残しながら、子供の頃から一貫してカーズファンであり、また折よく海外FA権を取得した年にカーズが優勝したこともあって、FA宣言をすることなく残留。
もはや多くのカーズファンにとって、吉永は「
ところが吉永自身は、野球の成績が良いというだけで神格化されることを嫌い、雑誌のインタビューやツイッターなどでアイドルや二次元、ギャンブル、エロゲやエロ漫画などの、ともすればネガティブに受け取られかねない趣味をいっさい隠すことなく公言。
試合前のベンチで萌え4コマ漫画雑誌の「まんがキラキラ」シリーズを堂々と読み、またロボットアニメも好きらしく、打席に入る時にかかる音楽はなぜか「勇者ライディーン」のオープニングテーマで、それをファンと一緒に大合唱しながら打席に入るというのが、本拠地での恒例となっていた。
「野球は仕事でやっているだけで、別に好きではない」「さっさとやめて
大スターなので、当然数々の異名があったが、代表的なのは「天才」「平成のミスター赤ヘル」「予言者」などであった。
前のふたつは説明するまでもないが、「予言者」というのはカーズが弱かった頃、毎年のようにゲスト解説として日本シリーズ中継に出演していた吉永が、ことごとく次のプレーを当て続けることからついた異名である。
吉永が「三振するでしょう」と言ったらそのバッターは本当に三振し、「よくてセカンドゴロでしょう」と言ったら本当にセカンドゴロなり、「このバットの振りなら当たればホームラン」と言ったら本当にホームランが出た。
それを見ていたツイッターの実況民たちが吉永につけた異名が「予言者」だった。
そんな、とにかくすごい吉永が自分のすぐ近くにいる。
一応、子供の頃に見たことがあるので、生で見るのが初めてなわけではないが、子供の頃は遠くからしか見られなかった吉永が、こんなに近くにいるだなんて信じられない。
俺は胸の高鳴りを感じながら、吉永の打席を双眼鏡で見守った。
左隣からはクレナお嬢とロバータ卿が英語で会話している声が聞こえてきた。
おそらく、クレナお嬢がロバータ卿に野球のルールや今の状況を英語で説明しているのだろう。
2アウトながらランナーは三塁で、打席には吉永。
状況としては敬遠も充分考えられるシーンだった。
実際、ホイールズのベンチからは投手コーチが出てきて、ファーヴに確認していたが、ファーヴは吉永を敬遠することなく勝負に出た。
今日打たれている3安打のうち2安打を、吉永の次の5番打者・
吉永は左打ちで、鈴代は右打ち。
もちろん4割打者がサウスポーを苦手にしているわけはないが、ファーヴは左打ちの吉永の方がくみしやすいと思ったようだ。
吉永が敬遠されないということを知ったカーズファンたちはそれだけで、クレナお嬢とロバータ卿の英語が聞こえなくなってしまうほどの大歓声をあげた。
さすがに吉永クラスのバッターに初球からストライクを投げるピッチャーはおらず、ファーヴもまずは明らかなボールから入った。
2球目もファーヴお得意のスローカーブがすっぽ抜けてボールだった。
3球目はスライダーが決まってストライクだった。
カウントはツーボール、ワンストライク。
ファーヴがサインに2回首を振ってから投げた4球目のストレートを、吉永は見逃さなかった。
「やったー! 入ったー!!」
双眼鏡で吉永の打球を見ていた俺には、打った瞬間にそれがホームランになることがわかったので、思わず立ち上がり、両手を上げて絶叫してしまった。
そんな俺のことをクレナお嬢とロバータ卿は不思議そうな表情で見つめていたが、すぐにカーズファンたちが大騒ぎして、審判が腕を頭上でグルグルと回し、ボールデッドになったので、クレナお嬢にも吉永が2ランホームランを放ったということが理解できたみたいではしゃぎ出した。
ロバータ卿もホームランの意味はよくわかっていなかったみたいだが、俺たちがはしゃいでいたので、とりあえず一緒になってはしゃいでいた。
「すごい! すごいよ! さすが吉永だよ!! ここは絶対打ってほしいってところで打ってくれるから吉永なんだよ!!」
吉永のホームランを間近で見ることができた俺は興奮しながら、クレナお嬢に熱く熱く語りかけていた。
「ええ、さすがは吉永、できた男ですわね。サトシ様がお好きになるのも納得ですわ」
クレナお嬢もスタンディングオベーションで、ホームインする吉永を迎えていた。
結局、この2点がそのまま決勝点となり、カーズは2対0でホイールズに勝利した。
投手戦なので試合時間はわずかに2時間半、16時過ぎにはもうゲームセットを迎えていた。
ヒーローインタビューには7回まで1安打無失点におさえ勝利投手となった前川と、早くも今シーズン第10号となる2ランホームランを放った吉永の二人が呼ばれた。
「吉永さん、本当に見事なホームランでした」
「いやいや……吉永クラスになると打つのが当たり前で、打たない方が異常なんで……別に大したこたぁないですよ」
ともすれば、反発を招きかねないような発言であるが、吉永の実績と性格を知っているファンたちは反発するどころか、大喜びしていた。
吉永はもはや矢沢永吉みたいなものだったのである。
一人のヒーローインタビューの時は、インタビュアーからマイクを強奪して「独演会」などと称されるほど、長々と一人でしゃべったり、あるいは自分の好きな曲を歌い出したりすることもある吉永だが、今日は前川と二人のヒーローインタビューだったからか、わりと早めに切り上げた。
吉永はユーチューバーなんて言葉が流行る前からユーチューブにカラオケ動画などをあげていて、その圧倒的な歌唱力と、ダンスなのかなんなのかよくわからない、謎の動きで注目を集めていたから、生歌を聞いてみたい気持ちがあったが、今日は聞けなくて残念だった。
ヒーローインタビューが終わって、一般のお客さんが帰り始めた頃、俺たちはテラスから、VIPルームに戻った。
「さあ、サトシ様、ここで待っていればそのうち吉永が来ますわよ。そういう約束ですもの」
「そ、そうなんだ……」
VIPルームのフカフカのソファーに腰かけた俺は緊張して、震え始めた。
もうすぐ、あの吉永と会って話ができるのだ。
子供の頃から憧れ続けた大スターに……
「やあ、クレナさん、お久しぶりですね」
やがてVIPルームのドアが開き、ユニフォームからスーツに着替えた吉永が挨拶しながら入ってきた。
「ええ、お久しぶりですわね、吉永さん。今日のあのホームラン、素晴らしかったですわよ」
「いえいえ、あれぐらい普通ですよ……」
クレナお嬢は吉永と何度も会ったことがあるのか平然と話していたが、俺は吉永が自分の目の前にいて、しゃべっているというだけで、心臓が飛び出そうになっていた。
「こちらの方は?」
「ああ、ご紹介いたしますわ。二人とも、わたくしの高校のご学友で、こちらの金髪の方はロバータ・バッテンリバー卿。イギリスの貴族のご令嬢ですわ」
「ハジメマシテ、ヨシナガサン」
「ああ、これはご丁寧にどうも……」
そこから吉永はロバータ卿と英語で会話していた。
まさか吉永は英語も堪能だったというのか……まさに文武両道……恐るべし、吉永……
「そしてこちらの男の子は池川サトシ様。子供の頃からの吉永さんファンだそうですわよ」
「おお、そうなのかい、そりゃどうもありがとう」
「あ、どどどどどどどどどうも、ははははははじめまして、いいいいい池川サトシです、よよよよよよろしくお願いします」
憧れの吉永を前に、俺は体の震えを止めることができなかった。
「アハハハハ、そんなに緊張しなくてもいいだろう。吉永も君と同じ人間だよー。まして名前が同じサトシ……」
「あ、漢字も同じなんです、一文字で『
「そうなのかい、そりゃ奇遇だね。ここで会ったのも何かの縁、仲良くしようじゃないか、アハハハハ」
吉永は豪快に笑いながら、俺と握手をし、俺の右肩をバシバシと叩いてきた。
もちろん痛かったけど、叩いているのが吉永なので、痛くても嬉しかった。
「そ、そんな……吉永さんと仲良くするなんておこがましい……」
「ハハハ、さすがはクレナさんのご学友。進学校の生徒は礼儀正しくていいね、いや、ホントに……」
「あ、ありがとうございます」
俺から手を離した吉永はソファーにどっかりと座り、クレナお嬢と談笑し始めた。
「それにしても、あの小さかったクレナさんがもう高校生とは……そりゃ俺もおじさんになるわけですよ」
「おじさんだなんて……まだ31歳じゃありませんの……まだまだこれから打ってもらわなきゃ困りますわよ」
「いやいや、スポーツ選手は30代ってだけで、もうおじさんですよ」
二人の話を聞くに、クレナお嬢はやはり幼い頃から吉永と何度も会っているみたいで、年の差のある二人なのに、まるで同級生でもあるかのように仲良く話していた。
「それにしても、イギリスの貴族の娘さんともお知り合いとは。さすがはクレナさん、上流階級の人は違いますねー」
「嫌ですわ、吉永さんったら、おだてても何も出ませんわよ、オホホホホ……」
「ところで、そこのサトシくん。名字は池川って言ったっけ?」
「は、はい!」
憧れの人を前に何もしゃべれず黙り込んでいた俺に、まさかの吉永の方から話しかけてきた。
「君は俺のファンってことはつまり、野球やってんの?」
「い、いえ……小学生の時にちょっとだけやったんですけど、才能がなくてすぐにやめてしまいました」
「そうか……クレナさんとお友達ってことは、君も
「はい、そうですね」
俺が吉永にこうも憧れる最大の理由は「吉永も俺と同じ防府市出身だったから」である。
吉永の自伝によると、いわゆる「里帰り出産」で防府市で生を受けたが、お父さんが広島市の職員だったので、子供の頃は広島市で育ちカーズファンになったらしい。
そのお父さんが病気で亡くなってしまったため、中学生の時にお母さんの実家のある防府市に帰ってきて、高校は防府市の高校に通ったらしい。
数年とは言え、自分と同じ防府市に住んでいた人が、日本を代表する野球選手になったのだから、憧れないわけはなかった。
「防府市に住んでるなら、将来は競輪選手になってみたらどうだい?」
「え? 競輪選手ですか?」
吉永にまったく思いもよらぬ提案をされて、俺は驚いた。
「うん、そうだよ。知ってるかい?」
「え、ええ、そりゃ知ってますけど……」
「競輪選手はいいぞー、防府市に住んでいながら億万長者になれるかもしれない、ほとんど唯一の職業だからなー」
「でも俺、スポーツ経験ゼロですし……」
「そんなの関係ないよ。昔、吉岡って競輪選手がいて、高校時代なんのスポーツもしてなかったのに、競輪選手になったらGⅠ勝ちまくってめちゃくちゃ稼いだんだよ。君も吉岡みたいになるかもしれないよ」
「そ、そうですね……考えておきます……」
まさか憧れの吉永に会って、「競輪選手になってみたらどうだ?」などと言われるとは、夢にも思っていなかった。
競輪選手か……もちろん知ってはいるが、どんな職業なのかはよくわかっていないので、家に帰ったら一応ネットで調べてみよう……
その後も吉永との談笑は続いたが、時刻が18時頃になった時、「そろそろお開き」ということになってしまった。
「最後に何か聞きたいことはあるかい?」と吉永に問われた俺は「なんで吉永さんは独身なんですか?」と高校生らしい、ぶしつけな質問をしてしまい、クレナお嬢に「サトシ様、失礼ですわよ」とたしなめられてしまった。
ほとんどの野球選手は20代のうちに結婚して、子供も作るのに、吉永は30代になっても未だ独身で、浮いた話も特になく、ネットなどでは「ゲイなのではないか?」とうわさされていた。
ネットでは、ゲイであることをカモフラージュするために、わざと「エロゲが好き」とか公言しているのではないかとか、「吉永と、投手の山中は事実婚状態」など、あることないこと書かれていた。
俺にはそういう趣味は断じてないけど、吉永がゲイなら別に抱かれてもいいかぐらいには思っていた。
それぐらい俺は吉永に心酔していた、それはもう
「それはね、いろいろ言えない事情があるんだよ……でもひとつだけ確実に言えるのは、俺は女の子が大好き、決してゲイではないよ」
「なんだ、そうだったんですね……ネットのうわさってあてになんないな……」
「昔から言うだろう、うわさを信じちゃいけないよって……そういうネットのうわさを見ている暇があるなら、古典文学の名作を読むことに時間を割いた方が有意義だよ、池川くん」
「は、はい、なんか、すいませんでした」
「いや、別に怒ってるわけじゃないよ……それじゃあ今日のところはこれでお別れしよう。また会えるといいね、池川くん」
「はい! ぜひまた会ってください!!」
こうして野球観戦と、吉永との対面を終えた俺たちは、ロバータ卿たっての希望で、広島駅の中にあるお好み焼き店で夕食をすませてから、やはり新幹線、今度はさくらのグリーン車に乗って、徳山駅で降り、そこからは車で防府市に帰った。
俺が家に帰り着いた時にはもう21時を過ぎていた。
こうしていろんな出来事があったありすぎた、俺の高校一年生のゴールデンウィークは終わりを告げた。
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