第42話「キッス・オブ・ファイヤー」

 いろいろあって楽しかったゴールデンウィークが終わって、迎えた5月8日月曜日。


 昨日はほぼ半日出かけていたので疲れていたはずだが、久しぶりに野球を生で見たのと、吉永に会って話せた興奮でなかなか寝つけず、いつもより遅い時間に目覚めてしまったため、いつものようにナナと一緒に登校することはできず、一人で登校するはめになってしまった。


 昨日、帰る時、手持ちぶさただったのでスマホで調べてみたが、吉永の言う通りに競輪選手になろうと思ったら、学校の前にある坂道ぐらい余裕で登り切れるぐらいの脚力を身につけないといけないらしい。


 現状、半分どころか10分の1も登れず、すぐに諦めて、自転車を手で押して登っているような俺では到底なれそうもなかった。


 まあ、競輪学校って、自転車競技未経験でも、垂直跳びが高く跳べればなれるらしいけど……俺ってそんなにジャンプりょくあったっけ?


 多分ないよな……マ○オやル○ージじゃないんだからよ……






「やあ、池川くん、おはようございます」


「うん、おはよう、パーラー」


 教室に着いた俺を出迎えてくれたのは、隣の席のパーラーだった。


 パーラーはいつだって俺より先に登校している、マッチもね。


「本当なら『お久しぶりですね』とか言いたいところですけど、会うのは金曜日以来ですからね、全然お久しぶりでもなんでもないですね」


「うん、そうだね。金曜日のライブよかったよ。やっぱりパーラーはドラムがうまいね、良いリズム刻んでたよ」


「そうですか。ありがとうございます、エヘヘ……ところで池川くん、連休最後の土日はどこかに出かけたんですか?」


「ん? ああ、昨日、広島に行ったけど」


「広島ですか。いいですねぇー……ところで広島へは誰と一緒に行ったんですか?」


「え?」


 パーラーはニコニコ笑顔ではあったが、俺はパーラーが何か腹に一物抱えているような気がして、素直に「クレナお嬢やロバータ卿と一緒に行ったんだよ」と言っていいのか、ダメなのか、判断がつきかねていた。


 いつもこういう時はパーラーの隣の席にいるマッチが助け船を出してくれそうなものだが、今日のマッチは文庫本を夢中で読みふけっていて、俺とパーラーの会話に絡んでくることはなかった。


「どうなんです? 誰と一緒に行ったんですか?」


「え……ええと……」


「サトシ様。おはようございます」


 俺が答えあぐねていると、当のクレナお嬢が登校してきて、俺の前の席に座った。


「あ……ああ、おはよう、お嬢」


 クレナお嬢は机の上に鞄を置くと、すぐに振り返り、後ろの席の俺に語りかけてきた。


「サトシ様、楽しかったですわね、昨日の広島。カーズも勝ちましたし」


「う、うん、そうだね」


 まさかここで「広島なんか行ったっけ?」などと言えるわけもなく、クレナお嬢の言うことに黙ってうなずくしかなかった。


「ああー、やっぱりクレナさんと一緒に行ったんですねー、広島。それもカーズの試合を見に行ったんですねー、やっぱり……」


 ん? やっぱり?


 やっぱりってどういうことだ?


「Hey(ヘイ) Satoshi(サトシ) Summer(サマー) オハヨウゴザイマース!! ナマムギナマゴメナマタマゴ!!」


「あ?」


 俺がパーラーの言葉の真意をはかりかねていると、なぜかロバータ卿が挨拶のあとに、いきなり早口言葉をぶっこんできたものだから、俺はどうリアクションしていいのやらまったくわからず、戸惑っていた。


「ん? ああ、昨日、帰る時、手持ちぶさただったので、日本語の勉強になればと思いまして、スマホでロバータ卿に早口言葉の動画を見せたらすっかりハマってしまったのですわ」


「そ、そうなんだ」


「カエルピョコピョコミピョコピョコ! アワセテピョコピョコムピョキョピョキョ!! オー! ムズカシイデスネー!! ハッハッハッ……」


「いやぁ、ロバータ卿、惜しかったですねー、あとちょっとだったのに……」


 ロバータ卿の謎の早口言葉のおかげで、パーラーの注意がそっちに行って、ロバータ卿やクレナお嬢と話し始めたので、俺的には助かった。


 ありがとう、ロバータ卿……そして、ドリフの早口ことば……なぜクレナお嬢がドリフの早口ことばを知っていて、ロバータ卿に見せたのかはまったくもって謎だが……


 それにしても、パーラーの「誰と行ったんですか?」と「やっぱり」という言葉はやけに引っかかった。


 サアヤさんならともかく、なぜにパーラーがそんなことを言うのか?


 ひょっとしてパーラーまで俺のことを好きになったとでもいうのか?


 いやいや、さすがにそれはないと思うが……


 結局、頭の中でいくら考えても、俺にはパーラーの言葉の真意はわからず、だからと言って、直接本人に聞く勇気もなく、結局この日はなんにも集中できないままに1日が終わってしまった。







 ゴールデンウィークが終わってからも、あの自称・天神さまが与えてくれたらしい、いろんな女の子たちと仲良く楽しく過ごせる「ハーレム学園生活」が続いていたわけだが、そんな中で俺の生活に一つだけ生じた変化があった。


 ゴールデンウィーク前は毎朝のように迎えに来てくれていたナナが突然、なんの予告もなく、迎えに来なくなってしまったのだ。


 これが1日2日だけなら別になんとも思わなかったろうが、もうゴールデンウィークが終わってから1週間以上経つというのに、ナナはちっとも迎えに来てくれなかった。


 なぜ急にそうなったのか、俺にはその理由がさっぱりわからなかった。


 別にラインとかで確認すればいいことなのかもしれないが、もしナナが何かに怒っていて、それで迎えに来なくなったのだとすれば、そもそも読んですらもらえないかもしれないので、送る勇気は出なかった。


 だから直接会って話して、迎えに来なくなった理由を確かめたかったが、ここ数日はナナの顔を見てさえもいなかった。


 休み時間にB組の教室をのぞいたりしてみていたが、なぜかナナはいつもいなかった。


 ひょっとして学校を休んでいるんじゃないかと思って、B組の生徒に尋ねてみたが、別に休んではおらず、普通に登校していて、何かに悩んだりする風でもなく、とても元気であるらしかった。


 だから今日は放課後に、ナナが間違いなくいるであろう美術部の部室をのぞいてみることにした。


 ナナは子供の頃から絵がうまく、中学でも高校でも美術部に所属していた。


 絵を描くのが好きなナナが美術部の活動をサボるわけはなく、美術部の部室に行けば、必ず会えるに違いないと思った。


 でも、あんまり早めに行って、美術部の入部希望者と思われてしまっては困るので、前にモエピがピアノを弾いていたあの物置部屋で、スマホでもいじりながら時間を潰し、美術部の活動が終わったであろう時間になってから、美術部の部室に向かった。


 ナナと違って俺には絵心がまったくない。


 はっきり言ってしまえばド下手、俗に言う「画伯」だ。


 いくらナナがいるとは言え、美術部に入って絵を描かされるなど、俺にとっては軽音部に入って楽器を弾かされる以上の苦痛だった。


 だから入部希望者に間違われないように、時間調整をしたのだ。


 俺が美術部の部室にたどり着いた時、時刻はすでに17時半を過ぎていて、部室からはなんの物音も聞こえてこなかった。


 いくらなんでもひよりすぎて、来るのが遅すぎたかな、もうナナは帰っているかもしれないなと思いつつ、俺は美術部の部室のドアをゆっくりと開けた。


「あのー、すいませーん……」


 ドアを開けた俺が目撃したのは……ナナのキスシーンだった。


「えっ!? サトシ? なんでここに……」


 部室のドアの方を向いてキスをしていたナナと、俺はバッチリ目が合ってしまった。


 もちろんナナなのだからキスしていた相手が男なわけはなく、女子の制服を着ていた女の子だった。


 その女の子も振り向いて、俺のことをまじまじと見ていた。


 メガネをかけたその女の子の顔には、はっきりと見覚えがあった。


 ちょっと見回してみたが、部室内にはナナと、もう一人の女の子以外、誰もいなかった。


 他に誰もいないからイチャイチャしていたところを、俺が邪魔してしまったとでもいうのか……


「あ……ご……ごめん!」


「あっ! ちょっと、サトシ!! 待ちなさいよ!!」


 思いもよらぬ光景を目撃してしまって、どうしていいかわからず混乱した俺は、またしても走って、ナナの前から逃げ出すはめになってしまった。


 走っている間、頭の中では「キーッ!! 誰よ、あの女!!」などと思っていて、「俺は少女漫画の主人公か敵役かたきやくかい!」と自分にツッコミを入れずにはいられなかった。


「誰よ、あの女」とか思いつつも、ナナとキスしていた女子が誰なのか、俺にははっきりわかっていた。


 あれは去年、俺やナナと同じクラスだった、今は特進クラスの秀才、福原ふくばらセイラさんだ。


 アイドルの動画とか見ていると、女子同士で戯れにキスしちゃうなんてシーンがたまにあるけど、ナナと福原さんが戯れやおふざけでキスしているようにはとても見えなかったし、思えなかった。


 まして、俺はナナがレズであるということを知っている。


 ということはつまり、あのキスは本気のキスであるというわけで、少なくとも、ナナが福原さんのことを好きだということは確定してしまった。


 一瞬見ただけなので、あのキスが合意の上なのか、それともナナが欲望をおさえきれず、むりやり福原さんの唇を奪ったものなのか、どちらなのかはわからない。


 わからないけれども……一つだけ確実にわかったことは、たとえ相手が女子であっても、自分の好きな女の子が、他の人とキスするシーンを見てしまうと、胸がえぐられてしまい、とても苦しくなってしまうということだった。


 苦しみながらも走り続けていると、自転車置き場にたどり着いた。


 俺は素早く自転車に乗って、やっぱり競輪選手になれるんじゃないかと勘違いしてしまうほどの猛スピードで自宅へと帰り着き、玄関の鍵を施錠した上で、自分の部屋のベッドに飛び込んで、うつ伏せになり、枕に顔をうずめながら、一人でうめいていた。

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