第40話「1日贅沢体験」

「あら、おいしいですわね、このおうどん……初めて食べましたけども」


「ンー、It(イット) Tastes(テイスツ) Good(グッド)!!」


 俺が頼んだせいで、VIPルームには似合わないカーズうどんの全部のせが運ばれてきたが、クレナお嬢もロバータ卿もお気に召したらしく、二人とも無事に完食していて何よりだった。


 クレナお嬢がカーズうどんを初めて食べたというのはもはや意外でもなんでもなく「そりゃそうでしょうね」の一語だった。


 ロバータ卿はわずか1ヶ月で箸の使い方を覚えたらしく、うどんも箸で上手に食べていた。


 3人でうどんを食べている間にスタメン発表がされたが、今日もカーズの4番は、サード吉永、背番号44だった。


 俺が子供の頃からずっと、カーズの4番を打つのは吉永と決まっていた。


「今日は対戦相手がホイールズですし、ここまで防御率0点台のエース前川が当番するのですから、どう転んでも勝つでしょう。せっかくならガイアンツ戦かタイタンズ戦にサトシ様をご招待したかったのですけれども……」


「いや、別に相手がどこでもカーズの試合が見られれば……ていうか、吉永が見られさえすれば、俺は嬉しいよ」


 それはまごうことなき本心だった。


「そうですか。それはよかったですわ。それじゃあサトシ様。もうすぐ試合が始まりますから、テラスへ参りましょう」


「うん、そうしようか」


 俺とクレナお嬢、ロバータ卿、そごうさんの4人はVIPルームの窓からテラスに出た。


 そこはまさかのバックネット裏の席の後方で、選手との距離がめちゃくちゃは近いというわけではないものの、以前に見に来た時に座っていた1塁側の内野指定席や、2階の内野自由席とは比べ物にならないほど、野球が見やすい、良い場所だった。


「うわー、俺、こんな良いところで野球見るの初めてだよー」


 全野球ファンの憧れであるバックネット裏で野球を見られることを知った俺のテンションは急上昇した。


「そうなのですか? わたくしはいつもここで野球を見ておりますので、よくわかりませんけれども……」


「いや、お嬢は恵まれてるよ。一般人はバックネット裏で野球を見るなんてまず不可能なんだから! ありがたく思わなきゃバチが当たるよ!!」


 バックネット裏のありがたみをわかっていないクレナお嬢を前に、俺は思わず、声を荒らげてしまった。


「そ、そうなのですね。ではわたくしも今日からはありがたがることにいたしますわ……そんなことよりサトシ様。そろそろバーベキューを楽しみましょうよ。もう準備は万端ですのよ」


 クレナお嬢の言う通り、テラスにはバーベキュー用の鉄板が置いてあり、すでに熱してあるらしく、白い煙が上がっていた。


 近くのテーブルにはおいしそうなお肉や海鮮、野菜がたっぷりと乗ったお皿がテーブルいっぱいに置かれていた。


「うん、そうだね。うどんを食べちゃったことで、逆に食欲に火がついちゃったから、たくさん食べちゃいそうだよ。いっぱい焼いちゃってよ」


「ウフフフフ、サトシ様、さすがは男の子ですわね、頼もしいですわ。たーんとお食べくださいませ」


 もちろん、肉や野菜を焼いたのはクレナお嬢ではなく、そごうさんやコンシェルジュだか執事だかの人たちだった。






「うん、うまい、うまい……こんなおいしい肉、初めて食べたよ」


「そうでしょう、そうでしょう。サトシ様のために用意したA5ランクの最高級和牛ですもの」


「Oh(オー) Wagyu(ワギュウ) サイコウデスネー」


 俺、クレナお嬢、ロバータ卿の3人はそごうさんたちが焼いてくれる肉や野菜を食べるだけの係だった。


 そのお肉は本当に、今まで食べたことないおいしさだった。


 簡単に噛み切れてしまうほどの柔らかさと、上品な脂の旨味がたまらない至極の牛肉で、箸が止まらなかった。


 本来、箸休め程度でしかないはずの海鮮や野菜も、その辺のスーパーで売っている物とはまるで違うおいしさで、すでに試合は始まっていたけれども、試合などそっちのけで、バーベキューに夢中になってしまっていた。


「ああ、おいしかった……でもせっかく広島に来て、目の前に熱々の鉄板があるとつい、お好み焼きが食べたくなってきちゃうんだよなー」


十河そごう、今すぐお好み焼き職人を呼んできなさい」


「かしこまりました、お嬢様」


 俺が何気なく言った言葉にクレナお嬢は即座に反応し、気がつけば俺の目の前にはお好み焼きが置かれていた。


 もちろん広島風……まあ、なんで「広島風」なんて言葉をつけなければいけないのか俺にはわからないのだが……広島以外の場所でお好み焼きが有名な場所ってあるの?


 閑話休題、うどんとバーベキューで、すでにお腹はいっぱいなのに、その上、ヘビーなお好み焼きなんかとてもじゃないが食べられない……などということはなく、意外にも食べることができた。


「Satoshi(サトシ) Summer(サマー) コノリョウリ、ナンデスカー?」


「ディス・イズ・オコノミヤキ。ヒロシマメイブツ! イッショニシェアシテタベマショウ」


「Oh(オー) Share(シェア) Share(シェア)」


「ああ、ロバータ卿ばかりずるいですわ。わたくしにも少し分けてくださいませ」


 意外にも大食らいのロバータ卿や、クレナお嬢と、1枚のお好み焼きをシェアして食べたからだ。


 ロバータ卿に片言の日本語で話しかけられた俺は、なぜか自分も片言の日本語になってしまったが、それでも言いたいことがようやく伝わったのでなんか嬉しかった。


 そんなわけでせっかく球場にいるのに、おいしい食事に夢中で、試合をほとんど見ていないことにはたと気づいたのは、試合が始まってから90分ほど経った15時頃のことだった。


「ああ、さすがにもうお腹いっぱいかな。そろそろちゃんと試合を見たいんだけど、ここからフィールドまではちょっと遠いよね。双眼鏡とかあると嬉しいんだけど……」


「十河、今すぐサトシ様に双眼鏡を……」


 さすがに今回はクレナお嬢がそう言うだろうと思って言った、言わば確信犯だった。


「なるべく倍率の高いやつでお願いします」


 だからつい図々しくも、こんなお願いまでしてしまった。


「かしこまりました」


 自分でも調子に乗ってるなとは思えども、こんな機会、もう二度とないのかもしれないのだから、調子に乗らないでどうするとも思って、もう開き直ることにした。


 これはよく見る「1日贅沢体験」みたいなもんなのだから、遠慮なんかしたら逆に損だと思ってしまった。


「それにしても、今日は試合が進むのが早いなぁ……高校野球じゃねえんだからよ……」


 すっかり後片付けがすんだテーブルの側にある椅子に腰掛けながら、そごうさんが持ってきてくれた双眼鏡で、俺はセンターの後方にあるスコアボードを見ていた。


 カーズのエース前川は今シーズンここまで防御率0.98の成績に違わぬ好投でホイールズ打線を1安打無得点におさえていたが、一方のホイールズも先発の外国人左腕投手ファーヴが好投を続け、豪打でならすカーズ打線をわずか3安打無得点におさえこんでいた。


 試合が始まってからまだ90分ほどしか経っていないのに、もう6回の裏カーズの攻撃、まさに高校野球もびっくりの試合のテンポの早さだった。


「ファーヴも存外良いピッチャーですけれども、この回はカーズに得点が入りますでしょうね。なんたって、1人でもランナーが出れば吉永に打席が回りますからね」


「うん、中山か花田か横山のうち誰かは必ず塁に出てくれるはずだよ」


 クレナお嬢の言葉に返事はしつつも、俺は双眼鏡でフィールドにいる選手たちを見るのに夢中だった。


 さすがは山田家の双眼鏡だけあって高性能で、びっくりするぐらい、いろんなところがはっきりと見えた。


 選手の表情どころか、額に浮かぶ汗さえもはっきりと見えるほどの高級双眼鏡だった。


 6回の裏、カーズは1番の中山から攻撃が始まり、さっそくその中山が四球で塁に出た。


 ファーヴは執拗に牽制球を投げたが、中山はカウントツーボールノーストライクから走り、二盗に成功した。


 そして2番の花田は右打ちに徹し、自身はセカンドゴロでアウトになったが、中山を三塁に進めることに成功した。


 続く3番横山は空振り三振に終わってしまったが、ツーアウトながらもランナー三塁で4番吉永に打席が回ってきて、球場は大盛り上がりとなった。

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