第36話「好きでもない女性と付き合うなんて罪」
5月6日土曜日。
今日はなんの予定もない1日だし、昨日のライブにおけるウィメンズ・ティー・パーティーの謎のグルーヴ感を見て聞いて、ティー・パーティーへの態度も軟化したので、別に「来るなら来い」って感じになっていて、どこかに出かけたりすることはなく、昼食後も自室のベッドでゴロゴロしながら、昨日のライブのことを思い出していた。
一晩経って改めて思うのは、ウィメンズ・ティー・パーティーの高校生らしからぬ演奏力の高さであった。
まるで歌うようにギターソロを弾くウーター先輩、華麗にキーボードソロを弾きこなしたモエピ、ソロはなくとも、献身的にリズムを刻み続けたマッチとパーラー。
そしてもちろん、サアヤさんの歌唱力も素晴らしかった。
サアヤさんの歌を聞くのは昨日が初めてではなかったので、そんなめちゃくちゃ興奮したり、驚愕したりはするわけもないのだが、やはりプロも顔負けの歌唱力だった。
あれでソングライティング能力が身につけば、高校生のうちにプロデビューしちゃうまであるんじゃないかとまで思う、「天才女子高生」などと銘打たれて……
それにしても、昨日のあのオリジナル曲。
ラインいわく「サトシくんのことを思って作ったんだよー」とのことらしい。
おじいちゃんや親父の洋楽英才教育のせいで、俺は音楽を聞く時、歌詞よりもメロディーを重視して聞くようになっていて、よほど好きな曲以外は歌詞を注意深く聞いたり、歌詞の内容を深く考えたりはしないようになってしまっていた。
だからサアヤさんが作った曲……たしかタイトルは「私はあなたのことが好き」の歌詞もあんまり覚えていなかった。
でもタイトルから察するに、これは事実上、サアヤさんからの告白なのではないかと思う。
まあ、初めて話した時に「狙っちゃおっかなー」と言われているわけだし、その後もことあるごとに抱きつかれたり、他の女の子に「サトシくんのこと狙わないで」的なことを言っていたりするし、ナナからも「サアヤさんはサトシのことが好き」と言われているので、別に今さら告白されても驚いたりはしないが……
問題なのは、サアヤさんほどの美人に告白されたのならば、もっと喜んだり、テンション上がったりしなければいけないはずなのに、俺の胸は特に高鳴ってはいなかった。
一晩経っても、別にサアヤさんのことを思うだけでドキドキするとか、そんなことはまったくなかった。
もちろん、サアヤさんのおっぱいやお腹に触れてみたいという気持ちはある。
でも、それはただの性欲であって、愛情とは程遠かった。
「性欲を満たせるのなら愛情とかどうでもいい。向こうが好きだってんなら、とりあえず食っちまおうぜ」などと思えてしまうほど、俺は自分の欲望に忠実な人間ではなかった。
やっぱり、好きでもないのに付き合うとか、そんな失礼なことはできない。
何度考えても俺が好きなのはサアヤさんではなく、ナナなのだ。
好きでもない女性と付き合うなんて罪なことだ。
他に想い人がいるのに、サアヤさんととりあえず付き合うだなんて悪……
「おーい! サトシ! お前にお客さんが来てるぞー!!」
などと思いながらまどろんでいたが、1階から聞こえる親父の大声のせいで、深い眠りに落ちることはできなかった。
俺にお客さんだと?
今日もウィメンズ・ティー・パーティーの誰かが来たのだろうか?
ならばなぜ親父が連れてくる?
ウィメンズ・ティー・パーティーの誰かなら、親父のいる道場になど行かず、直接家に来るはずである。
まさか……またヤバい新キャラが登場するとでもいうのか?
「おーい! サトシー!!」
俺はおそれおののきながらも、親父がいるのに居留守を使うわけにもいかないので、階段を降りて、玄関へと向かった。
「ああ、降りてきた。では私は仕事があるのでこれで……」
「ありがとうございました、お父様」
玄関にいたのは、クレナお嬢と、お付きの爺やのそごうさんだった。
今日もドリルと、赤いドレスが眩しいクレナお嬢。
「な、何か用なの? クレナお嬢」
「ええ、それはもちろん用があるから来たんですのよ、サトシ様。お部屋にあげていただけますか?」
「ええ、どうぞ……」
このゴールデンウィークはこういう展開ばっかりなので、俺はもう慣れっこだった。
「お邪魔いたします」
クレナお嬢はきちんと挨拶してから家に入ったが、脱いだ靴をきちんとそろえたのはそごうさんだった。
例によって、居間に通したクレナお嬢と、テーブル越しに向かい合って座る俺。
このゴールデンウィークだけで、いったい何人の女性とここで向き合ったことだろう?
クレナお嬢で4人目か……
正座しながら、夏でもないのになぜか、昔の貴族が使っていたような派手な扇子をゆるやかにあおぐクレナお嬢の後ろにはそごうさんが座っていたが、ロバータ卿はいなかった。
今日はロバータ卿はお留守番ということなのだろうか?
「それにしても、サトシ様はずいぶんこじんまりとした家にお住みでいらっしゃいますのね。わたくし、てっきりあちらの大きい方がサトシ様のおうちかと思って、中に入ってみたら、道場だったものですから、びっくりいたしましたわ。サトシ様のお父様は剣術道場をやってらっしゃるのですね」
「は、はあ、そうですね……」
俺の家は別に小さくも狭くもない、ごく一般的な木造2階建て住宅だと思うが、クレナお嬢の価値観では「こじんまりとした家」になるらしい。
「それでクレナお嬢、今日はいかなるご用でご来訪を?」
改めて経済格差を感じた俺は、つい丁寧な言葉でクレナお嬢に問いかけてしまった。
「ああ、それですが、わたくしとしたことが連休になる前に、明日のご予定をサトシ様に伝えるのを忘れておりまして、でもサトシ様とは連絡先を交換しておりませんでしたから、どうしたものかと思いまして……それでぶしつけながら、
「いえ、迷惑なんてことは……」
女の子たちのアポなし訪問も、4人目ともなれば、もはやなんにも感じなくなっていた。
「明日」と言えば、クレナお嬢やロバータ卿と一緒に広島市に行って、プロ野球の試合を見に行く日である。
「それでさっそくなんですけど、明日は朝の8時にお車でお迎えにあがりますので、それまでに準備をすませておいてくださいね」
「朝の8時? 試合が始まるのは昼の1時半でしょう?」
思いもよらぬ早朝出発に、俺は目を丸くした。
「あらやだ、サトシ様ったら、1時半に試合が始まるからって、1時半に入場する人はいないでしょう。最低でも1時間前には入場いたしませんと、試合を楽しめませんわよ」
前にプロ野球の試合を見に行ったのは子供の頃の話だが、たしかに1時間ぐらい前に入場したような気がする……あんまり覚えてないけど……
「そ、そりゃまあ、そうだよね……」
「それに、ロバータ卿は明日初めて広島に行くので、試合前にプチ観光のようなことをさせてあげたいのですわ。ですから、早めに広島に到着したいのです。よろしいですか?」
俺が子供の頃はそれほどでもなかったが、今や広島市は外国人観光客に大人気の街なのだという。
だからロバータ卿も観光したいのであろう。
「なるほどね……わかった、頑張って早起きするよ」
「よろしくお願いいたします。それともうひとつ……」
「何?」
「またこういう時に連絡が取れないと不便ですので、連絡先の方、交換いたしませんか?」
「う、うん。そりゃもちろんいいけど……ラインでいい?」
「ライン? ラインとはなんですの?」
な、なんですと……
「え? クレナお嬢はラインやってないの?」
「ラインってやらなきゃいけないものなのですか? 十河、あなた、ラインって何か知ってる?」
「いえ、競輪のラインなら知ってますけど……」
なるほど、金持ちは通信費とか気にしないから、無料のラインをわざわざ使う必要がないってわけか……
「いや、別にやってないならないでいいんだけど……それじゃあ携帯番号教えるね。さすがにスマホは持ってるよね」
「ハハハハハ、サトシ様。今時、スマホなしで生活している人などいるわけないじゃありませんか。十河、わたくしのスマホをこれに……」
「かしこまりました、お嬢様」
そごうさんはタキシードのポケットからスマホを取り出し、クレナお嬢に渡した。
そして俺とクレナお嬢は連絡先を交換した。
よく考えればサアヤさんとはラインだけ交換していて、携帯番号は交換していないような気がする。
ライン交換と、携帯番号交換、どちらがより重いのであろうか?
「お嬢様、そろそろ次のご予定が……」
「あら、そうですの? ではサトシ様。明日楽しみにしておりますわね」
「うん。明日は吉永に会わせてくれるんだよね」
帰ろうとするクレナお嬢に、俺は大事なことを確認した。
俺が明日、広島市に行く最大の理由は、子供の頃から憧れていたスター選手・
「やっぱスケジュール合わなくて無理でした」とかでは困るのである。
「そりゃあもちろん。吉永が試合中にケガして病院送りにでもならない限り、絶対会わせてあげますわ。そして吉永は連続試合出場記録を継続中なのですから、会えないなんてことありませんわよ」
吉永はデビューした年こそ、ケガに泣いて何試合か欠場したが、2年目の年から、8シーズン連続で、連続試合出場を続けていて、すでに1000試合以上、連続出場している鉄人でもあった。
「それはよかった。じゃあ、明日はよろしくね」
クレナお嬢は休日でも多忙なのか、ウィメンズ・ティー・パーティーみたく長居することはなく、あっさり帰っていった。
この日はそれ以外、特筆するようなこともない穏やかな1日だった。
せいぜい夕食の時、親父に「あのドリルがヤマダ自動車の社長令嬢か? 文字通り、絵に描いたようなお嬢様だったな」などと言われたぐらいだ。
明日の広島行き、楽しみだな……
俺は朝の8時までに出かける準備を終わらせるため、この日は早めに眠りについた。
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