第35話「私はあなたのことが好き」

「それでは聞いてください、今日の最後の曲『私はあなたのことが好き』」


「え?」


 サアヤさんが俺のことをまっすぐに見つめながらそう言うものだから、俺は「私はあなたのことが好き」というのが、サアヤさんが作ったオリジナル曲のタイトルだということに気づくのに時間がかかってしまった。


 1曲目と2曲目はギターを弾きながら歌っていたサアヤさんだが、このオリジナル曲ではギターは弾かず、マイクをスタンドから外して右手に持ち、ボーカルに専念していた。


「私はあなたのことが好き……私はあなたのことが好き……私はあなたのことが好きいいいいいいいいいいっ!!」


 パーラーのドラムのイントロから始まったその曲で、サアヤさんは突然シャウトした。


「なのに……あなたは私を愛さない……あなたは私を愛さない……あなたは私を愛さない……」


 な……なぜ、同じ歌詞をいちいち3回繰り返すのだろうか?


「押してもダメなら引いてみなって言うけど、引いたら誰かに取られちゃう。だから私は押し続ける、あなたを誰にも渡したくない!」


 俺は圧倒されていた。


「私はあなたのことが好き……私はあなたのことが好き……だから必ず落としてみせるうううううううっ!!」


 その曲は今時珍しい、AABA形式の曲で、Bメロになると突然ラップのような早口になるという、なんとも不思議な曲であった。


 短くてシンプルなAメロと比べると、Bメロの早口はなんともアンバランスで、歌詞も稚拙。いかにも素人が作ったような、青臭い曲だった。


 もし、この曲でオーディションとか出たら絶対に落とされると思う……思うんだけれども、サアヤさんの歌と、後ろの4人の演奏はうまいので、さっきの高校生男子バンドのオリジナル曲のように、聞くに耐えないということはなかった。


 むしろ、サアヤさんのシャウトと、後ろの4人の演奏が生み出す謎のグルーヴ感がクセになりそうな1曲だった。


 などと、頭の中では真面目に論評している俺だが、目はサアヤさんの谷間とおへそに釘付けだった。


 Aメロ3のあとは、例によって、ウーター先輩の長いギターソロが続き、さらにそのあとはモエピのキーボードソロが続いた。


 俺はそのソロを「うまいなぁ……」と思いながら聞きつつ、サアヤさんのおへそをガン見して、「実に綺麗だ……」とも思っていた。


 さすがに全開にしているだけあって、サアヤさんのお腹には贅肉なんてまったくなかった。


 ああ、うるわしのお腹……そしてそのお腹の上にある、ふたつの大きなふくらみ……なんという美しいバランス……これこそはまさに神が造形せし芸術品……


「私はあなたのことが好き……私はあなたのことが好き……だから必ず落としてみせるうううううううっ!!」


 などと余計なことを考えているうちに、曲は終わっていた。


 なんていうか、曲はとても稚拙で、うますぎる歌と演奏に不釣り合いだったけど、それでも別にいいかと思わせる不思議な魅力があるにはあった。


 まあ、ネットとかに上げて話題になるかと言われれば、ならないと思うし、この曲で武道館に行けるかと言われれば、絶対に無理だろうと思うけど……


 結局、総合的な評価は「よくもなく、悪くもない。ふつう」と言ったところか……


「以上、ウィメンズ・ティー・パーティーでした! ありがとうございました!!」


 曲が終わると、サアヤさんたちはすぐにステージを降りた。


 そんなサアヤさんたちを俺とナナと、一部のお客様は拍手で見送った。


「サアヤ先輩、めっちゃ歌うまかったね、私、びっくりしちゃった」


 ウィメンズ・ティー・パーティーのライブが終わって、次のバンドが出てくるまでのインターバルの時間に、ナナが話しかけてきた。


「うん、そうだね……それじゃあ、ナナ。そろそろ帰ろうか」


「え? もう帰るの?」


 俺の言葉にナナは驚いたみたいだった。


「だってこのあとはもう知らないバンドしか出てこないんだよ。見てもしょうがないじゃん」


「でも……」


 ナナはまだライブを見たかったらしいが、俺はウィメンズ・ティー・パーティーよりうまいバンドが次以降に出てくるとは思えなかったし、終演後のサアヤさんたちと話がしてみたかったので、早く外に出たかった。


「さっき見たんだけど、次から出てくるバンドは大学生のバンドらしいんだよ。それを最後まで見てたらきっと夜になっちゃうよ。さすがに暗くなってから帰ると、お母さんにあれこれ言われちゃうんじゃないの?」


「そっか……うん、じゃあ帰ろっか」


 俺の説得にナナは納得してくれたみたいで、二人してフロアの防音扉を開けて、ロビーに戻った。


 歩いている時も、ナナは俺に話しかけてきた。


「それにしても、最後のオリジナル曲、すごかったね」


「うん、そうだね」


「あのサアヤさんのシャウト、まさにロックって感じだったね」


「うん」


「それにあの歌詞。絶対、サトシのこと意識してるよね」


「うん……うん?」


「あ、サトシくん。どうだった? 私たちのライブ」


 俺がナナの言うことに疑問を抱いていると、終演後間もなく、露出度の高い衣装のままのサアヤさんが話しかけてきた。


 ナナの前だったからか、抱きついてきたり、腕を組んできたりはしなかった。


「ええ、歌も演奏もすごくうまかったと思いますよ」


 俺は率直な感想を述べた。


「ホント? じゃあ、ついに私に惚れてくれた?」


 サアヤさんは笑顔でそう言ったが、


「いや……それとこれとは話が別……」


 俺はその笑顔を闘牛士のようにひらりとかわしてしまった。


「ええー、そんなー」


 サアヤさんはわかりやすく肩を落とした。


「おかしいなー。サトシくん、ライブ中、ずっと私の谷間やおへそを見てたよねー?」


「うぐ……」


 バ、バレていたというのか……やっぱり女子ってすげえな……


「そして今も見てるのに……」


「あう……」


 サアヤさんの真実を突く言葉に、俺は黙ることしかできなった。


「本当にサトシくんって難攻不落だよねー。小田原城なの? ねえ、サトシくんはどうすれば落ちるの? やっぱり天下取れるぐらいの勢力になって、大軍勢で取り囲まないとダメ?」


「いや、言ってる意味がわからない……」


「ああ、助兵衛すけべえ。はい、これ返すわね。貸してくれてありがとう」


 俺が、意外にも歴史好きらしいサアヤさんの扱いに困っていると、一旦楽屋に戻っていたらしいマッチが「ジャコ・パストリアスの肖像」のCDを返してきた。


「あ、ああ、ちゃんと返してくれてありがとう」


「フッ、私は約束を破るような不実な女じゃないわよ」


「え? 何それ? サトシくんとマッチはCDを貸し借りするような仲なの? いつの間に、そんな仲良く? まさかマッチもサトシくんのことを狙って……」


 俺はサアヤさんがまた思い込みで話をややこしくしようとするのをなんとかすべく、説明しようとしたが……


「そんなわけないでしょう。なんで私がけがらわしい助兵衛なんかを狙わなきゃいけないのよ。私が興味あるのは助兵衛じゃなくて、助兵衛の家にあるCDと本よ。こんな変態男のことは決して狙ってなんかいないから、安心して、サーちゃん」


 俺が何も言わなくても、マッチがすべて説明してくれた。


 マッチの発言の節々にあるトゲをいちいち気にしていては、決して生きてはいかれない……


「そっか……うん、そうだよね。マッチは恋愛とか興味なさそうだもんね」


「ええ、ないわ。今まで一度も彼氏が欲しいとか思ったことないし……」


「本とCDが恋人ってか? さみしい青春送ってんなー、マチ」


「ギター弾いてるだけのお姉にだけは言われたくないわよ……」


「アハハハハ……」


「あ、あの……池川くん……今日の私の演奏、どうだった?」


 談笑するウィメンズ・ティー・パーティーの他の4人とは離れた場所にいたモエピが突然、俺に話しかけてきた。


「え?」


「どうだった?」


「う、うん、すごくよかったと思うよ。とても初めてのステージとは思えないぐらい上手に演奏できてたと思う」


 今日のモエピは表情と声色から察するに弱気の日っぽかったので、俺はとりあえずおだてておいた。


「本当? よかった……」


「あー! モエピったら何、サトシくんに話しかけてるのよー。やっぱりサトシくんのこと狙ってるんじゃ……」


「大丈夫です! 池川くんのことは全然タイプじゃないんで!!」


 モエピはさっきまでの弱気が嘘のように、満面の笑みと大きな声で、俺に痛恨の一撃を与えてきた。


「あの、それじゃあそろそろ、俺たちは帰りますね……」


 モエピの言葉がグサリと刺さった俺は、サアヤさんに別れの言葉を告げた。


「そうなの? あっ、もう、こんな時間か……サトシくん、今日は来てくれてありがとうね。またライブやる時は来てね」


「ええ、チケットくれるなら来ますよ」


 そんなことわざわざ言うのもどうかと思うけど、どっかの誰かみたいに常に1万円札を持ち歩いているようなご身分ではないので、言わざるを得なかった。


 そのどっかの誰かはさすがにもう1万円札を持っていなくて、賄賂を渡せなかったらしく、俺とサアヤさんたちとの談笑に乱入してくることはなかった。


「うん、チケットはもちろんあげるよ、だから来てね」


 サアヤさんに「ケチな奴だな」とか思われたらどうしようかと思っていたが、特になんとも思っていないみたいで安心した。


「それであの……やっぱり……できれば軽音部に入ってほしいんだけど……」


「いやあ、それはちょっと……」


 俺は相変わらず、軽音部に入りたいという気持ちにはなっていなかった。


「そっかー……残念だなぁ……」


「今日、皆さんの演奏を見て、なおさら自分みたいなド素人が入るわけにはいかないなって思って……」


「ド素人でも入ってくれていいのにー」


 サアヤさんは文字通り地団駄踏んで、悔しがっていた。


「サトシ、モテる男は大変ね」


「ん?」


 ナナの小声の嫌味だか皮肉だかには、どうリアクションしていいか困ってしまって、何も言い返せなかった。


「なんにせよ、今日のところはこれで失礼します。さようなら、サアヤさん」


「うん、さよなら。あーあ、家の方向が同じだったら、サトシくんと一緒に帰れるのになー……」


「そんなこと言われても困りますよ……」


 サアヤさんの嘆きもむなし、ナナと一緒に帰宅した俺は、いつもと変わらない夜を過ごし、そろそろ寝ようと思ってスマホを見たら、サアヤさんからラインが来ていた。


「サトシくん、さっきはあんまり時間なくてじっくり聞けなかったけど、私たちのライブ見て、どう思った? 率直な感想を聞かせてほしいな。悪いところがあったなら言ってくれていいからね」


 そう書かれては返事せざるを得なかった。


「サアヤさんの歌も、他の4人の演奏もうまかったけど、オリジナル曲のクオリティーは低かったですね」


 サアヤさんからの返事はすぐに来た。


「ええー、あの曲、サトシくんのことを思って作ったんだよー、気に入らなかった?」


「残念ながら……」


「そっかー、じゃあまた別の曲、作るね。いつできるかわからないけど……」


「楽しみにしてます。ぜひ次はAABAなんて横着をせずに、スタンダードなABサビ形式の曲を作ってくださいね」


「ええー……うん、わかったよ、サトシくんが作ってほしいなら作ってあげるよ、楽しみにしてて」


「はい、それではおやすみなさい、サアヤさん」


「おやすみ、サトシくん」


 サアヤさんとのラインを終えた俺は、部屋の明かりを消して眠りについた。


 その日の夢に出てきたのはサアヤさんの谷間とおへそ……ではなく、岩成いわなりさんの鬼気迫る表情だった。


 なんでそっちが出てくるんだよ……

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