第33話「私は黒騎士」
「災難だったわね、サトシ」
「ああ……」
俺とナナはライブが行われるフロアの中に入って、でもまだライブは始まっていなかったので、ドアの近くに立って話をしていた。
汚い言葉を吐きながら、俺のことを追いかけ回していた
そのおかげで、俺はウィメンズ・ティー・パーティーのライブを安全に見ることができるようになった。
近くに岩成さんがいる状況でライブを見ていては、俺はいつ刺されてもおかしくなかったことだろう。
ライブハウスが血の海にならずにすんだことに安堵した俺は、岩成さんから逃げ回っていた時も、ずっと手に持っていたコーラを飲んだが、走っていた時の振動ですっかり炭酸が抜け切ってしまった上、氷が溶けて水っぽくなってしまっていて、ちっともおいしくなかった。
「まずい……」
「じゃあサトシ、私のコーラ飲む?」
そんな俺に救いの手を差しのべてくれたのは、優しきナナだった。
「え? いいの?」
ナナの優しき救いに、俺は思わず笑顔になった。
「うん、いいよ。走り回って疲れたでしょう?」
こ、これは間接キッスチャンス……ああ、ナナの優しさに感謝……
「あ、ありがとう! ぜひいただくよ!!」
思わず大きな声を出してしまうほど、ナナとの間接キッスチャンスに俺のテンションは上がっていた。
「じゃあ、はい……」
ナナはストローを抜いて、コーラの入ったコップだけを俺に差し出してきた。
「あ、やっぱりね……」
世の中そんなに甘くはなかった……やっぱり「ストローは自分の使ってね」ってことか、コンチクショー……
「ん? 何が?」
「いや、なんでもないよ……」
俺は自分のストローで、コップに入ったコーラをさみしくすすった。
ナナのコーラもやはり氷が溶け切っていて水っぽく、あまりおいしくなかった。
でもナナがくれたコーラだから、さっきみたいに「まずい」などとは言わずに全部飲み切った。
「ハァー、それにしても、ひどい目に遭ったよ……」
「アハハハハ……でも私、あの子の気持ち、少しわかるかも……」
「嘘だろう?」
ナナのまさかの発言に、俺は少し震えた。
「いや、私だって、自分の好きな女の子に彼氏ができたら、それは普通のことなんだけど、さびしいな、悲しいなとは思うよ」
「あ……」
うつむくナナを見て、俺は言葉を失った。
「あの子も大好きなサアヤさんを、サトシに取られるのが嫌だったんじゃない?」
「それにしても、『金玉ツブシテヤルウウウウウウッ』などと叫びながら追っかけ回すのは異常だろ?」
「ハハハ、たしかに……私は好きな人に彼氏ができそうだとしても、あそこまではできないなー、私は影でひっそり泣くタイプだよ」
「ぜひ、そうであってほしいね……」
そうやってナナと会話しているうちに開演時間になったが、所詮はアマチュアバンドの集う対バンライブだからか、客はまばらだった。
多分、バンドメンバーの友達以外は誰も来ていないんじゃないだろうか?
まあ、かく言う俺もまた「バンドメンバーの友達」の一人なんだけれども……
1組目と2組目のバンドは、MCでの本人たちの発言によれば高校生男子のバンドだったらしいが、そりゃあもうひどいものだった。
おじいちゃんと親父に洋楽の英才教育を施されてきた俺は当然、音楽には一家言あった。
いかんせん、子供の頃から世界中のリスナーを魅了してきた「本物の音楽」を聞かされて生きてきたのだ。
所詮は見た目の良し悪しや、トークのうまい下手、どれだけ悪目立ちしたかなど、歌や演奏などの実力とはまったく関係ないところで、売上や人気が決まってしまう日本の音楽界のことは、はっきり言って見下していた。
そんな日本の高校生アマチュアバンドのミスだらけでエモくもない演奏と、下手くそな歌など、正直、聞くに耐えなかった。
オリジナル曲の歌詞も、ただ自分の欲望や愚痴、不平不満を並べ立てているだけで、技巧のかけらもなく、つまらなかった。
あくびが出るほど退屈な2組の男子高校生アマチュアバンドのライブを、俺はステージから遠く離れた後方で、いわゆる「地蔵」状態で見ていた。
ナナもそんな俺にならって、「地蔵」状態で大人しくライブを見ていた。
1組目の出番が終わった時も、2組目の出番が終わった時もナナに「ねえ、今のバンド、どう思った?」と問われたけれども、俺は「論評する価値もない」とナナにだけ聞こえる声で言って、「アハハ、さすがに手厳しいね」と苦笑いされていた。
「さあ、次はウィメンズ・ティー・パーティーの出番だから、前に行こうか」
2組目のバンドの出番が終わったあと、俺はナナにそう言って、最前列に移動した。
移動できる程の客の少なさだった。
他のメンバーはどうか知らんが、パーラーならこのフロアをいっぱいにできるぐらいには友達がいるはずなのに、やはりゴールデンウィークはみんな家族とどこかに出かけていて、ライブになど来てくれないのだろうか?
まあ、客が少ない方がいろいろ楽できるので、別にいいのだが……
そんな俺とナナが、最前列に移動し、ウィメンズ・ティー・パーティーのライブが始まるのを待っていると……
俺の左隣に突然、黒い仮面を装着した怪しい人がやって来たので、ギョッとした。
その怪しい仮面は俺の隣で、腕組みしながら仁王立ちしていた。
普通だったらそんな怪しい人とは関わり合いにならないように、静かに離れるに決まっているが、俺は話しかけずにはいられなかった。
「あの、岩成さん? 何してるの? そんな仮面なんか着けて……」
いくら仮面で顔を隠していても、着ている服が真っ黒のゴスロリで、髪の毛のツインテールも見えていたから、正体がバレバレだったのだ。
「ん? 岩成とは誰のことだ?」
怪しい仮面こと、岩成さんは腕組みし、ステージを見つめたまま、俺の問いかけに答えた。
「いや、君のこと……」
「違う! 私は
岩成さんは食い気味に叫んで、俺の言葉をさえぎった。
「いや、
どうやら、岩成さんはクレイジーサイコレズなだけではなく、中二病患者でもあるようだった。
本当にもう、なんて言うか、「お気の毒様」の一語であった。
「バーン? バーンとはなんのことだ? 私は戦いでできた醜い傷を隠すためにこの仮面を着けているのであって……」
「いや、やっぱりバーンじゃねえかよ!!」
ほっとけばいいのに、いちいちツッコまずにはいられない俺も大概、お人好しだなと思った。
「バーンなど知らん! 私は
「いや、俺のことを追いかけ回す前に『私はサアヤさんのホワイトナイト』とか言ってなかったっけ?」
「
ダメだ……やっぱりこいつには話が通じない……
「ああ、じゃあもう
「
「どっちでもいいだろう! そんなことより
岩成さんは相変わらず、腕組みしたまま俺と会話した。
「うむ、たしかに岩成ミキは出禁になっていたな。だが何度も言うように私は
「あ?」
つまらないボケにはツッコむ気になれなかった。
「……と、とにかく私は岩成ミキではないから問題なく入場することができたのだ」
「いや、その仮面を着けてる時点で問題あるだろ! 大丈夫なのか? ここのセキュリティ……ていうか着てる服とツインテールのせいで、岩成さんと
「だから私は
め、めんどくせー……
めんどくさいからもう関わり合いになるまいと思って黙ってみたが、なぜか
「岩成さんは出禁になったけど、ライブハウスの受付の人に賄賂として1万円札を渡したら、この仮面をくれて、『これを装着し、もう二度と他のお客様に迷惑をかけないと約束するのならば、入場させてやらんこともない』って言われたんだから、なんの問題もない」
なんだよ、それ……どんな受付の人だよ、クレイジーにもほどがあるわ……このライブハウス、大丈夫か、ホントに?
ていうか、こいつ中学生のくせに1万円札持ち歩いてんのかよ……こいつもいいとこのお嬢さんなのかな、こんなんで……だとしたら、親御さん、泣くぞ、ホント……
「そんなわけでさっきは取り乱して、追っかけ回してすまなかったな。もうやらないから安心したまえ、おっぱい星人くん」
「いや、池川サトシだわ! そして、さっきは追いかけ回してって、もう完全に認めちゃってんじゃん! 自分が岩成ミキだということを!!」
「まあまあ、もうすぐライブが始まるんだし、同じサアヤさんのファン同士、仲良くしようではないか、おっぱい星人くん」
なんか、さっきとキャラが全然違う……
この仮面には被った人の性格を変えてしまうような呪いでもかかっているのだろうか?
だからこの仮面を装着すれば入場オッケーになるとでもいうのか?
話し方も素顔の時とは全然違うぞ。
素顔の時は一応、高校生の俺に敬意を払ってか、ですます調で話してくれていたが、今は完全にタメ語だ。
それも長年の戦友と話しているかのようなタメ語だ。
「何を不思議に思っているのだ? おっぱい星人くん。サアヤさんのライブに全通するためならば、いけ好かない男とでも仲良くする、そんな泥水をすすれるのが私、いわなり……じゃない……
「いや、いきなり大声出すなよ!」
「もし主催者に『サアヤさんのライブを見たいのならば、服をすべて脱げ!!』と言われたのならば、今すぐここで全裸になってみせる!!」
なぜか
「いや、ホントに脱ごうとするなよ! そんなこと言う主催者、実在するわけないだろう!! もししてたとしたら、そんな主催者、即逮捕だ!!」
「それぐらい知っとるわ! 例え話だ!! 私のサアヤさんへの愛はそれだけ本物なのだということのな!! お前はどうなんだ!? お前のサアヤさんへの愛は、どのくらいなんだああああえああああえっ!!」
「いや、『あ』はともかく『え』ってなんだよ、『え』って!」
「どうなんだ!?」
「どうなんだ……って言われても、サアヤさんとは先月知り合ったばっかりで、ライブ見るのも今日が初めてだし……」
「フッ……やはりウィメンズ・ティー・パーティー最古参である私にはかなわないようだな……おっぱい星人くん!」
もう、呼び名「おっぱい星人くん」で確定なのかよ……
「まあ、応援歴だけで言われたら、かなわないよね」
「応援歴だけではない! サアヤさんへの愛の深さでもお前は絶対に私に勝てないのだああああああっ!!」
「もう、別にどうでもいいよ……」
やっぱりこいつと会話してもろくなことにはならないということを悟った俺は会話を打ち切ろうとした。
そしたら、
「ん? 何よ? えっ!? 『ウザ絡みして他のお客様にご迷惑をおかけしてるから退場』だと!? なぜだ!? 私はファン仲間であるおっぱい星人くんと楽しく会話をしていただけだぞ!
哀れ、受付の人の入れ知恵で
「あ、あいつは本当になんなんだよ……」
「でも、これで落ち着いてライブが見れるからよかったじゃない」
またしても岩成さんとの会話中は、一切何も言ってこなかったナナが話しかけてきた。
「まあ、それもそうだな……」
ナナの言葉から程なくして、ウィメンズ・ティー・パーティーの5人がステージに登場した。
「あれ? サトシくん、ミキちゃん、どこ行ったの?」
「レッドカードで一発退場です」
ステージの上からサアヤさんに話しかけられてびっくりしたが、別に
「またなんかやったの、ミキちゃん……本当に厄介勢なんだから、あの子は……まあ、いいか……」
サアヤさんは演奏を始める前に挨拶をした。
「皆さん、今日は私たち、ウィメンズ・ティー・パーティーのライブに来てくださってありがとうございます。皆さんって言っても10人ぐらいしかいないけど……」
サアヤさんの自虐ジョークで、その10人ぐらいのうちの何人かは笑った。
「でも今は10人ぐらいしかお客さんいなくても、いつかは武道館とか満員にさせられるようなバンドを目指してるんで、皆さん、今日のライブ、しっかり見といてくださいね。皆さんは伝説の始まりの目撃者なんですよ」
このサアヤさんの言葉はとても力強く、ジョークでもなんでもない、本気も本気のようだった。
「今日、来てもらったこと、絶対後悔させないような歌と演奏をお聞かせします。それでは1曲目聞いてください……」
いろいろあったけど、俺はようやくウィメンズ・ティー・パーティーのライブにたどり着くことができたのだった。
長かったなぁ、ここまで……
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