第32話「クレイジーサイコレズ」
5月5日金曜日、こどもの日。
今日はウィメンズ・ティー・パーティーのライブの日だ。
ライブは午後からなので、午前中は今日もベッドの上でゴロ寝して過ごした。
お昼はチカさんが作り置きしてくれていたご飯を食べて、サアヤさんに「お昼の2時開演だから、1時ぐらいには来てね」と言われていたので、出かけようと思って自転車の鍵を開けた矢先……
「あれ? サトシ、今からどっか行くの?」
いつものようにアポなしで池川家にやって来たナナに話しかけられた。
ナナはいつだって谷間の見えない服を着ているが、それはそれでふくらみがエロいので、つい見てしまう。
あまり見すぎると怒られるので、控えめにせねばならぬが……
「う、うん。友達がバンドやってて、そのライブがあるから見に行くんだけど」
別に隠すようなことでもないので、正直に話した。
「友達がバンド? サトシにバンドやってるような友達ができたの?」
「うん、まあね」
「ふーん……ていうか、
「その友達が言うには、最近、駅前に新しくライブハウスができたらしいんだよ……ところでナナは何か用なの?」
俺はナナの突然の来訪の意図を尋ねた。
「用っていうか、昨日も一昨日も、暇してたらしい誰かさんのお相手をしてあげられなくて可哀想だと思ったから、今日ぐらいはお相手してあげようと思って来たんだけど……」
「そ、そうなんだ……」
間が悪いな……昨日か一昨日だったら一緒に出かけられたけど、今日はライブの日で、サアヤさんはチケットを1枚しかくれなかったから一緒に行くなんてことはできないぞ……
「ねえ、サトシの友達のバンドってなんて名前なの?」
「名前? ウィメンズ・ティー・パーティーっていうんだけど……」
「ウィメンズ・ティー・パーティー……あ、ひょっとして、この間、サトシんちに来てた女の子たちがやってるバンド?」
さすがにナナも超進学校のヤマダ学園に在籍しているだけあって、ウィメンズ・ティー・パーティーの意味がすぐにわかったらしかった。
「うん、そうだよ」
「そうなんだ……ねえ、そのライブ、私も一緒に見に行ってもいい?」
「ええ? でも俺、チケット1枚しか持ってないよ」
まったく予想もしていなかったナナの言葉に俺は驚いた。
「でもプロのバンドのライブじゃないんだから、当日券ぐらいあるでしょ」
「まあ、たしかにアマチュアバンドのライブだから、チケットが完売してるとかはないと思うけど……」
「じゃあ、いいでしょう?」
ナナにそう言われて、断る理由がなかった。
「う、うん……でもいいの?」
「いいのって何が?」
「チケット代1000円に、ドリンク代500円なんだけど……」
「それはサトシのおごりってことで……」
「いや、なんでだよ!」
ナナはいたずらっぽく微笑んだが、俺はツッコまずにはいられなかった。
「昨日と一昨日でだいぶお金使っちゃったからないんだよ。お願い、おごって、ねっ」
ナナは両手を合わせて、かわいくお願いしてきた。
「仕方がないな……」
もちろん俺はそのお願いに抵抗することができなかった。
好きってつまり、そういうことなんじゃないの?
「ありがとう、サトシ。大好きだよっ!!」
「えっ?」
ナナの不意の言葉に、俺の心臓は「ドキリ」という音がナナに聞こえてしまうのではないかと思うほどに、大きく鼓動した。
わかっている……この「大好き」というのはせいぜい幼なじみとして、友達として「大好き」なのだということぐらい。
しかし、ナナに「大好き」と言われただけで、自分でも驚くほどに胸がときめく。
高鳴る。
「じゃあ、私、家から自転車持ってくるからちょっと待っててね」
「う、うん……」
ナナを待っている間も、俺の心臓の鼓動……ハートビートはスピード違反を続けたままで、摘発されるのも時間の問題だった。
そんなわけで、胸が高鳴ったまま、ナナと二人で自転車を漕いで、防府駅前に新しくできたというライブハウスへと向かった。
ナナに胸の高鳴りを悟られたくなくて、道案内するという名目でナナよりも前を走り、暴れる心臓を落ち着けながら、ライブハウスに到着した。
都会のライブハウスではないからか、出入口の前に駐車場や駐輪場がちゃんと用意されていて、そこに自転車を停めた。
「へえー、防府にこんなライブハウスができたんだね、知らなかった」
「うん、俺も教えてもらうまで知らなかったよ」
「ていうか、ここ、よく見たらヤマダって書いてあるよ」
たしかにライブハウスの看板には「LIVE(ライブ) HOUSE(ハウス) SIRIUS(シリウス) Presented(プレゼンテッド) by(バイ) YAMADA(ヤマダ)」と書いてあった。
「マジで? あ、ホントだ……このライブハウス、ヤマダ自動車が作ったのか」
ヤマダ自動車は「地域貢献」の名のもとに、防府市にいろんな施設を作っているらしいが、まさかライブハウスまで作っているとは思わなんだ。
ていうか、このご時世に会社の金を使ってライブハウスなんて箱物を作って、株主に文句を言われないのだろうか?
まあ、防府市民としては「ありがたい」の一語であるが……
「じゃあ、そろそろ入ろうか」
「う、うん……」
いつまでもライブハウスの前でボーッとしているわけにもいかないので、ナナに促されて中に入ることにした。
「あ、サトシ。お金ちょうだい」
「はいはい……」
俺は財布の中から1000円札と500円玉を1枚ずつ取り出してナナに渡した。
こんなことなら昨日、
ライブハウス「シリウス」の中に入ると、まずは受付のような場所があった。
「すいませーん、当日券1枚くださーい」
ライブハウスに入るのは生まれて初めてなので、昨日のうちにインターネットで検索して予習しておいたが、ナナは俺が何も教えなくても、当日券をあっさりゲットしていた。
俺も受付でドリンク代の500円を払って、ドリンクチケットをもらってから入場した。
そしてナナと二人で、ロビーのような、待合室のような場所に到着した。
「この扉の向こうでライブするんでしょ? もう、中に入れるのかな?」
「入れるのかもしれないけど、ウィメンズ・ティー・パーティーの出番はだいぶ先だよ」
所詮はアマチュアバンドに過ぎないウィメンズ・ティー・パーティーが単独ライブなど開けるはずもなく、今日のライブは山口県の学生アマチュアバンドが6組ほど集う、対バンライブだった。
ライブが始まるのは14時だが、サアヤさんたちが昨日ラインで教えてくれたところによると、ウィメンズ・ティー・パーティーの出番は早くても15時半頃になるらしい。
インターネットで見たところによると、この手のライブは下手なバンドほど早く出てきて、うまいバンドは後ろの方に出てくるらしい。
ウィメンズ・ティー・パーティーの出番は今日出演する全6組のバンドの中で3番目だった。
1バンド辺りの持ち時間は約30分。
真ん中ということはつまり、ウィメンズ・ティー・パーティーの演奏はそんなにうまくもなく下手でもないということだろうか?
いや、音楽室で聞くぶんには、みんなそれなりの腕前だったはずだが……特にモエピなんかプロ級の腕前のはず……
「いいじゃん。私、ライブハウス来るの初めてだから、知らないバンドの演奏でも見てみたいよ。早く入ろう。どうせ他にすることもなくて、暇なんだからいいでしょ?」
「う、うん……でもその前にドリンクをゲットしないと500円をドブに捨てることに……」
「あっ、そっか……サトシの500円を無駄にしたら可哀想だよね」
俺とナナは一緒にドリンクカウンターに向かった。
「ねえ、サトシ、何飲む?」
「俺はコーラでいいよ。ナナは何飲むの?」
「私もコーラでいいや」
「じゃあコーラ二つ……」
俺がドリンクカウンターにコーラを注文して、受け取った矢先、何者かが背後から抱きついてきた。
「サトシくん! 来てくれたんだね、サトシくん!! 嬉しい!!」
「うわっ……」
さすがにもう、誰が抱きついてきたのかは見なくてもわかっていた。
「やめてくださいよ、サアヤさん、コーラがこぼれるじゃないですか……って、すごい格好してますね」
絡みついてきた手を振りほどき、振り向いて見たサアヤさんは、谷間もおへそも全開の、水着みたいな服を着ていた。
上はそうだけど、下は長ズボンで全部隠れていた。
サアヤさんは俺がおっぱい星人、かつ、おへそフェチであることを知っていて、わざとこんな衣装を着ているのだろうか?
いや、おっぱい星人はともかく、おへそフェチであることは誰にも明かしていないはずだが……
「うん、ライブ衣装だよ。どう? 似合ってる?」
「似合ってる……っていうか、エロいっていうか……」
言ってから、「あ、しまった、そんなこと言ってどうすんだ」と思ったが、もちろん後悔しても遅い。
「フフーン。興奮した?」
サアヤさんはいつもの妖しい笑みを浮かべながら、顔を近づけて、俺のことをからかってきた。
「な、な、何を……」
「フフフ、サトシくん、顔が赤くなってるよー」
「ううう……」
今の俺にできることはコーラを飲んで、赤くなった顔を冷やそうと試みるだけだった。
「こんにちは、サアヤ先輩」
「え?」
俺の隣にいたナナがサアヤさんに話しかけたが、サアヤさんは俺のことしか見えていなかったのか、不意に話しかけられて驚いていた。
「ああ、ナナちゃんじゃない。何しに来たの?」
「え? 何しに来たって、サアヤ先輩たちのライブを見てみたいと思ったから、サトシについて来ちゃったんですけど……」
「ふーん……」
ナナと話すサアヤさんは俺と話している時と比べると明らかにテンションが低かった。
「あれ? もしかして私、来ない方がよかったですか?」
ナナもそれを察したようで、サアヤさんに問うたが、
「そんなことない、そんなことないよ、ナナちゃんも来てくれて嬉しいよ、アハハ、アハハハ」
サアヤさんの返事とは裏腹に、笑顔は明らかにひきつっていた。
どうも、サアヤさんは嘘がつけない性格らしい。
ということはヤバい……今度こそ本当に修羅場になるのでは?
ど、どうしよう……?
「あっ! サアヤさーん!! ええいっ!!」
「グホウッ!!」
俺の心配は、突然現れてサアヤさんに抱きついた……というか、強烈なタックルをかました謎の少女のおかげで、あっさり吹き飛んだ。
「ミ、ミキちゃん、今日も元気だね」
サアヤさんの笑顔は相変わらず、ひきつっていた。
「はい、それはもちろん元気ですよ! 大好きなサアヤさんのライブを見られる日が元気じゃないわけないじゃないですか!!」
「ハハハ……ありがとう、ミキちゃん……」
サアヤさんに「ミキちゃん」と呼ばれているツインテールに、黒いドレスのような服とタイツで全身を固めた、いわゆるゴスロリ少女は大きな声でしゃべったあと、俺とナナの方をチラ見した。
「ん? サアヤさん、何者ですか? この爆乳女を引き連れたいけすかない男は?」
な、なんだこいつは……見た目に
「え? この子は私と同じ高校の後輩の池川サトシくんだよ。隣にいるのはサトシくんの幼なじみの
サアヤさんはゴスロリ少女に俺たちのことを紹介したあと、俺たちにゴスロリ少女のことを紹介した。
追っかけがいるだなんて、ウィメンズ・ティー・パーティーって結構長く活動してるんだろうか?
「はあ、よろしく、岩成さん……」
「あんた、サアヤさんのなんなのさ?」
「あん?」
俺は普通に挨拶をしたつもりだが、岩成さんは鋭い目つきで、俺のことをにらみつけてきた。
危うく「港のサーヤ・ミタジリ・ナカノセキ……」などと歌ってしまいそうになったが、それはこらえた。
「あなたもどうせ、サアヤさんのFカップおっぱいのことを狙っているゲスな男の一人なんでしょう!? そうはさせないわ! サアヤさんは……サアヤさんのおっぱいは私が守る!!」
ああ、そうか……今、目の前にいるこの子も、俺が高校に入ってからたくさん出会ってきた、思い込みの激しい少女の一人なのか……
だとしたらもう扱いは慣れておる……怒ったら負けよ、平常心、平常心……
「ミキちゃん、サトシくんはミキちゃんが思ってるようなエロ男じゃないよ、だから仲良くしてあげて」
俺が平常心を保つために微笑みながら黙っていると、サアヤさんが俺の言いたいことを代弁してくれた。
「そ、そうは言われましても……男など信用できませぬぞ、サアヤさん」
いや、「男など信用できませぬぞ」って……なんで信用できない男の侍口調を使ってるんだよ?
そう思ったけど、今ここでツッコんでも、ややこしいことにしかならないだろうから黙っていた。
「まあ、おっぱいは大好きみたいだけどね、あだ名が『おっぱい星人』ってぐらいだから。ウフフ……」
「いや、サアヤさん、なんで今ここでそれ言うんですか!?」
さすがにこれにはツッコまざるを得なかった。
この場でそんなこと言ったら岩成さんがブチギレかねない。
現にサアヤさんの言葉を聞いた岩成さんは、怒りの炎に満ちた目で、俺のことをにらみつけているではないか……
「や、やっぱり……おのれ、この、悪しきおっぱい星人め! 隣にいる爆乳女だけでは飽き足らず、サアヤさんのおっぱいまで狙うとは無礼千万! ええい、近寄るでない! お主のような者が近寄っては美しきサアヤさんが
「い、いや、ちょっと……」
岩成さんは俺の胸を両手で押して、サアヤさんから引き離そうとした。
「ミキちゃん! お願いだから、サトシくんとは仲良くしてあげてよ!」
そんな岩成さんのことをサアヤさんが一喝した。
「ええ……? いくら、サアヤさんの願いでもそれはちょっと……」
しかし、岩成さんは不服そうだった。
「なんでよ?」
「だって私、嫌いなんですよ! 巨乳女をはべらせて調子に乗って、エロい顔してブヒブヒ言ってるような男が……」
「いや、言ってないから! 俺、ブヒブヒとか言ってないから!!」
いくらなんでも
「私、日本人なんで日本語しかわかりませーん。
「ぐぬぬぬぬ……」
中学生女子の思いもよらぬ
「と、とにかく、仲良くしてあげてね。サトシくんは私にとって大事な人なんだから」
「だ、大事な人ぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
岩成さんは、パンクバンドのボーカルも真っ青の大声で絶叫した。
「そう、大事な人だから、サトシくんに無礼な振る舞いをすると、いかなミキちゃんと言えども、出禁にするから言動に気をつけてね」
「で、出禁!?」
岩成さんはまるでこの世の終わりを迎えたかのような表情をしていた。
「それじゃあ私、そろそろ楽屋に帰るけど、ミキちゃん、サトシくんのこと襲撃したりしないようにね」
「しゅ、襲撃!?」
物騒な言葉を聞いて、今度は俺が大きな声を出してしまった。
「ああ、気にしないで、サトシくん」
いや、気になるよ……
「じゃあサトシくん、またあとでね。ライブ、楽しみにしてて……」
「は、はい。楽しみにしてます」
「あ、そうだ、サトシくん。今日のライブで必ずや、私に惚れさせてみせるよ、覚悟しててね!」
「え?」
「ほー!! ほほほほほほほほほほほほーっ!!」
サアヤさんが意味深な言葉を放って、楽屋へと消えていったものだから、俺は一瞬、
お前は
「なんなんですか……」
プルプルと怒りに震える岩成さんから、俺は慎重に、少しずつ離れていった。
「なんなんですか、なんなんですか、なんなんですかー!?」
しかし、岩成さんは鬼気迫るような表情で近寄ってきて、俺の両肩を両手でがっしりとつかみ、揺さぶってきた。
岩成さんの背の高さは平均的で、特に大きくも小さくもなかった。
「いや、なんなんですかって言われても……」
「サアヤさんはいつだって、ウィメンズ・ティー・パーティーの最初のファンである私のことを一番大事に思っていてくれたはずなのに……」
「え?」
「あなた、サアヤさんにいったい何をしたっていうんですかー!?」
「いや、なんもしてないって」
「嘘! サアヤさんに怪しい薬とか飲ませて洗脳したんでしょう!? 返して! 私のサアヤさんを返して!!」
この発言を聞いて俺は確信した。
ああ、これはあれだ……アニメとかによく出てくる「クレイジーサイコレズ」ってやつだ……
サアヤさんが、ナナの秘密を知った時に引き気味だったのはきっと、こいつのせいなんだろうな……
「ええい! 何か言わんか、この悪魔!! 腐れ外道!! 悪逆非道、十悪五逆の
「ナナ、黙って見てないで、助けてくれよ……って、いないし!!」
ナナは他のお客様たちの注目を集めている俺たちから遠く離れたところにいて、完全に他人のフリをしていた。
だからいっさい会話に参加してこなかったのか……
「ああ、可哀想なサアヤさん……こんなクズゲスゴミカスチンカスゲロ吐きクソ野郎にダマされるなんて……」
「いや、口悪いな!!」
「安心してください、サアヤさん。私が必ずや、サアヤさんのことを悪の道から救い出してみせますからね。サアヤさんのホワイトナイトである私が……」
「いや、お前、全身真っ黒やないけ!!」
岩成さんが、ゴスロリのくせに「ホワイトナイト」とか言うから、さすがにツッコまずにはいられなかった。
「ああん!?」
しかし、岩成さんはにらみ返してくるのみだった。
ダ、ダメだ……これ以上、こいつと関わり合いになると、きっとひどい目に遭う……
よし、逃げよう……
「あ、ちょっと、どこ行くんですか!? 待て! この泥棒猫!!」
「いや、泥棒猫て!? 普通、女子に向かって言う言葉じゃないの!?」
「うるせー! じゃあ男らしく扱ってやるよ!! 全力でお前の股間蹴り上げて、金玉潰してやるうううううううっ!!」
「勘弁してくれよー……」
俺は知らなかった。
ライブハウスって、ライブを見るだけじゃなくて、追いかけっこもできる場所だったんだということを……
クレイジーサイコレズから逃げ回ったせいで、ライブの前から無駄に体力を消耗してしまった俺は、無事にウィメンズ・ティー・パーティーのライブを最後まで見ることができるのだろうか……
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