第19話「夕闇の訪問者」

 ナナとアニ〇イトで遭遇してから1週間の時が経って、4月も下旬になり、間もなくゴールデンウィークを迎えようとしていた。


 ナナにオススメしてもらった百合漫画は2作品とも素晴らしく、俺はまんまとハマってしまった。


 片一方の作品は絵柄が美しく、ストーリーは王道のガールズラブで、最初は片想いだけど、やがて両想いになって、女の子同士で付き合い、ラブラブになるという展開がたまらなかった。


 もう一方の作品は義理のお姉さんに恋してしまった女の子の切ない悲恋物語で、ナナに対する想いを断ち切れずにいる俺の心にはグサグサと刺さりまくった。


 もちろん、この2作品が連載されている「コミックリリプリ」本誌にもまんまとハマり、ヒマさえあれば、何度も何度も読み返した。


 ひとえに「百合漫画」と言えども、明るい作品もあれば、ダークな作品もあり、健全な作品もあれば、エロい作品もあった。


 ようは男が出てこなけりゃなんでもありなのだ。


 そんな百合漫画を、男の俺が読んでいいのかなと思ったりもして、ナナに聞いてみたけど、「作者の先生が読者を選り好みすると思う?」と言われて、納得した。


 たしかに、作者の先生からしてみれば、買って読んでくれるなら性別なんか別にどっちでもいいはずである。


 だから俺は百合漫画を気兼ねせずに読むことにはしたが、さすがに学校で「俺は百合漫画が大好きで……」なんぞと公言したりまではしなかった。


 さすがにそこまでの勇気はなく、完全に「隠れ百合漫画ファン」だった。いや、「隠れ百合男子」かな?






 そんな4月下旬のある日の夕方。


 俺は自宅で勉強をしていた。


 クレナお嬢はいつだって下校に誘ってくるけど、俺は断り続けていた。


 あんな黒塗りの高級車で下校するなんて、庶民の俺には身に余るからだ。


 クレナお嬢は意外にも気が長いのか、俺が断り続けても、「サトシ様、いつかは必ず落としてみせますわよ」などと言うばかりで、俺への態度が硬化したりはしなかった。


「断り続けていた」と言えば、ウィメンズ・ティー・パーティーの皆さんによる、軽音部勧誘も断り続けていた。


 京山姉妹とうまくやっていく自信がないというのもあるが、それ以上に、やっぱり自分には楽器を弾く才能がないと思うのだ。


 勧誘されている時に、パーラーがドラム、マッチがベースを演奏するところを見たが、2人とも相当にうまかった。


 もちろん、入学式の前日に防府駅で見たようにサアヤさんは歌がうまいし、ウーター先輩だって、非常識な人だけど、ギターの演奏は抜群にうまかった。


 そんな、うまい人たちの中に、ド素人の自分が入っても、邪魔をするだけのような気がして、入部できずにいた。


 そんなわけで、現状、帰宅部の俺は放課後になると、素直に帰宅していた。


 前にも書いたように、我が池川家は、江戸時代から続く剣術道場で、門下生の大半は学生や社会人なので、親父が一番忙しいのは平日の夕方から夜にかけてだった。


 学校帰りの子供たちや、会社帰りの社会人に稽古をつけてあげるのが、親父のメインの仕事で、池川家の平日の夕食の時間は早くても20時半、遅い時は21時半ぐらいだった。


 学校から帰宅してから、チカさんがその夕食を作り始めるまでの間、俺は家で一人、なんでも自由に好きなことをすることができた。


 中学生の頃は、親父と共有のパソコンでアニメを見たり、ゲームをしたり、音楽を聴いたり、小腹が空いたらストックしてあるカップ麺を食べたり、とにかく楽しいことばかりしていた。


 しかし、超進学校の防府ヤマダ学園に入学した今は、家でも勉強をしないと、とてもじゃないが、授業についていけなかったので、楽しいことは諦めて、一人でコツコツ予習復習をしていた。


 本当につくづく思う。俺、よくヤマダ学園に合格できたなと……受験の順位なんて発表されるわけもないけど、多分俺は下位でギリギリ合格したんだろう……いや、ひょっとしたら最下位で合格したのかもしれない……


 そんなわけで、その日も一人でウンウンうなりながら、わからないことはパソコンで調べつつ勉強をしていた。


 そして疲れたから、ちょっと休もうと思って、冷蔵庫にコーラを取りに行った時、


「ピンポーン」


 玄関のチャイムが鳴ったので、俺は「親父が通販で頼んだ何かが届いたのかな?」と思って、なんの気なしに玄関を開けた。


 時刻は18時頃で、すでに外は暗くなりはじめていた。


 玄関の外に立っていたのはパーラーとマッチ、そしてサアヤさんだった。


 パーラーが一番前にいて、その後ろにマッチとサアヤさんが並んで立っている。


 3人とも、制服姿のままだったから、学校帰りに寄ったらしい。


「ほら、やっぱりここ、池川くんちでしたよー!!」


 俺の姿を見たパーラーが、小さな体に似合わぬ大きな声を出した。


 一方の俺はと言えば、いつものように困惑していた。


 なぜならこの3人に自宅の場所を教えた記憶がないからだ。


 なのに、なぜいるのか?


「なんで、うちの場所がわかったの?」


 俺は当然の質問をした。


「いやー、だって池川くん、前に〇〇に住んでるって言ってたじゃないですかー! それでネットで調べてみたら、池川愛剣流いけがわあいけんりゅうの道場があるのも〇〇で、ここが池川くんの家なんじゃないかなーと思って、来てみたんですよー!! 池川って名字はありそうでない名字ですからねー!!」


 パーラーの返事はなぜか過剰なまでの大声だった。


 くっ、こうなるのが嫌で、自己紹介の時も、その後の学園生活でも、実家が剣術道場であることは黙っていたのに……


 おのれ、ネット時代め……いや、道場の住所、ネットに載せないと、池川家は生活できないから仕方がないんだけれども……


 それにしても、門下生ではないパーラーも知ってるぐらい、池川愛剣流って防府市(ほうふし)ではメジャーな存在だったのか……それはちょっと嬉しい……


「ていうか、ここが俺んちかどうかわからないのに来たの? もし、別の人の家だったらどうしたんだよ?」


「え? そんなの普通に『間違えました。すいません』って言えば終わりじゃないですか?」


 そうだった……パーラーはそういう奴だった……


「ていうか、玄関先で立ち話するのもアレですから、中に入れてくださいよー!」


 そう、パーラーはこういう奴……俺が「どうぞ」と言っていないのに、勝手に靴を脱いで、池川家に侵入してきた。


 そんなパーラーに続いて、マッチとサアヤさんも靴を脱いで、池川家にあがった。


 ちゃんと「お邪魔します」と言ったのはサアヤさんだけだった。


「フフフ。ここがうわさのおっぱいせいね……地球と同じぐらいの文明レベルなのね、意外にも……」


 俺はもうツッコんだら負けなような気がして、マッチのこの発言は無視することにした。







 俺はとりあえず、さっきまで勉強していた居間に3人を通し、さっき飲もうと冷蔵庫から出したコーラを3人に振る舞った。


「うわー、池川くん、いつも一人でさっさと帰ると思ったら、家で勉強してたんですかー! 真面目ですねー!!」


 居間のテーブルの上に置かれていた文房具やノートを見たパーラーにそう言われて、俺はあわててテーブルの上を片付けた。


「今日は親御さんはお留守なんですか?」


「うん、まあ、夕方はだいたい俺一人だよ」


「そうなんですね」


 パーラーの質問に答えた俺は、テーブルの向かいに座った女子3人に、しなければならない質問をした。


「それで、今日はいったいなんの用で来たの? ていうか、こんな時間に俺の家に来て大丈夫なの? パーラーの家は××なんだろう? ここからはだいぶ遠いだろうに……」


「ハハハ、大丈夫ですよ。いざとなったらタクシーでも呼べばいいんですから」


 パーラーはコップに入ったコーラをすすってから、俺の質問に答えた。


「え? タクシー? 高校生がタクシー?」


「あら? おっぱい星人のスケベ野郎は知らないの? パーラーのおじいさんのことを」


 俺がパーラーの発言に疑問符を抱いていると、マッチが口を挟んできた。


「パーラーの……おじいさん?」


「あれ、サトシくんは知らないの? 今の防府市長の名前」


 戸惑い続ける俺に話しかけてきたのはサアヤさんだった。


「さすがにそれぐらいは知ってますよ。今の防府市長の名前は二条雪斉にじょうゆきなり……ん? 二条?」


 パーラー(本名「二条瞳」)と、市長の名字が一緒?


 ということはつまり……


「マジで?」


「マジですよー、ボクのおじいちゃんは防府市長の二条雪斉です」


「マジでー!?」


「ようやく気づいたのね、スケベ野郎」


 突然のカミングアウトに、俺は思わず大声をあげてしまった。


「マジです、マジ。ボク、市長の孫娘なんですよ、こう見えて。いろいろめんどくさいこともあるんで、親しい人以外には内緒にしてるんですけどね……」


 なるほど、実家が剣術道場であることを内緒にしている俺と同じようなもんか。


 それにしても、パーラーが現職の防府市長の孫娘だったなんて……


「なんたって、おじいちゃんはボクが生まれる前から市長やってますからねー。よく思わない人も多いんですよー、困ったことにねー」


 たしか二条市長は今、5期目のはずで、年齢も70代後半のはずだから、高校生の孫娘がいても、なんら不思議ではないのである。


「そうだったんだ……知らなかった……」


「普通は名字で気づきそうなものだけどね。『佐藤』とか『高橋』とかならまだしも、『二条』なんて名字、そうそういないもの。やっぱり、おっぱい星人はおっぱい以外には興味がない生き物なのね、やれやれ……」


 ぐぬぬぬぬ……ダメよ、ダメ……怒ったら負け……


「そうか、だからパーラーはクレナお嬢と知り合いだったんだね」


「そうですよ。古来より政界と財界というのはつながりが深いものですからね。まして、ヤマダ自動車は防府市の主要産業。ヤマダ自動車の社長令嬢たるクレナお嬢と、市長の孫娘たるボクが知り合いなのは当然のことですよ」


 そう言えば、クレナお嬢がA組に転入してきた時に、「いつもお世話になっている二条さん」とかなんとか言っていたよな。


 そりゃあ、市長にはいろんな意味で「お世話になっている」んだろうなぁ……


 ていうか、やっぱりヤマダ学園って名門なんだなぁ……お嬢様だらけじゃないか……まさかパーラーまでお嬢様とは思わなかったぜ……もしかして京山姉妹や、サアヤさんもお嬢様なのかな? 俺が知らないだけで……


「あの……」


 俺がサアヤさんや京山姉妹もお嬢様なのか聞こうとした矢先、パーラーが大きな声で、俺の質問をさえぎった。


「って、そんな話をしに来たんじゃないんですよ! ボクたちが今日来たのはもちろん……」


「サトシくんを軽音部に勧誘するためだよ!」


「ああー、ボクが言おうと思ってたのに、取らないでくださいよ、サアヤさん!」


「パーラー、サトシくんは私のものだよ」


「え?」


「フッ、こんなおっぱい星人のどこがいいのかしら?」


 俺はサアヤさんの言葉に一瞬ドキッとしたが、マッチが笑いをこらえながら言った言葉に、ドキドキをかき消されてしまった。


「いや、なんで部活の勧誘をするために家まで来るわけ? おかしくない!?」


「それはね、サトシくん。サトシくんは諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいって知ってる?」


 俺の疑問に答えたのはサアヤさんだった。


「そりゃ、もちろん知ってますよ。三国志で一番有名な軍師だ」


「そう。劉備玄徳りゅうびげんとくはね、諸葛亮孔明をどうしても仲間にしたくて、孔明の家を3回も訪ねたのよ。知ってる?」


「そりゃ、知ってますよ。『三顧の礼』って、有名なやつだ」


「私もね、どうしてもサトシくんを仲間にしたいの。だから、つい、家にまで押しかけちゃった、エヘッ」


 サアヤさんが首をかしげながら笑った姿はとてもかわいかったが、だからと言って、孔明みたいに「わたくしごときのために、そこまでしていただけるのなら、ぜひお仲間になりましょう」などとは言えるはずもないのであった。


「そ、そんな……楽器もできない俺を、孔明と一緒にされても困りますよ……」


「そんなことないよ。サトシくんは孔明だよ。私にとってはね」


「ん?」


 俺はサアヤさんが何を言っているのかよくわからなくて、またしても戸惑ってしまった。


 いつもそう。サアヤさんの言っていることはいつもよくわからなくて、俺は戸惑ってばかり……


「孔明が嫌なら、サトシくんは私にとっての竹中半兵衛たけなかはんべえだよ。私は秀吉!」


「えー、竹中半兵衛だったら、7回来ないと仲間になってくれないじゃないですかー。めんどくさいですねー!」


 いや、竹中半兵衛だったら、俺、30代で死ぬじゃねえかよ……


「と、とにかく、いきなり家に来られても、『はい、わかりました。軽音部に入ります』とは言えませんよ……」


「入ってくれたら、私の胸の谷間見せてあげるよ」


「むむ……」


 俺はサアヤさんの胸の谷間を妄想して、頭がピクリと動いた。


「今、間違いなく心が動いたわよ。さすが、おっぱい星人のスケベ野郎ね」


「あ、いや……」


 マッチに図星を突かれた俺は、わかりやすく動揺した。


「おっぱい星人でも、スケベ野郎でもいいから、軽音部に入ってよー!」


 その後もサアヤさんによる説得は続いたが、俺が首を縦に振ることはなく、時は過ぎていった。



「と、とにかく、今日のところは帰ってもらえませんかね? 部活の話はまた学校ですればいいでしょう」


 このまま3人に居座られて、チカさんと出くわしたりしたら、いろいろ面倒なことになると思った俺は、3人に帰宅を促した。


「わかったよ、サトシくん。もう7時だし、今日のところは帰るよ。いきなり押しかけちゃって悪いってのもあるしね。でもね、サトシくん、私、絶対諦めないからね! サトシくんを軽音部に入部させるまで、何回でも家に来るからね!!」


「お、おう……」


 サアヤさんの宣言に恐れおののきながら、俺は3人のことを玄関で見送った。


 外はもうすでに真っ暗だったが、3人は自転車に乗って、ここまで来たらしく、タクシーを呼ぶことはなかった。


「タクシーでも呼べばいい」ってのはパーラー流のジョークだったらしい。


 そりゃあ社長令嬢ならともかく、政治家の孫娘が贅沢な暮らしをしていたら、いろいろめんどくさいことになりそうだもんね……


 そんな3人が自転車に乗って帰るのを見届けた俺は、不意に思った。


「そう言えば、ウーター先輩いなかったな……なんでだろ?」


 もちろん、その疑問に答えてくれる人はもう、池川家のどこにもいなかった。


 3人の突然の訪問で集中力を奪われた俺はもう勉強する気力もなくなり、なんとなく聴きたくなって、親父のパソコンに入っている「いとしのレイラ」を聴いた。


 そして、今日いなかったウーター先輩のことを思い出しながら、そのまま寝落ちてしまい、チカさんに起こされるまで目覚めることはなかった。


「坊っちゃん、お夕飯の用意ができましたよ、起きてください」


「あ、ああ、チカさん、ごめんなさい。寝ちゃってたみたいで」


「フフフ。今日はお疲れだったみたいですね」


「ええ、そりゃあ今日はいろいろあって疲れましたよ」


「じゃあ今日はいっぱい食べて栄養つけないといけませんね」


 チカさんはいつだって優しかった。


 さしものおっぱい星人の俺でも、親父の恋人であり、将来は継母になると思われるチカさんのおっぱいをガン見したりはしなかった……


 って、おっぱい星人って認めちゃってんじゃん!!

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