第5話「フォーチュネイト・ドーター(幸運な娘)」
「ゼェ……ハァ……ゼェ……ハァ……」
またしてもナナを置き去りにして、自転車を漕ぎまくっていた俺だが、坂道を完全になめきっていた。
俺が今日から通う「
山と言えども、高さはたかが知れている、自転車で余裕で登れる、と思い込んでいた。
しかし実際は、最初の数メートルで、もう苦しくなって、登れなくなっていた。
ギアを一番軽くしていたのにダメだった。
結局、自転車から降りて、手で押して、坂道を歩くことになってしまった。
被害妄想かもしれないが、周りにいる生徒たちに奇異の目で見られているような気がした。
女子生徒とかにコソコソ陰口を叩かれているような気がして、聞こえないようにするために、意識を別のところに集中させねばならなかった。
聞こえない……俺には何も聞こえない……
そうやって聴覚をシャットダウンさせた俺の脳裡に宿ったのは、坂道を登れなかったことへの悔しさだった。
よし、決めた。
今日は無理だったが、これから毎日、この坂道に自転車でチャレンジして、卒業する頃には、自転車から降りずに登り切れるようになってみせるぞ。
頑張ろう。
そうこうしているうちに、いつの間にやら校門を通り抜けていた。
無事に校舎内に入った俺が真っ先にしたことと言えば、自転車置き場に自転車を置くことだが、他の生徒はこの坂道を敬遠しているのか、置いてある自転車の台数はとても少なかった。
自転車を置いたあとは、校舎の出入口のところに張り出されている、クラス発表の紙を見に行った。
俺の名前である「
自分の名前を見つけたあとにしたことは、ナナの名前を探すことだったが、残念ながら1年A組の女子のところに「
「京山真知」という名前の次に書かれていたのは「近藤萌子」という名前だった。
この「京山」というのは恐らく「きょうやま」と読むのだろう。
もしナナが同じクラスなら、この京山さんの次に名前が書かれていなければならないはずだが、残念ながら、京山さんの次は、国司さんではなく、近藤さんだった。
「き」の次は「く」ではなく、「こ」だったのだ。
「残念。サトシとは別のクラスなんだね」
突然、背後からナナの声が聞こえて、俺は思わずビクついてしまった。
「ナナ様。お早いお着きで……」
俺はまたしても置き去りにしてしまったことを怒られるのではないかとおののきながらそう言ったが、
「そりゃあ誰かさんは自転車で坂道登れなくてバッテバテで、ダラダラ歩いてらっしゃったみたいですからね、余裕で追いつけますよ、余裕で」
ナナの返事は怒っているんだか、いないんだか、よくわからない微妙なものだった。
とりあえず顔を見ると微笑んでいたので、怒ってはいないみたいで安心した。
何やら皮肉っぽいことを言われたような気はするが、別にこれぐらいのやり取りはよくあることなので、俺もいちいち目くじら立てたりはしなかった。
「俺はA組だったんだけど、ナナは何組だったの?」
「私はB組。隣のクラスだから、別に寂しがることはないんだよ、サトシ。いつでも会いに来ていいんだからね」
言葉だけ聞くと、優しい言葉にしか聞こえないが、ナナの表情はとてもいたずらっぽく、俺はからかわれているのだと、すぐに察した。
このままでは「おー、よしよし。いつでも甘えに来ていいんでちゅからねぇー、坊っちゃん」とか言われてしまいそうである。
「べ、別に、ナナと違うクラスだからって、寂しくなんかないんだからねっ!」
俺はウケ狙いで、あえてテンプレツンデレ女子のようなことを言ってみた。
そりゃあもう、くぎゅううううううみたいな声で言うてみた。
男の俺がまねたところで似るわけもないけれども……
「はいはい」
案の定、ナナは特に笑うこともなく、適当に受け流した。
はい、スベッた。
畜生! 駄目だ!
俺とナナがそんなとりとめのないやり取りをしている時、校門の方から黒塗りの車が走って来て、校舎の出入口の近くに停まった。
そして中から、一人の女の子が出てきた。
その女の子を見て、生徒たちはざわつき始めた。
そりゃあ、そうだろう。
車、それも明らかに高級車の黒塗りで登校してくるなど、絶対に普通の生徒ではない。
「
女の子は、自らに続いて車から降りてきた、黒いスーツ姿の、白髪のおじいさんに、大きな声で話しかけていた。
大きな声だから、わざわざ聞き耳を立てなくても、勝手に聞こえてしまっていた。
ああ、なんて、わかりやすいお嬢様口調。
しかも、よく見てみたら髪の毛がドリルだ。
こんな、いかにも二次元にいそうなお嬢様が、現実にいるとは驚きである。
「お嬢様はもちろん、特進クラスでございますよ」
「そごう」と呼ばれたおじいさんが、お嬢様の質問に答えた。
「フッ、当然ですわね。この
えええええええええ……
「オーホッホッホッ!!」って笑う人、生まれて初めて見たんですけど……
引くわー、実際にそういう笑い方する人見ると、ドン引きだわー……
俺や他の生徒たちが呆気に取られているうちに、お嬢様は、いわゆる「爺や」なのだと思われる「そごう」さんと一緒に、校舎の中に入っていった。
お嬢様が校舎の中に消えるや否や、女子生徒のモブ子ちゃんモブ美ちゃんたちがあれやこれやと言い始めた。
別に盗み聞きするつもりもないが、声が大きいので嫌でも聞こえてしまっていた。
モブ子ちゃんモブ美ちゃんたちの話から察するに、あのお嬢様は、この防府市に本社を置く、世界的な自動車メーカー「ヤマダ自動車」の社長令嬢「山田クレナ」であるらしい。
「防府ヤマダ学園」という名前からわかる通り、この高校はヤマダ自動車の先代だか、先々代だかの社長が、地域貢献のために作った、私立の進学校である。
ということはつまり、この学校の校長だか、経営者だかは、あのお嬢様の親戚か何かなんだろう。
じゃあ、あのお嬢様はこの学園で、やりたいことなんでもかんでも、好き放題にできるということなのだろうか?
それはなんという「幸運な娘」なんだろう。
そう思ってしまうと、もう俺の頭の中ではクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「フォーチュネイト・サン」が流れてしまって、止まることはなかった。
性別は違うけど、もうジョン・フォガティのあの泥臭い歌声で、頭の中がいっぱいになってしまっていた。
「サトシ? いつまでここにボーッと立ってるの? 早く中に入ろうよ」
またしても、どこか別の世界にトリップしそうになっていた俺を救い出してくれたのはナナだった。
やはり持つべきものは優しき幼なじみということなのか。
いや、ハナから俺がトリップしなければいいだけの話かな……
ついつい、あれやこれやと考え込んでしまっていけない。
「あ、ああ、そうだね。中に入ろうか」
出入口から教室までのわずかな道を、俺はナナと会話をしながら歩いた。
「さっきのあの子、ヤマダ自動車の社長令嬢なんだってね。そんなお嬢様と同学年だなんてビックリだね」
「うん。でもまあ、特進クラスとか言ってたし、普通科の俺たちとは関係ない世界の人なんじゃないのかな」
「そうだね。いわゆる『住む世界が違う』ってやつだよね。多分、かかわり合いになることはないよね」
「うん」
校舎の出入口から、当然のように一階にある一年生の教室まで移動するのに、そんなに時間がかかるわけもなく、できた会話はこのぐらいのものだった。
「それじゃあ、しばしのお別れだね」
「ああ」
「一人で寂しいかもしれないけど頑張ってね、それじゃあ」
ナナは笑顔で手を振りながら、1年B組の教室へと入っていった。
俺は別れを惜しみながらも、ここぞとばかりにナナの胸をガン見してから、A組の教室に入っていった。
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