君との成功と、終わり

 ところで、天音黄泉あまねよみの言っていた雷堂らいどう様というのはどういうものか。ここで振り返っておく。


 本来の名は『雷堂飛蝗らいどうひこう』。バッタのような緑っぽい色合いと姿をした鎧武者、といった風体のものらしい。


 それは本当に神様なのかと一度聞いたことがある。すると彼女は、株価データと自分の予想をまとめたものをプリントアウトしてきた。実はただのまぐれじゃないかと疑いながらも、特にその件を追求することはなかった。


 他にも、「雷堂様は元はこの世界と同じ低次の異世界からの存在」とか、「仲間とともに霊体として多元宇宙を彷徨っていた雷堂様が、一九九九年七月のノストラダムスの大予言の日にこの世界にたどり着いた」とか、「一年ごとに変わる都市伝説は雷堂様の実験によるもので、二〇〇〇年から『血塗れの闇』『超常の顎』『疑似戦士装甲三号』『円卓の切札騎士』などの戦士システムを開発して、霊体の受肉データを集めていた」とか。


 あまりにも荒唐無稽だと思って聞いていると、彼女は都市伝説の証拠になるようなインターネット掲示板の書き込みやニュース記事をまとめてプリントアウトしてきた。確かに一見筋は通っていたけど、そもそも自分が実際に目の当たりにしてないものだから、全て本当のことかも分からない。そうは思いながらも、それを追求することはなかった。


 そして、今回は受肉データも集まったところで、一度『降臨の儀』を行うらしい。つまり、彼女の計画していた『儀式』。上手くいけば、これで『救済』を行えるとのこと。


 そして、救済とは「人々の魂を『霊界』という高次の異世界に留め、肉体の束縛から開放すること」。彼女はこの霊界という存在を、純粋に夢見ていた。


 だけど、わたしはここまで聞いても、雷堂様や儀式や霊界にはあまり興味が持てなかった。それでも、黄泉が霊界に行くのなら、わたしもついていきたいなと。冗談で一度そんなことを考えたりしていた。


 そうして、あの事件が起きた。



 事件発生まで、あと一時間。


 倉庫で切り落としたもののほか、黄泉が先駆けて切り落とした魚類や両生類などの水生生物の首もまとめて、分担して運ぶ。


 わたしはこの前のことであらた瑠歌るかと距離を取ることになり、あっという間にクラスで浮いた存在になってしまった。調子づいてからかってくる男子はいたが、代わりに黄泉をお昼に誘いやすくなって、それだけで少し気が楽になった。


 そしてこのこともあってか、「水瀬みなせと天音が付き合い始めた」「水瀬が天音の家に行くのを見た」「あの二人はレズで、実は家でヤッてたんじゃないか」など、あることないことを言われるようになった。


 別に付き合ってはいないし同性愛者でもないけれど、それだけわたしたちの仲がいいということでもあるから、わたしは特に気にしなかった。一応、前に黄泉にもそのことについて訊いてみたら、「じゃあいっそ付き合っちゃいますか?」と冗談めかして訊き返された。そして、もちろん断った。


 彼女が愛を注いでいるのは雷堂様という神様で、わたしは彼女の親友だ。もし本当に肉体に縛られない世界に行くなら、肉体ありきの関係である必要がない。そう言うと彼女は納得してくれて、「絶対に霊界に行こうね」と指と指を交わすように手を繋いでくれた。それがとても嬉しかった。




 事件発生まで、あと十分。


 誰もいない屋上でふたりきり。開いた口から腐臭の漂ういくつかのポリ袋の中心で、紙に描いた魔法陣の上に携帯電話を置く。


 彼女が儀式の準備をする一方、わたしは屋上の扉を押さえていた。


「開けろ! 開けろ、おい! お前ら、一体なに考えてんだ!」


 菊池きくちの声。ドアノブがガチャガチャと執拗に回され、どうにか開かないよう抵抗する。


「菊池! お前、突然どっか行ったと思ったら、なにやってるんだ!」


「バカ! なに止めてんだ! あいつら、邪神を降臨させるつもりだぞ!」


「はあ?」


「天音黄泉と水瀬現みなせうつつが、屋上で儀式を始めたんだよ! 早く止めないと!」


「まあ、よく分からんけど。そっちで扉塞いでる君たちも、あんまりふざけてると強行突破するぞ!」


 保健室の先生の声がして、押す勢いが強くなる。


 さすがに男二人の力を、女子中学生ひとりで押し止めるのは限界があった。少し気を抜いた隙に、扉が雪崩のように開かれる。


 菊池が転びかけながらもなんとか体勢を立て直し、黄泉の方へ走る。わたしもすぐに立て直して、菊池を追う。


 ちょうど、黄泉は携帯メールで霊界コードを打ち込んでいた。雷堂様やその仲間が霊界からこの世界に降臨するための道筋を創るプログラムで、それを向こうが受信するまでがこの儀式の過程らしい。


「結局、君たちはこんなところで一体なにを――うわっ、なんだこれ!」


「邪神を呼び出すための素材だ! クソッ、もっと早く足取りが掴めてたら!」


 鼻と口を押さえながら答える菊池が、黄泉の携帯電話に手を伸ばす。わたしはその後襟を掴んで、がむしゃらに弾き飛ばす。


 ポリ袋の上で仰向けに倒れた菊池の身体にすかさず乗り上げ、マウントを取る。ぬめりと腐臭のするその場所で、拳の痛みも構わず菊池を何度も殴りつける。


 菊池が殴られた顔で目を見開き、吠えるように言う。


「お前ら、正気か? 生首を必要とする儀式なんて、まともじゃないって分かるだろ!」


「うるさい! 黄泉の邪魔をするな!」


「付き合ってんだかなんだか知らねえが、お前ら絶対後悔するぞ!」


「あなたになにが分かるって――」


「頭ん中にガンガン聞こえんだよ! その霊体はヤバいって!」


 右手で肩を弾かれて、菊池が開放される。菊池の手が、黄泉へと伸ばされる。


「で、出来た!」


 黄泉の指が決定ボタンが押す。一瞬遅れて、携帯電話がかすめ取られる。


 菊池は床に転がりながら、手に取った携帯電話の画面を見る。苦虫を噛み潰したように、それをふたつにへし折った。


 儀式は成功したのか、失敗したのか。確かめるために黄泉を見ると、表情を緩ませて∨サインを作っていた。


 表情が緩む。その場で地を這って、強く抱きしめる。


「……ああぁ、クソがッ!」


 視界の端で倒れたポリ袋へ勢いのまま頭を突っ込んだ菊池が、地に伏せて唸るように毒づいた。

 そして、事件が発生した。


 スカートのポケットの中でマナーモードにしていた携帯電話が、バイブ音を立てて震わせる。


 黄泉の身体から一旦手を離し、ポケットから二つ折りの携帯を取り出して開く。知らない相手から、新着メールが届いていた。


 なんだろうとボタンを押そうとして、唐突に携帯が手から弾かれる。


「メールを開くな!」


 手から滑り落ちた携帯が、菊池きくちによって強く踏みつけられる。それは真っ二つに砕け、画面にはなにひとつ映さなくなる。


「ちょっと! 一体何を――」


「ウッ……!」


 遠くから、首の絞まったような素っ頓狂な声。


 保健室の先生が開いた携帯電話を落とした。ひどい頭痛でもするかのようにひしゃげるほど頭を強く抱えてくずおれて、唸るようなうめき声を上げ始める。その口から、粘っこいよだれがダラダラと垂れる。


 校舎の窓からまばらに、それぞれ違った電子的な音楽が響き、数秒ほどで止む。直後、方々から連続して、窓ガラスの割れる音がした。


「ほらみろ、始まりやがった!」


「これ、どういう――」


「知らずに協力したのか? 霊体がばら撒かれたんだよ!」


 そう言われてもピンと来なかった。だけど、唸りを上げていた先生の肉体がクリーム色に毛深くなるのを見て全てを察した。


 あれは、黄泉が最初に首を落としたチワワだった。先生の身体は人の姿を保ちながら、長身のチワワの怪物へと変貌していた。


「なにこれ……」


「霊界コードをもとに、邪神が霊体入りチェーンメールをばら撒きやがった。開いたらそいつも操られて、そこからまたメールが拡散される」


「どうして、それを……」


「言ったろ。頭にガンガン響いてきやがるんだ。そいつを絶対に解き放ってはダメだって」


 長丈の白衣を無造作に振って、チワワ男が鋭利な鉤爪を立てて迫りくる。それが間近のわたしの脳天を引き裂こうと振り下ろされ、しかしその時はなかなか来ない。


 薄目を開ける。菊池は怪物の大きな耳に携帯を突きつけ、音楽を鳴らしている。


 チワワ男は突如動きを止めて、力なく膝から地に伏した。


「こっちの神様直々の、霊体破壊コードだ」


 怪物は身体から熱い蒸気をあたりに発して、元の先生の姿に戻る。近づいて確かめると、それはまるで死体のように、息ひとつしている様子がなかった。


 混沌とした悲鳴が、校舎を賑やかにする。だけど、そんなことはどうでも良くて、くるりと黄泉の方へ振り返る。


黄泉よみ、どういうこと……?」


「言ったじゃないか。『この子』は確かに、『救済』をしてもらうと」


「……黄泉、じゃない。あなたは誰?」


雷堂飛蝗らいどうひこう。『この子』は僕をそう呼んでいた」


 眼鏡の奥の黄泉の瞳は赤く、口元は異様に歪んでいる。彼女の手がわたしの腕をがしりと掴み、そのまま身を引き寄せる。


 痛くて抵抗しようとも、まるで身動きができなかった。


「しかし、君は救済される手段を失ってしまった。そしてこの僕も、携帯電話を壊されてしまったがために、意識だけしか『降臨』できなかった。どこぞの誰のせいでね」


 目つきを尖らせた天音黄泉あまねよみ――雷堂飛蝗――の視線が、わたしの背後に向けられる。


「肉体の枷に囚われる邪神ってのは惨めだな。お前だけでも妨害できたのは、せめてもの幸いだぜ」


「しかし、霊体の氾濫は止められない。戦士はもうどこにもいないし、この世界の人間に止めるすべなど――」


 雷堂飛蝗の耳元に携帯電話が突きつけられる。どこか超常的で奇怪な電子音が、スピーカーから漏れて聞こえる。


 手の力が突然弱まり、雷堂飛蝗の身体がぐらりともたれかかる。彼女の目は元の色に戻っていたが、恐ろしいものでも見たように大きく見開かれている。


 菊池が携帯を開いたまま、踵を返す。


「どこ行くの?」


「ちょいと、世界を救いに行ってくる。頭の中の神様がうるさくてな」


「黄泉は大丈夫なの……?」


「雷堂飛蝗はどうにかしたよ。そいつの魂に関しては、保証しないけど」


 問い詰めようとする前に菊池が走り出し、扉から校舎に戻る。


 ばたんと、扉が乱暴に閉められ、屋上に二人残される。


 悲鳴は拡散し、それとともに怪物の獣のような唸り声もぽつぽつと増していく。遠くの建物からいくつかの煙が立っていて、幾重ものサイレンが遠くから鳴り響く。


 世界は終わったんだ。意識してそう思ってはみたが、いまだにその実感が湧かなかった。



 事件発生から、一時間後。


 広報スピーカーによって、霊体破壊コードの電子音が鳴らされる。おそらく、彼がやったのだろう。獣の咆哮はじわじわと弱まり、悲鳴がおさまっていく。


 だけど、そんなことはどうでもよかった。時を同じくして、彼女が意識を取り戻したからだ。


 頭を置いていたわたしの大腿からゆっくりと身を起こして、きょろきょろとあたりを見回す。


「あれ……霊界は……」


 訊かれて、言葉が詰まる。


 答えられるはずがない。まさか、あの雷堂様はもうどこにもいなくて、わたしたちは救済されなかったのだと。


「雷堂様が、いない……雷堂様、どこ……」


「…………」


「現ちゃん……どういう、ことですか?」


「……ごめん、失敗しちゃった。雷堂様も、あいつのせいで」


 うつむいて、唇を噛み締める。


 ちらと目を上げる。彼女はポケットからカッターナイフを取り出して、刃をせり出す。


「ちょっ、なにやって――」


「来ないでください!」


 制止しようとした手を刃で振り払われ、手の平が薄く切られる。じんと痛んだ手を押さえているうちに、カッターナイフの刃がスカートの中に入る。


 そのまま粘液の音を立てて、カッターを持った腕が小刻みに動く。


「雷堂様……雷堂様……嘘ですよね、いなくなったなんて……あっ、痛っ……ほら、やっぱり嘘じゃないですか、今まさに雷堂様のものが私のなかに……んっ……」


 いつか聞いた、彼女の艶やかな声。紅潮する頬に、上気した呼吸。


 今の彼女は喜んでいる。だから、わたしが止める必要がない。


 だけど、それは現実逃避の上で成り立っている、いわば薄氷の上を歩くようなもので、このままでは彼女は身も心も完全に壊れてしまう。


 わたしは、切られてない方の手を伸ばして、彼女の小刻みする腕を掴んで止めようとする。


「やめて!」


 わたしはまっすぐに黄泉の目を見つめる。


 彼女はわたしに向けて、信じられないものを見つめるような、侮蔑の眼差しを向けていた。


「現ちゃん、なに、してるんですか……」


「雷堂様は、もういないんだよ! やめようよ! 黄泉、このままだと死んじゃうよ!」


「なにいってるんですか。雷堂様と私の営みを邪魔しないでください。私はいま雷堂様への愛を確かめてるんです」


「そんなのどうでもいいよ!」


 彼女の眉間に皺が寄る。


 気をつけながら、黄泉の手をスカートの中から離した。カッターは血で真っ赤に染まり、手まで真っ赤に彩っていた。


 どうにかカッターを手離させようとして、指を無理やりこじ開けようとする。だけど彼女は半狂乱に強く抵抗して、その手が大きくぶれてしまう。


「なんで、なんでっ……現ちゃん、本当は私のこと心の中でバカにしてたの?」


「してないよ!」


「じゃあ、なんで、どうでもいいとか言うの? 私のこと優しくしてくれて、いっぱい協力してくれてたのに! だから私も信じてたのに!」


「裏切ったつもりはないよ! ただ、黄泉が心配なだけだよ!」


「意味分かんない!」


「いい加減に――」


 気持ちがはやって、飛びつくように前に乗り出す。それと同時に、カッターを持つ手が前に飛び出す。


 そうして、赤黒いカッターの刃が、わたしの腹を刺し貫いた。


 強い痛みが走って、力が抜ける。彼女の過呼吸かと言わんばかりの早い息遣いが、耳孔を支配する。


「う、現ちゃん……」


「あ、はは……失敗、しちゃった……」


「現ちゃん! ごめんなさい、私――」


 遠くから、扉が強く開かれる。


「おい水瀬みなせ、無事か!」


 菊池の声が遠くなる。


 同時に彼女の力が、突如として抜ける。そのまま床に転がり込んで、わたしと彼女は抱き合うような体勢になる。


 彼女の瞳からは、突然魂が抜かれたように生気が失われていた。それを認めた直後、わたしの意識はぷつりと闇に落ちた。

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