君との共同作業
事件発生まで、あと十七日。
休日に入って、
彼女の家はとても大きかった。彼女の両親は休日になると、ほぼ一日中留守にしているらしい。
彼女は見ない間に、右腕に包帯を巻いていた。
「どうしたの、それ?」
「ああ、大丈夫です。気にしないでください」
彼女の自室に入る。机と、通学鞄と、タンスと、本棚と、ベッド。必要最低限のものだけがそこにある。
彼女の性格からは考えられないくらいさっぱりしていたが、それは綺麗というよりも殺風景という方が正しかった。
部屋の隅にまとめられた山から、新品の黒いジャージ上下を渡される。サイズはあらかじめ教えていたこともあってピッタリだった。わざわざこの準備のために買ってきてくれたのだろうか。
お金の方はいいのだろうかと訊くと、彼女はかゆそうに表面を掻いてた包帯巻きの手を振って答える。
「ああ、お金はいいですよ。うちの親、アホみたいに金持ってるんで」
「そっか……部屋、めっちゃ綺麗だね」
「そうでしょそうでしょ。あっ、押入れは開けないでくださいね!」
ちらと、背後の押入れを一瞥する。どうしてこの部屋が異様に殺風景なのか、なんとなく分かった気がして、思わず苦笑いしてしまった。
渡されたジャージを下ろして、私服を脱ぐ。彼女はすでにジャージ姿に着替えていて、ベッドの端に座ってわたしの下着姿をじっと見つめていた。
下着を手で隠して、彼女を睨む。
「じっと見られてると、落ち着かないんだけど」
「
「なんか発言がキモいな。とにかく、後ろ向いてて」
「えー……女の子同士じゃないですか」
「えー、じゃない! それにしたって、距離感の限度ってもんがあるでしょうが!」
ぶつくさ文句を垂れながら、ようやく黄泉が後ろを向いたのを確認して、隠すのをやめてジャージに着替える。
着替え終わってから黄泉をまた前に向かせて、他の準備をする。軍手、ゴム手袋、安全ゴーグル、マスク、合羽、長靴、ポリ袋、バケツ、シャベル、ナイフ、なんか色々な薬品……。
「ところで、ここまで準備したけど、これから外に出てやるんじゃないよね?」
「当たり前じゃないですか。うちの離れの倉庫でやるんですよ」
「倉庫に……その、生き物がいるの?」
「ええ。ちょっと前から捕まえておいて、倉庫にぶち込んであるので」
必要なものを全て着用し、荷物とそれぞれの靴を二往復ほどで倉庫の前に移動させる。
コンクリ壁で覆われた倉庫の扉の錠を下ろし、ガラリと開けた。中からは、動物園を凝縮させたような臭いと、多種多様な生き物たちによる大合唱が溢れ出す。
入ってすぐ、黄泉が扉を閉める。中には何段何列もの小さな檻がところ狭しと並べられ、犬や猫、インコやカラス、ニワトリやうさぎなどがいる。よろついた身体で糞尿まみれの檻を出ようと右往左往と暴れている様が、とても虚しい。
「お父さんがもう使わないみたいだったので、それでなんとなく私が譲ってもらった倉庫だったんです。生きてる間に役に立てられて、本当に良かった」
狩猟用ナイフを鞘から出して、鍵束の鍵で手前上の檻のひとつを開ける。中には毛並みが粗くなってやせ細ったチワワがいた。
黄泉はチワワの首裏をがっしりと掴んで、コンクリ床に身体を叩きつける。立ち上がろうとしたチワワの背中を長靴の足裏で体重をかけて、首にナイフの刃を思いきり立てた。
チワワだったそれの必死に吠える声はかすれて、床にかすかな血が広がっていく。
「私はあらかじめザリガニとかカエルを解体してたんですけど、現ちゃんはこういうのって初めてですよね。魚って捌いたことありますか? それか、家のニワトリをシメるのを見たとか?」
「ないよ。めっちゃエグいじゃん」
「そっか。じゃあ手本を見せるんで、見ててくださいね」
息を整えて、彼女に似つかわしくない繊細な手つきで、チワワの首をなめらかに切り取る。途中でぶちぶちと生々しい音を立てて、切り口から赤黒い液体を垂れ流しながら、完全に取れるまで作業が続く。チワワの開閉する口が、少しずつ動かなくなっていく。
その光景があまりに生々しく、気づかれないように微妙に目をそらす。
「ダメじゃないですか、ちゃんと見ててくださいよ。ここでしっかり目を慣らしていかないと、できることもできませんよ?」
「う、うん……」
どうにか見つめ直して、その光景を目に慣れさせる。
動かなくなったチワワの首と、動かなくなった残りの身体。内側の骨を晒した断面が生々しい。
鉄臭い臭いを嗅ぎ取って、喉から酸っぱいものがこみ上げてくる。何度か呑み込もうとして、それが我慢できないものだと悟る。とっさに彼女から身体をそむけて、マスクを外して反対側の床に吐瀉物をぶちまける。
朝食を混ぜてできた黄色っぽい残飯のようなそれが、床に撒き散らされる。泣きたくて目を拭おうとするけど、ゴーグルと吐瀉物のついた手袋のせいでできなかった。
彼女はなんてこともなかったように、手に持ったチワワの生首をポリバケツに入れる。
「えっと、あの……大丈夫ですか?」
「ごめん、ダメかも……」
「……手伝い、やめましょうか」
首なしチワワの身体を血ごとシャベルで掬い、広げたポリ袋に入れる。顔なんてほとんど見えないのに、残念そうに肩を落としてるのがすぐに分かった。
なんだか、それが許せなかった。彼女が寂しそうに、悲しそうにすることが。それを許したら、彼女との関係がなにもかも終わってしまいそうな気がした。
吐瀉物のついてない手でゴーグルを上げて、その手で目元を、腕で口元を拭い、ゴーグルとマスクを戻す。吐瀉物の付着した部分を手で払って、
「……やっぱりやる」
「本当に、大丈夫ですか?」
答えの代わりに、黄泉からシャベルを引ったくった。
そのまま吐瀉物を掬い上げて、首なしチワワの上に叩きつける。無様な遺骸が、さらに惨めな見てくれと化す。
「このまま帰ったら、きっと黄泉は寂しがるだろうし。だから、わたしも頑張らないと……」
重くのしかかる罪の意識を、彼女への想いで塗りつぶす。
作業を終えて彼女にシャベルを返すと、代わりに彼女のナイフを受け取った。
「ほら、早く次の檻を開けて。わたしも、ちゃんと手伝えるようにならなきゃだから」
「わ、わかりました……」
「最初は上手くいかないだろうから、できるまでやり方を教えて」
「……はい!」
彼女の穏やかな声を聞いて間もなく、二個目の檻が開けられる。
*
犬、猫、うさぎ、カラス、オウム、ハト、モルモット。
あれから休日になるたび、天音黄泉と一緒に動物たちの首を落としていった。最初の二日はナイフでやっていたけれど、次の週には肉斬り包丁が用意された。
生き物を殺すというのは、それだけでとても精神を削られることで、あの後も何度か吐いてしまった。だけど、それでも彼女の楽しそうな顔が見たくて、どうにか生き物の頭を無心で刎ねられるようにした。
彼女のために頑張るのが生きがいだった。彼女の笑顔を見ていると、冷めていく心に火が灯るようだった。どれほど自分の手が生き物の血にまみれようと、彼女の笑顔が見られさえすれば報われると思うほどだった。
そうしてわたしは、必死に抵抗する生き物の首を、彼女のためだけにただひたすら刎ねていった。
事件発生まで、あと八日。
先週から悪夢を見るようになり、痛む頭に悩まされながら机に伏せていた。
「大丈夫?」
「最近寝られなくて……」
「不眠症とか? とりあえず、保健室行ったほうがいいよ」
「うん……なんていうか、ごめんね……」
彼女が心配そうに見つめていた。情けないなと思うと同時に、心配してくれることが嬉しくて、つい口元が緩んでしまった。
しかし、一瞬でそれは彼女をいじめるショートヘアのクラスメイトによって遮られてしまった。そうして、そいつは彼女の机の上に座り、貧しい言葉の羅列を投げかける。
あいつも、首を落とせば黙るのかな。教室を出る間際、そいつをつい睨んでしまう。それを横で見ていた友人たちが、廊下に出てからこそっと話しかける。
「天音さんがどうかした?」
「あ、いや……」
気付かれないよう、なんでもない風に目を伏せる。彼女と交友関係にあるのは、いまだに二人だけの秘密だった。
「しかし、よくあんな飽きずにいじめられんな、って思っちゃうよね。まあ、いじめられて仕方ない態度してるあいつもあいつなんだけどさ」
「まあ、最初は可哀想だなってちょっと思ったけどさ。さすがになんちゃら様がどうとか言いだしたのはアレだったよね。絶対あれだよ、気が違ってるってやつ」
「まあなんにせよ、関わらないのが一番だよね。みんながみんなそうとは言わないけど、あいつは確実にいじめられてしょうがないやつだってことで――」
衝動的に、新のつま先を思いきり踏んづける。
彼女の小さな悲鳴を聞いてから、ようやく頭が冷える。二人の異様なものを見る視線にさらされて、自分がついに取り返しのつかないことをしたことに気づいた。
「現……?」
「どうしたの? わたし、現になにかした?」
「……いや、なんというか……ごめん!」
絡んでくる二人の手を強引に振り払い、その場から逃げ出す。逃げ場が思いつかなくて、最初に行くつもりだった保健室に向かう。
もしかしたら、これで新と瑠歌はわたしと絶交するかもしれない。そうでなくとも、きっと今まで通りじゃいられなくなる。そうしたらわたしは、学校で独りになってしまう。
うさぎの首を落としても揺らがなくなった目に、涙がにじむ。そうして次に黄泉の笑顔が浮かぶ。
そうだ。わたしには黄泉がいる。あんな奴ら、ここで縁を切れてちょうどよかったんだ。彼女のことをなにも知らず遠くからバカにするような奴らなんかと、一緒にいるべきじゃない。
そう思い込んで、後悔を振り切った。
保健室の先生と話をしたあと、保健室のベッドで横になった。精神的な疲れからか、少し横になっただけで簡単に眠くなってきた。
そのまま眠りにつこうとしたところで、いきなりベッドのカーテンが勢いよく開かれる。
「お前、さっきから鉄臭えぞ!」
ポロシャツを着崩した、短い金髪の目つきの悪い男子。さっきまで隣のベッドにいたはずの生徒だ。
鉄臭いと言われて、まさかと思って身体の臭いを嗅ぐ。だけど、そんなものはまったくしない。当然、あれをやるときは完全防護していたし、他の人にもそんなこと言われてないから、そんな臭いが残っているはずもない。
動揺を隠しながら、訝しげに訊ねる。
「い、いきなり何?」
「せっかくここで隣のクラスからの邪気から逃れたと思ったらこれだ。アレよりはマシだが、十分ひどい臭いだ」
「じゃ、邪気……?」
嫌な予感がして、その続きを待つ。
「二年A組に天音黄泉っているだろ。あの、度々いじめの件で話題になる根暗眼鏡女。少し前から、あいつから邪悪なものを感じててな」
「それって……」
「悪霊なんてものじゃない。邪神、ってところだ。とにかく、あんなやつに憑いてるくらいだから、近いうちにここでろくでもないことが起こることは確かだ」
なんなんだこいつは。つくづく、無礼が言葉の尾ひれにつくやつだと思った。
だけど、こいつの言葉を聞き逃すには、あまりにも触れるところに触れすぎていた。
彼女の言う『
「い、いきなりなに……そんな、邪神だなんて――」
「お前、あの女とグルだな? こういう臭いは、連続殺人犯か邪神祀ってるカルトぐるみって相場が決まってんだよ」
答えに窮する。もう隠す理由もなくなった。けれども、それでもこの男に黄泉のことを話すべきじゃない気がしていた。
そいつとしばらく睨み合っていると、突然扉ががらりと開く。
「おっ、
「げっ……」
菊池と呼ばれた男は、そそくさと隣のベッドに戻る。さっきまで席を外していた保健室の先生が帰ってきたらしい。
「邪神のせいで気分悪かったんじゃないのか?」
「隣のベッドから鉄の臭いがひどかったんだよ。それで訊いてたんだ」
「またまたぁ、盛りついて襲ってたんじゃないのか? 俺には薬品の匂いしかしねえもん」
「そらあ、お前には霊感がねえからだ。俺にはそれが嫌ほどあんの。……あーくそ、余計に気分悪くなってきた」
「ごめんね、
保健室の先生のくすくす笑う声が聞こえる。
彼女は雷堂様について「人々を救済する神様」と言っていた。しかし、菊池はそれを「邪神」と言っていた。
偶然、菊池が変な妄想をこじらせていただけかもしれない。仮に雷堂様がいたとしても、菊池が適当なことを言っていただけかもしれない。
忘れよう。ゆっくりと、ベッドで眠りにつく。
「おい、水瀬だったか」
隣から声が聞こえる。印象の悪い、あの霊能野郎。
「もしあいつとガチでグルなら、あいつとは縁を切っちゃったほうがいい。んで、警戒しろ。じゃなきゃ、邪神に喰われんぞ」
知らない。聞いてない。聞く価値もない。
布団に潜って耳を塞いで、そのまま縮こまる。
だって黄泉は、わたしの大事な親友だから。
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