神様なんかより、君がいい ~Cult Side~
郁崎有空
君との始まり
最近友達になった
わたしはてっきりあの世のことと思っていたのだけれど、彼女が言うには違うらしい。そこは肉体の自由の縛られない自由な世界で、どうやら地獄とも天国とも違うものらしい。
そういうのはよくわからなかった。小さい頃にカルト教団のテロ事件で話題になっていたが、ああいう類のものなのか。
そのように訊くと、彼女は咥えていたアイスの棒を手で取って弄びながら、それはないと鼻で笑った。
あいつらはなにもかもが嘘っぱちで、ありもしない神的存在を口実にテロを実行したに過ぎなかった。あのテロが人間の力で引き起こされ、失敗した時点で、あいつらのもとに神など存在しない。だけど、いまの私は、確かに
わたしにはいまいちピンとこなかった。よくわからないけど彼女が幸せならばそれでいいかと、その時はベンチに座って呑気に駄菓子屋で買ったバニラの棒アイスをねぶっていた。
事件発生まで、あと二十日。
この時点で気づくべきだった。いや、彼女と関わりを持ち始めたころからだったかもしれない。
彼女がこれから、最悪の事件の引き金を引いてしまうこと。それがわたしたちにとって、とても深い傷を負うものになること。
彼女には確かに、神様が宿っていた。そしてそれは、わたしたちに確かな救済を与えたのだ。
世界の終わりという名の救済を。
*
事件発生まで、あと三十日。
わたしは帰り道、公園のトイレで用を足していた。それはただ、その時トイレが近かっただけの話で、本当にほんの偶然だった。
特に考えもなく閉まっていた個室の隣に入り、友達を待たせてるしさっさと済ませていたところだった。隣の個室から薄い壁越しに、変な音が聞こえてきた。
粘った水をかき混ぜるような音。そして、なにかに甘えているような艶やかな声。
「雷堂様ッ……雷堂様ッ――」
ぬちゃぬちゃとした音と誰かを呼ぶ声。そして、ところどころに挟まれる激しい息づかい。
わたしだって中二になって、思春期と呼ばれる時期に入っていたから、それがなんなのかを知らなかったはずもない。いわゆる、自分を慰めるあの行為が、いま隣で行われているのがすぐに分かった。
なんだか気まずくてさっさとトイレを出ようとする。だけど、こういう時に限っていちいち動きが鈍るもので、わたしが出る頃には隣とほぼ同時だった。
「あっ……」
さっさとトイレから離れようとして、途中で手を洗ってないことに気づく。すぐに手を洗ってしまおうかと思ったが、なんとなくその相手に手洗い場を譲ることにした。さっきのそれの後で待たされるのは、気持ち悪いだろうと思ったから。
三つ編みのお下げに黒縁眼鏡の制服姿。そんな彼女を、わたしは知っている。彼女は天音黄泉というクラスメイトで、いつもひとりでいるような子だった。彼女はそこそこ人間関係を構築しているわたしでもどう接すればいいか分からなくて、いままで関わることがほとんどなかった。
そして、彼女はそんな性格が災いして、調子の良い子からよくいじめのターゲットにされている。
「さっきのこと、誰かに言うんですか?」
彼女の後ろで待っていると、彼女が石鹸で手を執拗に洗いながらそう訊いてきた。
正直、彼女をいじめているような子たちとは他人以上友達未満くらいの距離を取っている。だから、そういう子たちに関わるような真似はなるべく避けたかったし、火種である彼女にも関わりたくなかった。
「まさか。公園のトイレであんなことしてるのはどうかと思うけど、別にあなたに恨みはないし」
「恨まれる理由がなくても、なんとなく気に食わなくてやってしまう。いじめって、そういうものじゃないですか?」
「というか、あなたをいじめてる子たちとあまり関わりたくないんだよ。実際、あなたがどこでなにをやっていようが、知ったことじゃない。だから、言わないよ」
キュッと、蛇口が閉じられる。ブラウスのお腹の部分で手を拭いて、その身が引かれる。
わたしが蛇口をひねって水を出しているあいだ、彼女はずっと背後に立っていた。
「あの……」
「ん?」
「……ありがとう、ございます」
「別に感謝されることじゃないでしょ。わたし、あなたを突き放してるんだから」
「これからは、ちゃんと……その、関わらないようにしますね!」
「そう……」
会話を終えて蛇口を戻す。本当はもっと早く終えられたのだろうけど、話しかけられたせいで気を逸してしまった。
ハンドタオルで手を拭きながら振り向くと、彼女はどこか足取り軽やかに外へと飛び出していた。よくわかんないやつだと思いながら、気づけば苦笑いを浮かべていた。
*
事件発生まで、あと二十九日。
学校で例の彼女と何度か視線が合い、そのたびにわざとらしく目を逸らされた。別に元から友達でもなかったのに、なんだか一歩的に嫌われているみたいで、あまり気分がよくなかった。
それにしても、いつもはそこまででもないのに、今日はやけに視線が合う。もしかしたら、わたしはいままで彼女のことをアスファルトの上を歩くアリくらいにしか思ってなかっただけで、前からもっと目が合っていたのかもしれない。
「そういえば最近、『鏡の怪物』の話聞かなくなったよね」
「鏡の中に棲む怪物が人を襲って食べるって噂だっけ。あれって本当だったの?」
「まさか。所詮、都市伝説だよ。一昨年は超能力で人を殺す動物人間、その前の年は殺人を享楽とする古代民族だよ。さすがにもう信じないって」
昼休み、友人の
一九九九年のなんちゃらの大予言とかいうものが見事に外れて、一時期お騒がせした世界の終わりはまるで来なかった。だけど、その頃からやけにこういう変な噂が流れはじめ、そしてこの系統の噂には決まって謎の戦士の噂もついていた。
「ねえ、
噂好きの新と、噂を聞くのが好きな瑠歌に同時に訊かれる。
正直、どうでもよかった。それらの噂はいつも出てきて一年ほどでほとんど語られなくなるし、そのくせ毎年現れる。去年は六パターンほどの戦士が確認されていたらしいけれど、情報元も曖昧で、さすがにもう胡散臭い。
「んー……いたとしても、一年で途絶えるんじゃ確認しようがないよね」
「まあ、そうだよねー……」
「赤い戦士や黄金の戦士、警察機関で極秘裏に開発された強化スーツ、竜頭を腕に宿した騎士。オタクの見るアニメみたいな話ばっかだもん。まあ、多分作り話だよ」
タコさんウインナーを箸でひょいとつまんで、特に見向きもせず口に放り込む。口の中でばらばらと噛み砕かれる感触で、それがタコさんウインナーだとようやく実感する。しかし、噛み砕かれれば、タコさんであろうがなかろうが同じウインナーだ。
いつからか、タコさんウインナーというものがタコではなく、ただの切れ目の入ったウインナーだと思うようになった。コアラの絵柄付きお菓子の表面も確認しなくなった。
いつの間にか、自分が夢を見れなくなっていっているのを感じていた。触れるあらゆるものから熱が奪われているような、そんな感覚。
これは普通の感覚なのか、それともなにかの病気なのか。きっと変に思われるから、口には出せないけれど。
ちらり、と天音黄泉を見る。彼女がもそもそクリームパンを齧りながら、まっすぐにこちらを向いていたのが一瞬だけ見える。しかし、すぐさま露骨に目が逸らされる。
なんとなく、彼女をいじめたくなる理由が分かってきた。彼女は生きるのが下手だった。確かに無視するように言ったのはわたしだけど、あのやり方はなんか癇に障る。
「現? どうした?」
新が訊く。
「あ、いや、なんでもないよ」
「さっきから天音さんの方見てるけど……もしかして、天音にいらんことされてムカついてるとか?」
「ないない! わたし、天音さんとはまったく関わりがないし!」
ムカついてるのは半分本当で、関わりがないのは半分嘘だった。
どうしてこんなにムカつくのかは分からなかった。彼女は元からアリ程度の存在で、今はそれが目につくようになっただけでなにひとつ変わってない。きっと、目につくからムカつくのだろう。
『……ありがとう、ございます』
昨日のことが思い出されて、余計にイライラしてきたところで、ぐっと抑え込む。
いっそ、突然パッとこの世界から消えてくれればいいのに。そんなことを思いながら、弁当をかき込んでいく。あまりに勢い込んで、途中で少しむせてしまった。
*
事件発生まで、あと二十五日。
休み時間に、学校の女子トイレで天音黄泉が脅されてるのを目撃してしまう。内容は「次、変なことを言ったら罰を受けてもらう」といった内容だった。いじめをする連中にも、いじめられる彼女にも関わりたくないし、少し離れたところでほとぼりが冷めてからトイレに行く。
いま思えば、他のトイレを使えばよかったのだと思う。ただ、その時のわたしはその発想に至らなかった。
脅迫していたやつがトイレから出たのを確かめて、自然な風にトイレに向かう。中では個室がひとつ閉まっていて、その隣に入った。
用を足してる間、壁越しにすすり泣きが聞こえた。これも慰みの一貫かと一瞬疑ったが、特有の粘ついた音が聞こえないことから違うことが分かった。
なんだか落ち着かなくて、隔てている薄い壁を軽くノックする。
「さっき、なに言ったの?」
一瞬息を詰めたようにして、すぐにすすり泣きが止む。
「この前の……
先日の今日で名前を覚えてきたのだろうか。小学生でもないのに初対面でちゃん付けはどうかと思ったけど、なぜだか胸の奥にほんのり暖かなものを感じてもいた。
この五日間、わたしが約束を守ったからか、彼女はなんのためらいもなく話してくれた。
「お前みたいなクズには、近いうちに雷堂様の裁きが下るぞ、って言ったんです。そしたら、ガッとやられて、ばかじゃねえのって……」
「はあ……」
思春期特有の過度の妄想だろうか。アニメや漫画やゲームの影響で、この時期にそうやって変な方向にこじらせてしまうやつがいると、そういえば新が前に話していた。
彼女は前にも『雷堂様』を慰みのネタにしていたことを思い出す。いざ一部分だけ耳に入ると、やけに気になってしまう。
「その、雷堂様ってなに? 漫画のキャラ?」
「えっ……違いますよ、失礼な。『
あれは神様をネタにしていたのかという事実が驚きだった。別に神様を信じていたわけではないけれど、なんて罰当たりだとおかしくなって噴き出しかける。
笑ったら悪いなと思って、どうにか笑いをこらえてから、すぐに息を整えて咳払いする。
「いま、笑いましたね?」
「わ、笑ってないよ……」
「嘘! さっきのは笑いをこらえている息づかいでした!」
「ご、ごめん……」
怒りを感じ取って、すぐに謝る。その場しのぎが半分で、本気の申し訳なさが半分。
そんなことをしている間に、予鈴が鳴ってしまった。
「じゃ、じゃあわたし、先に教室戻るから……」
彼女の頭の中の神様を、つい笑ってしまった。もう彼女は本気でわたしを嫌っているだろう。
なぜだかそれを、少しだけ寂しいと感じてしまっていた。
同じ日の放課後。通学用のスニーカーに足を入れると、くしゃりと足裏に感触がして、靴の中を確認する。
中にはノートの端をちぎって畳んだような紙切れが入っていた。
いつの間に、瑠歌が後ろから興味津々にそれを見ていた。
「もしかして、ラブレター?」
「そうかな。それにしてはなんか……うん……」
なんというか、それにしては誠意が微塵も感じられなくて、いまいちノれなかった。
特に期待せずに中を開くと、
『校舎裏で待ってます。ひとりで来てください』
若干のたくった糸ミミズのような、自信なさげに小さな文字で、そのようなことが書かれていた。名前は書かれていなかったが、誰かはなんとなく想像ができた。
このどうしようもない不器用さは、きっと彼女からだ。それがなんだか可笑しくって、軽く噴き出してしまった。
「やっぱりラブレターかな? 果たし状ではないもんね、なんかショボいし。それにしても名前書いてないけど……現?」
「ごめん、ちょっと行ってくる。先帰ってて」
靴を履いて、走り出す。玄関を抜けて、すぐに校舎裏に回る。
校舎の壁に背を預けて待っていた天音黄泉に声をかける。
「背中汚れるよ」
「よかった……来てくれたんですね」
壁から背を離し、腕を背中に回してぱんぱんと叩く。微妙に届いてないのがもどかしくて、背中を払ってあげる。
「ありがとうございます。現ちゃんって、やっぱり良い人ですね」
「いきなり下の名前……まあいいけど。それで、なんの用?」
「もしかしたら、現ちゃんも雷堂様を信じてないのかなと思って。他の人なら許せないですけど、現ちゃんは悪い人でもないみたいですから。だから、私じきじきレクチャーしてあげようかなって」
「は?」
思わず間抜けな声が出てしまった。新手の宗教勧誘かと警戒して、一歩後ずさる。
「いやいやいや、いいです……おっしゃる通り、神様信じてないんで」
「信じる信じないとかじゃなくて、実際いますよ」
「いやでも、ぶっちゃけ興味ないから……」
「そうですか……」
明らかに落ち込んだ様子で踵を返す。そのまま、わたしのもとを渋々離れていく。
ざわっと、胸騒ぎがした。これを逃したら、彼女とはもう二度と関われなくなってしまうんじゃないかと。それに、彼女の神様を笑ってしまったこともある。
わたしは早足で彼女の背を追って、その腕を取る。
「待って!」
振り返った彼女は、目を丸くしていた。その間抜け面をまっすぐ見つめて、わたしは続ける。
「やっぱり教えてっ! あなたの――雷堂様のこと!」
「えっ……あっ、はい……」
彼女の笑顔に、こっちも嬉しくなる。
関わりたくなんかなかったはずなのに。正直、関わるべきではないはずなのに。
わたしは彼女の腕を、離れないように強く握っていた。
*
事件発生まで、あと二十日。
わたしたち二人は公園のベンチに座り、駄菓子屋で買った棒アイスをねぶっていた。
お互いの手に棒きれしかなくなった頃、黄泉がふと言った。
「私、そろそろ儀式を起こそうと思うんです」
「儀式?」
「学校で、雷堂様や雷堂様とともに来た異世界の人たちを、現世に呼ぶんです。そして、うちのクラスを中心として、雷堂様による救済をもたらします」
「いいの、それ? 黄泉の嫌いなやつも救われちゃうじゃん」
「雷堂様は悪人も罪人も赦すよう、そう言いました。だから私も、それを信じます」
「ふーん……」
正直、五日ほどレクチャーされたいまでも、雷堂様のことはどうでもよかった。ただ、黄泉の楽しそうな顔を見るのは好きだった。
アイスの棒を袋に入れて、ぺきと折る。彼女に手を差し出し、彼女のアイスの棒と袋も一緒に受け取って、立ち上がってくずかごに入れた。
「そうだ! せっかくだし、準備を手伝ってくれませんか? 儀式って色々必要なんです!」
「え……」
「あっ、大丈夫です! いままで通り、学校では関わりませんから!」
「それはいいけど……なにするの?」
「法則に従って魔法陣を描いた紙とか、霊界コードを打ち込んだ携帯電話とかあるんですけど……一番手間がかかりそうなのはあれですかね」
なにかを左手で持って、右手で切るような動きをしながら楽しそうに続ける。
「生き物の、頭」
想像して、冷や汗が出た。
いったい、なんの生き物の頭を取るつもりなのだろう。なんであれ、ただごとじゃないのは確かだった。
わたしは苦笑いを浮かべて答える。
「……分かった。やれる限りは、やるよ」
正気じゃないのは分かっていた。
それでも、彼女の笑顔を曇らすことはしたくなくて、ぎこちない頭で無理やりうなずいた。
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