四の三

 日暮れまぎわの薄い陽光を浴びる洋館の、ほとんどの窓は真っ暗で、人の気配はまるで感じられなかったが、玄関のエントランス脇の小窓からはわずかな明かりがもれていた。

「思いつきだったし、まさかとは思ってたけど、正解だったみたいだな」

 紫が自分の勘の良さに酔うように言った。

 玖惹池くじゃくいけは、あぐりの家から南へ直線距離で五キロほどの場所にある。南北も東西も、幅がだいたい二キロで、池というよりも湖に見えるほど大きな池であった。

 鞍祢山あんねさんのふもとにあって、小高い山々に囲まれていて、山すそと池畔のわずなか平地には、ぽつりぽつりとログハウスなどが見える。平成土地バブルの時、ここに別荘を建てるのがはやり、名津岐なつき市のセレブや近隣の土地成金などが、競って豪奢な建物を建築したのだった。

 だが、今ではそれらの家屋もほとんど使われておらず、価値も二束三文。紫の祖父が唯一、土地ころがしに失敗した物件でもある。

 その洋館は、二階建てで幅は二十五メートルほどもあるし、表は池畔まで草原が広がって背後が木々に覆われ、その前に立ちこうして眺めると、あぐりは、ある種の不気味さを感じずにはいられなかった。

 家からここまでは、間の山々を迂回すると、ずいぶんな距離があって当然時間もかかってしまうので、あぐりたち三人は変身した格好で、山中を一直線に駆けてきた。

 ちなみにアオイは源次郎が帰宅したら、いっしょに後を追う手はずになっている。

 門を入って、十数メートルの庭園を横切り、荘厳に見えるドアのノブを、紫が回してひっぱると、その重そうな見た目に反して、ドアはわずかな軋みを聞かせるだけで、そっと開いたのだった。

「あの野郎、余裕しゃくしゃくだな、おい」

 紫が吐き捨てるように言うのに続いて、

「来るなら来い、って感じね」

 小町が返して、ふたりは同時に、中にすべるように入っていった。

 あぐりも続いて敷居をまたぐ。

 吹き抜けのエントランスの、むやみやたらに広い空間の正面には幅の広いのぼり階段があって、踊り場から左右にわかれて階段が続き、コの字型に配されたの二階廊下へのびている。

「私、このお屋敷が苦手だったな」

 あぐりは、遠い昔を思い出した。

「小学校の夏休みに一緒に泊まった時、こいつ、ひとりでトイレに行けなくて、あたし、何度も夜中に起こされたんだぜ」

 紫が、思い出さなくてもいい恥ずかしい記憶を、語るのだった。

「もう、昔の話でしょ」

 ふてくされて、あぐりが答えるのに、紫も小町も言葉を返さなかった。

 あたりの気配をさぐっているようすだった。

 あぐりも、まわりを見回した。

 天井にある豪華なシャンデリアを光源に、うすい光が放たれていて、左右のドアや階段の裏側から、ゾンビが飛び出してきても不思議ではないほどの、寒気のするような陰気さが空間を満たしていた。

 しばらくすると、紫はエントランスを躊躇なく横切って階段をのぼり、踊り場の壁に掛けられた、二メートル四方の油絵の前に立った。

 あぐりと小町も釣られるようにあとに続いて、踊り場で立ち止まる。

 湖の向こうに山の描かれたその絵画を見つめ、紫が言った。

「この裏に、隠し通路とかありそうじゃねえ?」

「ありがちだけどね」小町が答えた。

「でも、なんか宝石とか探しだして、はめ込まないと開かないとか?」あぐりが、けっこうまじめに言うのへ、

「あ、それもありがち」小町が冗談を返すように賛同した。

「そんな面倒なことしなくちゃいけないのかよ」紫が言葉通りに面倒くさそうな表情をする。

「あんた、ナイフ一本でゾンビの間を駆け抜けそうね」小町がからかう。

「いや、現実リアルじゃあ、そんなくだくだしいことはしねえ」

 あぐりと小町は、ちょっと嫌な予感がして顔を見合した。

「ぶっ壊して進めばいいんだよっ!」

 紫は言いざま、手にアルマをため、青い衝撃波を放った。

 高級そうな絵画は四散し、その裏側には、――本来は厳重なセキュリティーで守られていたに違いない、ぶ厚い鉄の扉がひしゃげて倒れた。

「「ぎゃーーーっ!」」

 あまりにも突飛な行動に、ふたりが悲鳴をあげる。

「わははは、ホントにあったぜ、おい」

 得意満面に紫が叫ぶのに、

「あんた、バカじゃないの!?」

 小町がののしるのだった。

「この絵、いくらするかわからないのよ!ちょっとは考えてから行動しなさいよ!」

「ああ、それは大丈夫。これ印刷だから。油絵なのに、でこぼこしてなかったからな」

 紫は意外と冷静だった。

「紫ちゃん、心臓に悪いわ、ホント」

 顔を引きつらせて友人をたしなめ、あぐりは壁から奥へと続く通路をのぞきこんだ。

 そこは、わずかな照明で照らされていて、数メートルさきには、下へと続く階段があったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る