一の九

 杉谷は、不気味な笑みのまま、鼻息を荒くしはじめ、その手をあぐりの胸にのばしてきた。

 ――いやっ、助けて、だれか、助けて。

 あぐりは声をだそうとするが、恐怖で喉がしまっているのか、ただ、息がもれるばかりだった。

 杉谷がゆっくりのばしてくる手が、ついにあぐりの胸のふくらみの上におかれた。

「へ、ヒヒヒヒヒ」

 杉谷は、不快きわまりない笑いを発し、指を動かしはじめた。最初は遠慮がちに動かしていたが、やがて、ワシづかみにして、胸をみしだく。

 ――イヤ、気持ち悪い。

 あぐりは、声がだせないまま、体をよじって悶えたが、それがかえって杉谷の欲情をさそうのか、乳房を揉む手に力がこめられる。そして、手首を円を描くようにに動かしだした。しかも、しだいに動かすストロークが大きくなってくる。

「い……、や……、あっ、ああ……」

 あぐりの口からもれたのは、苦痛によるうめき声だったが、

「そう、気持ちいいの?」

 杉谷は、快楽からでたあえぎだと受けとってしまったようだ。

 服の上からだしブラジャーもしているのに、杉谷の手ひらの、指の感触が胸につたわってきて、だんだん気分が悪くなってきた。

 やがては、男性に胸をさわられることもあるだろうと、想像はしていた。しかし、その相手は、カッコよくて優しい、理想の彼氏のはずだった。それが、クラスメイトの、しかも、変質的に自分に思いを寄せる男子にさわられることになろうとは……。

 あぐりは、心にあふれてくる屈辱と羞恥心に、下くちびるを噛んで耐えた。

 ――どうして、わたしが、こんなめに……。

 杉谷は、ひとしきり、あぐりの胸を揉んで満足したのか、ふと手をはなした。が、あぐりが安堵したのもつかの間、杉谷はその手をセーラー服の裾へもっていく。杉谷の息はいっそう荒くなり、その手は、興奮で小きざみにふるえていた。

 ――ダメ、もう、ダメ。

 あぐりは、嘔吐感をもよおしはじめた。

 そして、杉谷の手が服の裾から、その中へすべりこもうとした瞬間――。

「イヤぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」

 あぐりは叫んだ。

 あぐりのその叫びに呼応するかのように、左腕のブレスレットから光が放たれた。その光は、あぐりの全身をつつみ、杉谷たち三人をはじき飛ばす。

 解放されたあぐりは、

「この、大バカやろーーーっっっ!!!!!」

 怒りの叫びを発しつつ、杉谷に向かって走っていくと、その勢いのまま、杉谷の横っつらをぶん殴った。グーでっ!

 殴られた杉谷は、ふっ飛んでいき、十メートル向こうのステージのへりにぶつかり、それでも勢いはおとろえず、そのままさらに、ステージの奥まで転がっていった。

「え?いや、あの、そんなチカラをこめたつもりは……」

 これには、あぐり、今までピンチだったことも忘れて、驚愕するしかない。

 ――わたし、こんなバカ力はないはずなんですけど……。

 ステージ奥の引き幕がクッションになって、やっととまった杉谷は、うつぶせになったまま、動かなかった。

「あ、うそ、大丈夫?杉谷君っ!?」

 もはや、おっぱいをモミモミされたことすら、忘却の彼方。

 ――しまった、やってしまった。身を守るための不可抗力とはいえ、まさか、わたしが、人の命をうばってしまうとは。終わりだ。人生終わりだ。わたしは、もう、いっしょう塀のなかで暮らすんだわ。いや、でも、正当防衛で罪が軽減されるかも。あ、でも、殴ったのは、杉谷君が倒れたあとだし、はたして、正当防衛がみとめられるんだろうか。ああ、やっぱりわたしの人生、塀のなかだっ。

 あぐりの頭のなかは、絶望でいっぱいになった……。頭をかかえて、悶え苦しみだした。

 と――、

「う、ううん……」

 うめきながら、杉谷が体を動かした。

 よかった、塀の中の青春、まぬがれた。

 すこし気持ちが落ちついて、心に余裕ができたあぐりは、その他ふたりのことを思い出し、まわりを見まわしてみた。多喜と大原は、倒れてはいたが、息はしているようだから、気を失っているだけみたいだ。

 ――よかった、こっちも大丈夫みたい。

 杉谷が、よろめきながら、ゆっくりと立ち上がろうとしている。

 あぐりが、助けにいこうと、ステージにむかって一歩踏みだした瞬間、

「うわぁぁぁぁっっっ!」

 杉谷が叫び声をあげ、あぐりの足がとまった。

「痛い、痛いよっ。なんだこれ、話が違うじゃないかっ」

 ――なに?今度は、だれとしゃべっているの?

「力を使えば、全部ボクの思い通りになるって、話だったじゃないかっ。どうして!?姿をみせてください、力をかしてください!」

 ――まだ他に、だれかいるの?まさか!?

「カシン様っ、助けてっ、カシンさまーーーっ!」

「カシン!?」

 杉谷のまわりに、徐々にもやのような、霧のようなものが湧きはじめた。その、どす黒い「なにか」は、ステージ上を覆いつくし、さらにまだ広がっていく。

「な、なんなの、これ?」

 まがまがしく、おぞましく、邪念にみちた「なにか」を前に、あぐりは、われしらず後ずさった。

 と――、

「あれが、カシンよ」

「?」

「あなたに、いえ、人類すべてに災厄をもたらす怨霊、邪悪の権化――、わざわいなる者、禍神カシンよっ!」

 声がする。澄んだ、透明感のある女性の声。

 あぐりは、大きく広がりつづける黒い靄に警戒しつつも、あたりをみまわした。だが、その声の主は、どこにもみあたらない。

 ――ま、まさか、わたし……。

 え?なに?幻聴?あんまり、常識では考えられないことが起こりすぎたせいで、精神に異常をきたしたんじゃ……。え?もしかして、いまみている変な黒い靄みたいなのも、幻覚?え?どうしよう、いま体験していること、すべてわたしの妄想なんじゃ?そう、これはきっと、夢なのだわ、すべてマボロシなのだわ――。

「いや、大丈夫だから。落ち着いて」

 女性の声が、すこしあきれたように、語りかけた。

「はい、声のするほうをみて」

 あぐりは、ゆっくり、首をまわした。

「そう、そして、視線を下にむけて」

 あぐりは、首を下に動かした。そして、そこにいたのは……。

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