一の八

 藤林あぐりは、ともすると震えだそうとする手と足を、おさえるのに必死だった。

 男子が六人――。

 まともに考えれば、かなうはずがない。

 あぐりが、これまでに身につけた武術といえば、父源次郎に子供のころ教えられ、今ではもうすっかり忘れてしまった少林拳と先祖伝来の伊賀流忍術。そして、小学校五年生のときに紫のお爺さんの道場に入門してみたはいいが、紫にしごきにしごかれ、すぐに逃げだした空手、三ヶ月。

 ――やっぱり、かなうはずがない……。

 逃げだしたい。

 でも、逃げたら、ユカちゃんがどんな目に合わされるか。

 いや、このままなら、わたしも――。

 まともに話が通じそうなのは、視線のさきにいる、杉谷君のみだ。とにかく、なにか話さねばならない。

 ――お母さん、力をかして。

 あぐりは、左腕のブレスレットに右手をあててみた。すると、やさしい温かさが手につたわってきて、しだいに体全体が温かさでつつまれるように感じた。

 ――大丈夫、がんばれる。

 あぐりは、しぼりだすように、声をだした。

「す、杉谷君、こ、これは、どういうこと?ユカちゃんを、放して」

「くくくくく……」

 杉谷は、やっと発することができたあぐりの声を、聞き流すように、笑った。背筋がゾッとするような、いやらしい笑いだった。

「ホントに来るんだ。カシン様の言ったとおり」

 ――え?カシン?カシンって、言ったの?

 あぐりは、耳を疑った。いや、来るべきものが、とうとう来たと言うべきだろうか。恐れていたものが、ついに。

 なんとなく、腑に落ちた。杉谷の変貌も、紫が狙われたわけも。カシンという化け物は、あぐりを狙っている。厳密に言えば、あぐりが持っている、

 アルマ

 という、霊的なエネルギーを。そのために、杉谷に力をあたえ、利用しているのだろう。そして、紫を人質にとることで、あぐりを動揺させようとしているのだろう。

 とにかく、話をしよう、とあぐりはふたたび声をだした。

「カシン?カシンになにかされたの?」

「別に、なにかされた、ってわけじゃないけどね」

 杉谷は、冷笑を浮かべたまま、話だした。

「カシン様は、ボクに力をくれたんだ。凡俗どもをあやつる力――。とりあえず、クズどもと、多喜君と大原君に術をかけてみたけど。くくくっ、ホント、最高だよ」

「…………」

「次は、クラスの奴ら、そして学校の生徒全員」

「あなた、なにを言ってるの?いったいなにが目的なの?」

「目的?そんなものは、単純さ」

 杉谷は、ステージから、床に飛び降り、声も身振りも大きく話をつづけた。

「支配してやるんだよ、みんなっ。どいつもこいつも、オレのことを見下しやがってっ。みんな支配してやるっ!」

「バカなこといわないで。友達を、変な力で操って、なにが楽しいのっ?」

「まあ、ふたりは、実験台みたいなもんだからねぇ。そのうち解放してあげよう。そしていっしょに、エンジョイしようかな、理想的な学園生活を――。フフフフフ」

 ――どうかしてる、この人。

 それが、カシンにあやつられているからなのか、それとも、これが杉谷の本性なのかはわからないが、とにかくあぐりには、彼の言っていることは理解できないし、したいとも思わない。

「まず手始めに……」

 杉谷の顔がみにくくゆがんだ。

「キミをオレのものにするっ」

 杉谷が手を前につきだす。と、その手のひらから、真っ黒なオーラのようなものが噴出され、あぐりにむかって、飛んでくる。

「きゃっ」

 あぐりは体をよじって避けようとした。だが、オーラは、あぐりに到達する直前で霧散した。

 ――え?なに?なんだったのかしら?

 杉谷に目をむけると、彼は、自分の手のひらをみて、なにかつぶやいている。

「うん?カシン様の言うとおり、藤林さんは操れないんだね」

 戸惑うあぐりをよそに、杉谷は、今度は、腕を天井にむけ、

「じゃあ、つぎは、これだっ」

 杉谷が大きく腕を振って、あぐりを指さすと、多喜と大原があぐりに向かって、跳んできた。まったく助走もつけず、十メートルの距離を、いっきにジャンプしてくる。

 後ろにまわった大原があぐりの両手首をつかむと、あぐりはたやすく持ち上げられ、バンザイの形でられた形になった。

 大原は巨漢の相撲部員で、身長は百八十以上はあるし、恰幅もいい。小柄な女の子ひとりを持ち上げることなど、造作ぞうさもないことだろう。

「ハァハァ……」

 あぐり耳に大原の息がかかる。あやつられていても、女子の体に興奮するのだろうか?

 あぐりは、吊りあげられた状態で、足をバタつかせて、抵抗ようとした。が、その脚に、多喜がしがみついてきた。

 多喜は、大原とは正反対で、ガリガリに痩せて、大きな目ばかりがギョロギョロとした、ちょっと不気味な少年だった。だが、あぐりの脚にしがみつくその腕は、異常な強さをもっていた。これも、杉谷の術の力なのだろうか。しかも、その頬を、なにげにあぐりの太ももにこすりつけてくる。

「いやっ、放してっ!」

 あぐりの叫び声は、むなしく体育館にこだました。

 杉谷が近づいてきた。ゆっくり、ゆっくり、自分の興奮をおさえるように。そして、あぐりの前までくると、あぐりに顔をよせて言った。

「ふ、藤林あぐりさん……。キミも、オレのことが好きだったんだろ?」

「え?」

「ずっと、オレのことを、助けてくれていたよね」

「いや、助けたのは、ユカちゃんで、わたしじゃ……」

「楯岡は、チンピラを殴りたかっただけだろっ。しかも、オレのこともついでにぶん殴って」

「そ、それは、そうだけど、わたし、別にあなたのことを……」

「恥ずかしがらなくても、いいんだ。わかってるんだ、キミの気持ちは」

 ――怖いわ、この人……。

 あぐりの全身に寒気が走り、あごが震え、歯がカタカタと音をたてた。

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