一の七

 さて、どこからさがしたものか。

 あぐりたち二年四組の教室は、北側のB棟の三階。二階が一年生の教室で、四階が三年生。ちなみに、B棟を使うのはみんな普通科で、日当たりと風通しのよい南側A棟は、特進科とスポーツ科が使用している。あぐりはそこに、あきらかな差別を感じるのではあるが、まあ、今はおいておこう。

 同じ階の教室をのぞいてみ、トイレもふたたび見てみたが、紫はみあたらない。

 ――とすると、ユカちゃんが行きそうな場所は、屋上かしら。

 あぐりが、思いついて屋上へ向かおうと、四階への階段に足をかけた時だった。

 ――いや、違う。

 なにか違う、と心に感じた。それは、ただの勘なのかもしれないが、それとは別に、なにかが、だれかが、あぐりを階下へと導こうとしているようにも思えた。ここは、その感覚にしたがってみよう、という気になってきた。

 あぐりが導かれるように階段をおり、二階にあるA棟とB棟の間の連絡通路まで来たときだった。

 窓から、校舎の隣の体育館が、ふと、目に入った。

 建物の向こうから西日がさしていて、こちらからみる体育館は、気味の悪いほどに黒ずんで見えた。

 なんとなくではあったが、なにか引き寄せられるものをそこに感じる。

 ――体育館?気になるけど……、なんだろう?

 そう思ったときだった、左腕のブレスレットに温かみを感じた。それはすぐに熱いと感じられるほどの熱をおびてき、あわててあぐりがみると、宝石が、先ほどとは違う、あきらかな光を放っていた。

 ためしに、左腕を体育館に向けてみた。すると、光が強くなり、感じる温度も高くなった。ブレスレットがあぐりを、体育館へと、いざなっているようだった。

 ――やっぱり、体育館。

 あぐりは走りだした。A棟へむかい、一階まで階段をおりて、校舎を走りぬけ、渡り廊下をすぎ、体育館の建物のなかへはいると、そこはエントランスホール。左には正面玄関、右手にアリーナへの入り口の扉があった。

 あぐりは、扉の前までくると、立ち止まった。

 ――おかしい。

 確実におかしいとわかるほど、異様な気配がする。

 左腕をみる。母の形見のブレスレットは光り輝き、そこから感じる温かさは、母のぬくもりにつつまれているような温かさだった。

 ――お母さんが、守ってくれる。

 あぐりは、大きく深呼吸をして恐れをふりはらい、扉を引き開けた。

 広大な体育館のむこう側、ステージのへりにすわって杉谷君がおり、左右には、彼の友達の多喜君と大原君がたっている。

 そして、ステージ隅の下には、紫が後ろ手にしばられ、気を失っているように寝ころがっており、そのまわりを不良生徒三人組が取り囲んでいた。

 杉谷少年以外の生徒たちは、ほうけたように、ただつったっている、といった印象だ。心が抜けている、というべきか、魂が抜けている、というべきか――。

 あぐりは念のため、扉を開けたままにしておき、体育館のなかへ踏み入る。と、キギギと鉄のこすれる音とともに、扉が勝手にしまった。はっとして振りかえる。この扉は、自動開閉式ではないはずだ。なんなのだろう、いったい。

 あぐりは杉谷のほうに向きなおると、もういちど大きく息を吸い、動揺する気持ちを落ち着かせた。

 そして、一歩一歩、力をこめて歩を進め、杉谷の前に来た。用心をして、十メートルほど間をあけて、立ちどまった。

 杉谷は、いつもの眼鏡をかけておらず、口もとを、いやらしくゆがめていた。ちょっとみると、まったくの別人とみえるほど、その人相は、いつものおとなしい杉谷の顔貌ではなかった。

 ――なんだかわからないけど……、わたしは負けないっ!

 あぐりは自分をはげまし、勇気をふるいおこした。


 おなじころ、春野ヶ丘高校正門。

 一匹の子犬が、いた。

 毛色は赤茶色で、一見すると柴犬であるが、よくみると微妙に違う。知らない人がみれば柴犬と思うだろうが、柴犬を飼っている人が見れば、すぐに雑種と気がつくだろう。

 下校していく女子生徒たちが、かわいい、とか、迷子かな、などと話しながら通りすぎ、ひとりの女生徒が、キミどこの子?、と声をかけながら、なでようとするのを、あからさまに無視をして、柴犬のようで柴犬でないその子犬は、急ぎ足に敷地内にはいっていった。振られた女の子は、なんとも寂しそうな顔でそれを見送っていた。

 子犬は、校舎の前を通りすぎ、体育館の前までくると立ちどまり、じっと建物を見つめていた。

 犬のことで、その表情から思考をさっするのは不可能に近いことではあるが、その目に、ある種の厳しさが表れているのはわかる。

 つぎに子犬は、体育館の外壁にそって、歩きだした。

 まるで、どこかに入り口がないか、探すように――。

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