一の二

 紫は歩き方も、朝からきびきびしている。やっぱり体育会系だからだろうか?

 紫は、運動音痴のあぐりとは正反対で、スポーツ万能、運動神経バツグン。

 しかも、紫は背が高い。先日の身体測定の時は、百六十七だったか、八だったか。そのうえ、まだ伸びつづけているようだ。このまま成長しつづけると、高校を卒業するころには、百八十センチを越えそうな勢いである。

 百五十センチそこそこしかない、――くわえて、伸び率がだんだん心もとなくなってきた――、あぐりと紫が並んで歩くと、そのデコボコ感が他人からはたいそう滑稽にみえるらしく、すれ違う人が興味深げな面持ちで、ふたりを見比べながら通り過ぎて行く、なんてことも、しばしばだ。

 あぐりと紫は、小学校以来の親友で、当時から、そのデコボココンビっぷりは、クラスの男子生徒たちの揶揄やゆのマトであった。が、ふたりをからかったのが運のつき、紫の空手パンチがさく裂するのがオチであった。

「あんたら親子、ホント仲がいいな。外まで大きな声が聞こえてたぜ」

 紫が面白そうに言う。

「ふん、うっとうしいし、口うるさいし、オヤジ臭いし、うっとうしいだけだよ、あんな親」

「そこまでうっとうしいか!?」

 言いつつ、紫の顔がわずかに曇ったことに、あぐりは気づかなかった。

「親のいないあたしには、わからんね」

 そうだった、と、あぐりはここで気がついた。紫のご両親は、十年ほど前から、行方不明だったのだ。なんでも、ご両親はお医者さんで、NGOの活動でアフリカに行き、やがて消息をたったそうだ。以来、紫は祖父母のもとで暮らしている。

 そんな紫とくらべれば、自分は父親がいるだけ、幸せなのかもしれない、とあぐりは思う。うっとうしいけど。

 父、源次郎は、もと料理人である。今は料理教室をひらいていて、近所だけではなく市内外からくる奥様たちから、それなりの評判をえている。母が亡くなって以来、男手ひとつであぐりを育ててくれたことには感謝しかないが、口うるさいのは、たまらない。わけのわからん忍術だとか、若いころカンフー映画に影響されて、本場中国にまで学びにいった少林拳だとか、そんなものを娘に強制的に伝授しようなどという親心(?)も迷惑きわまりないものがあった。

 隣家の島田さんの家の前にくると、庭の手入れをしていたお婆さんがにこやかに挨拶をしてくれ、あぐりも、おはようございます、と挨拶をかえす。お爺さんは、無口なかたで、いつもお婆さんの隣で微笑みながら、こちらをみているだけだった。寡黙な性格ようだが、人はよさそうな感じで、あぐりは好印象を持っていた。年を重ねても、あんなんふうに仲良く暮らしていける人と、いっしょになりたいものだ、と、まだめぐりあわない理想の彼氏を心に描きながら、あぐりは思うのだった。


 あぐりの住む住宅街は小高い山の上にあり、そこをくだると、一面田畑が広がっている。

 市の真ん中をつらぬくように流れている丸衣川まるいがわをはさんだ両側に広がる田園をみながら、川沿いの道をあぐりたちは学校に向かって歩いていく。

 田んぼにはまだ植えられたばかりの、かわいらしい稲が整然とならんでいて、遠くで、草むしりでもしていたのだろうか、農家のおじさんがふいに立ち上がり、凝った腰を伸ばしていた。

 空はからりとした見事な五月晴れで、水田を吹き抜ける風はさわやかで心地よかった。

 紫の、耳の下くらいの長さの、きれいなストレートの髪が、風にサラサラとなびいている。オシャレに興味のない紫には、もったいないくらいのきれいな髪だ、とあぐりはいつも思う。

「おっと、ちとまずいぞ」

 紫がつぶやくと、あぐりは腕時計に目をやった。

「あ、うそ、もうこんな時間?」

「速足だっ、いくぞ!」

 言い終わるやいなや、紫は競歩選手もびっくりのスピードで歩き出した。いや、運動音痴のあぐりからみると、速足なんてもんじゃない、ほとんど走っているのと変わらない速度だ。

「あ、ちょっと、ユカちゃん!」

 あぐりは、紫の背中を、小走りに追いかけた。


 そんな、朝の日常の光景をくりひろげるふたりの後方、その上空に、黒いもやのような、霧のような、物体とも気体とも判別できない、得体のしれない「なにか」が、わいて来つつあった。

 その、のどかな田園風景ににつかわしくない「なにか」は、数メートルほどの靄の塊になり、収縮と膨張をくりかえす。それはやがて、人のようにもみえる形状に変化していき、その顔とおぼしき部分に、目と口のようなものも形成された。

 その口は、不気味な笑みを浮かべているようにもみえた。

 その「なにか」に反応したように、母の形見のブレスレットの宝石が、淡く輝いていたことに、あぐりは気づかないでいた。

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