一の十一

 憑依完了、というべきなのだろうか――。

 黒い光につつまれていた杉谷は、最後に衝撃波とともに黒い光を爆散させ、フワリとステージに降りたった。

 あぐりは、ふたたび息をのんだ。

 ――違う、さっきまでの杉谷君とは、確実に違う。

 カシン――。

 それは、四百年ほど前に人類の前に現れたという。以後、時代の節目にあらわれ、歴史に干渉してきた。ある者はわざわいの神と呼び、またある者は怨霊と言う。だが、別の者は、カシンの知識や力を利用しようとし、頼みとしてきた。

 そして、あぐりにとっては、母のかたき――。

 十三年前、母は、その命を犠牲にして、カシンからあぐりを守ってくれた。だが、カシンを倒すにはいたらず、しりぞけるにとどまった。

 その仇が、あぐりのクラスメイトの体を乗っ取り、今、目の前にいる。

 子犬は杉谷をにらみ、うううっ、と唸り声をあげ、体を震わせている。

 杉谷は、自らの手をみながら、開いたり閉じたり、首をひねったりしていた。杉谷に憑依したカシンが、体の感覚をたしかめ、なじませているように、あぐりには思われた。

 子犬が走りでて、杉谷、いや、すでにカシンとなった少年にむかって言った。

「いいかげん、他人の体をもてあそぶのはやめなさい。ヘドがでるわ」

 カシンは冷めた目で、子犬をしばらくみつめてから、声をだした。

「アオイ……、か?」

 もう、杉谷の声ではなかった。カシンの声なのだろう、悪人の声とは思われない、深くてよく通る、おちついた大人の声だった。

「そうよ」

 アオイとよばれた子犬が答える。

「はははははっ、前は猫だったな。まったく、お前の動物好きにはあきれるな。まあ、お前のような無能無才には、畜生の体がお似合いだがなぁ」

「あなた、気づいてる?憑依を繰り返しすぎて、だんだん品性が下劣になってきてるわよ」

「お前も、畜生にばかり憑依しすぎて、低俗になってきたんじゃないのか」

「あなたみたいに、人の意思と尊厳を無視して、人の体に憑依する悪党よりは、マシだと思うわ」

「大儀のために身をささげることを、光栄に思っているさ、この少年もな」

「ふざけるなっ!人の心をあやつり、体をのっとり、アルマを喰らう大悪党めっ!」

「私は人のアルマはもらうが、命までは、とらん。ただ、何年か眠ってもらうことになるだけだ……。その娘にも、な」

 言ってカシンの首があぐりのほうを向いた。

 アオイも、あぐりに向きなおって、言った。

「カシンは、まだ不完全な状態よ。完全に復活するために、あなたのなかに眠る、膨大なアルマエネルギーを欲しているの」

「…………」

「さあ、変身して戦うのよ。あなた自身を守るため、お母さんの仇をうつために」

「お、お母さんの……」

「そうよ。カシンは、十三年前もあなたのアルマを狙って現れたわ。でも、その時は、あなたのお母さん――、清花せいかさんが、その身を犠牲にして、あなたを守った」

 ――そう、おぼえてる、わたし。歩き去るお母さんの後ろ姿。白い戦闘服にピンク色のスカーフをなびかせて、戦いに出ていくお母さんを――。

 しかし、わたしにできるのだろうか、とあぐりは躊躇した。あんな化け物と、わたしは戦えるのだろうか、と。

「迷っている時ではないのよ、あぐりちゃんっ」

 その時――、

 すさまじい破砕音とともに体育館端の床が割れ、床下からひとつの影が飛び出した。

「そこまでだっ!」

 叫んだその男は、あずき色の忍者装束に身を包み、顔を面頬マスクで隠していた。そして、その恰好をひときわ異様にみせているのは、髪型だった。まるで、スーパーヤサイ人のようなとんがった金髪で、あからさまにカツラだとわかる。

 この珍妙な闖入者を、アオイはあきれ顔で見、カシンは侮蔑ぶべつのまなざしで見た。

 ――あれはっ!

 と、あぐりは心のなかで叫んだ。

「なにやってるのっ、お父さんっ!」

 と、あぐりは声に出して叫んだ。

「お父さんではないっ、私の名は、マスターニンジャ!」

 これはもう、あぐりでさえも、カシン同様に侮蔑のまなざしを送らざるをえない……。

 源次郎、いや、マスターニンジャは、三方から自分にそそがれる冷めた視線を完全に無視して、あぐりたちとカシンの間まで歩いてきた。

「ちょっと、なにやってるの、源次郎さん?」

 子犬がきく。

「おや、これは、アオイさんか?」

 マスターニンジャは、源次郎と呼ばれたことに、しっかり反応して、ききかえした。しかも、犬に話しかけられて、まったく動じる気配がない。ということは……?

「今度は、犬かね?」

「あなたも、そこをツッコむのね……」

「まぁ、旧交を温めるのは、あとにしましょうか」

 アオイと源次郎は、旧知の仲だったらしい。

 源次郎、――いや、マスターニンジャ、いや、もう源次郎でいいだろう――は、カシンに向きなおった。

「さて、カシン。その少年から出ていけ、と言っても無駄だろうな」

「フフフ、そうだね、この体、気に入ってしまったんでね」

 カシンは、さげすみの笑みを口のはしに浮かべて、話をつづけた。

「この少年、見栄みばえはいまいち良くはないが、ポテンシャルは高いものを秘めている。しむらくは、この彼自身が、それに気がつかず生きてきたことだな」

「しかたがないのう。ワシが追い出してくれる」

 源次郎が胸を張って言う。

「フフフ、かつては奥方の後ろで、娘を抱きしめていることしかできなかった、あなたが?」

「男子、三日会わざれば刮目かつもくして見よ、というぞ」

「それは、どうかな」

 言うやいなや、カシンは源次郎に眼前に跳んでいき、蹴りを放った。

 源次郎は、それをまともに食らい、あぐりの横をかすめ、体育館の後ろまでふっ飛んでいき、壁に全身を打ちつけた。

「ふん、つまらん座興だ」

 倒れる源次郎を冷酷なまなざしで見くだし、カシンがつぶやく。

「お父さんっ!」

 あぐりの声がとどいたのか、源次郎は、うつぶせに倒れたまま腕を上げ、大丈夫、と親指をたててグーサインをだした。

「何やっているの、もうっ!バカじゃないのっ、もう!」

 などと、父をののしるあぐりに、カシンが顔を向けた。

「次は、お前だ」

 あぐりは、カシンの人を威圧するような鋭い眼光に射抜かれ、体がこわばるのを感じた。

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